2013年6月16日日曜日

全米最大ベトナム系コミュニティ、リトル・サイゴンを歩く

カリフォルニア州オレンジ郡の「リトル・サイゴン」を訪ねた。
アメリカ最大のベトナム系コミュニティだ。

アメリカで暮らすベトナム人は1975年まで、とても少なかった。
北ベトナムの勝利によってベトナム戦争が終わった1975年以降、南ベトナムを支援していたアメリカに多くのベトナム人が難民として移り住んだ。アメリカに住むベトナム人は1990年、約61万4500人に達した。その半数がカリフォルニア州内に集中した。

なかでも、オレンジ郡はベトナム人の人口が多かった。
そうした人口の集中を象徴する地域がリトル・サイゴンだ。
英語も分からないまま、難民として見知らぬ土地にたどり着いた人々が、互いに支えあい、故郷に思いをはせることのできるコミュニティとして発展してきた。
留学前から、必ず訪ねたいと思っていたエスニック・コミュニティだ。


午後2時過ぎ、アメリカ留学中の日本人大学院生の友人と、妻と僕の3人で出発。オレンジ郡はロサンゼルス郡の南隣だ。高速道路を使って、約1時間でリトル・サイゴンに到着した。

最初に訪れたのは、ベトナム系ショッピングセンター「アジアン・ガーデン・モール(Asian Garden Mall)」。ベトナム風にアレンジした大きな建物内には、洋服店、ビデオ店、飲食店など何十もの店が入居している。

アジアン・ガーデン・モール。駐車場がいっぱいだったので、裏側の路上に駐車した。

干物店に入って、ベトナム風スルメをいくつかしがんで試食した。なかなか味わい深い。
ベトナムの民族衣装アオザイを着た女性客もちらほら。素敵な雰囲気だ。

この日、モール中央の催し会場で、たまたま大きなイベントが行われていた。
ステージに向かって並べられた椅子に座った人たちで、会場は埋め尽くされている。
来場者は、ほぼ全員ベトナム系の人たちだ。ステージの催しも、ベトナム語のみで進行される。
なんのイベントか知りたいと、ステージ上の横断幕を見るものの、これもベトナム語だけなので、まったく何か分からない。横断幕に「25」という数字が書かれていたので、きっと何かの25周年なんだろうと思ったが、すっきりしないので、40歳代くらいの男性に聞いてみた。
リトル・サイゴンを拠点にしたラジオ局の開設25周年記念ということだった。

モール中央の催し会場は、来場者でいっぱいだった。
モール建物の前の広場では、屋台が並んでいた。
お昼をほとんど食べていなかったので、勢いでベトナム風焼鳥を1本注文した。けっこう大きめで1本2ドルで済んだ。

熱々かなと思ったけど、意外と焼き立て感のない焼鳥だった。

次に向かったのは、モールから道路を挟んで正面にあるベトナム系スーパー「エイ・ドン・スーパーマーケット(A Dong Supermarket)」。ここは今日の目玉訪問先の一つだ。妻は自宅でベトナムの麺料理フォーを作る食材を全部買ってしまおうと考えていた。

フォーは、牛や鶏の出汁に米麺を入れた料理だ。
ベトナム料理店でフォーを頼むと、いろいろな香草とモヤシが皿にもられて出てくる。
この香草を手に入れたいと思うけど、同じような葉っぱがたくさん陳列されていて、どれがどれだか分からない。

買い物中のベトナム人夫妻に妻が尋ねると、だんなさんが親切に陳列棚の前を歩き回って、バジルを手渡してくれた。「シラントロ(コリアンダー)も」とすすめてくれたが、妻が「それは家にあります。ありがとうございます」と断るやいなや、今度は一緒にいた夫妻の息子が「これもフォーに」とミントを持って来てくれた。ありがたい。すると、次は僕たちの背後から、別のおばさんの声。「これもいるわよ」と、またバジルを持ってきてくれた。香草を求めてスーパー内で露頭に迷う日本人3人に対するベトナム人買物客の親切さは爽快だった。

人生で初めて見た食べもの。買物客は傾けたり、たたいたりして熟れ具合を確かめていた。この大きな食べ物を買う人がとても多かった。今回はナゾのままにしておいて、次回は必ず買ってみよう。

生麺と乾麺、スープの素などフォー関連の食材に加えて、南国の果物ランブータン(ライチの仲間)やパッションフルーツジュースなどを購入して店を出た。帰り際にパン店で、2ドル25セントのアイスベトナムコーヒーを買い、飲みながら車に戻った。

パン店の商品陳列棚の上に並べられたベトナムコーヒー。注文すると、これに氷を加えて出してくれた。甘くて苦くてとてもおいしい。


その次に向かったのは、ベトナム人移民の仏教寺院「チュア・フエ・クァン寺院(Chua Hue Quang Buddhist temple)」。午後4時ごろに到着したが、外から見ると、あまり人気のない印象だった。
靴を脱いで寺院に入ると、正面に大きな白い仏像が据えられていた。仏像の右側で小さな尼僧さんが手招きする。近づくと、僕ら3人それぞれに一本ずつ線香を手渡し、念仏の仕方を教えてくれた。

住宅地の中の一角にある「チュア・フエ・クァン寺院」

仏像の手前に立って、火のついた線香を合唱しながら挟み、「ナモアギダファ」と3回、頭をかがめながら念仏する。「ナモアギダファ」は「南無阿弥陀仏」のことだ。ただ、一回ではなかなか覚えられない。尼僧さんは「ナモー・・・アギー・・・ダファ・・・」とゆっくり教えてくれる。念仏を終えると、線香を香炉に差し込む。その後は、床に伏せて礼拝しながら、再び念仏を繰り返す。

立派な仏像の手前で、尼僧さんが念仏の仕方を教えてくれた。

念仏の後は寺院の奥の部屋に案内してくれた。
そこでは、亡くなったベトナム人移民や子孫らの何百枚もの写真を小さな仏像と一緒に安置している。

尼僧さんは、ある男の子の写真を指差した。尼僧さんの英語はかなり理解しにくいが、笑顔で熱心に話してくれるので、なんとなく分かる。

「この男の子は高校生だったの。この子は一人っ子だから、ご両親も辛かったようです。けど、亡くなった後、眼球と心臓、腎臓を臓器提供して3人の患者を助けたの」
「この写真は私の母親と父親。母親は2年前、父親は4年前にベトナムで亡くなりました」

この部屋は、こうした無数の死者を供養する部屋になっているという。
思いがけず、尼僧さんにお世話になった。寺院をあとにするとき、「どんな人でもこのお寺に来ていいので遠慮なく来てください」と言ってくれた。


次は夕食だ。寺院から車で数分の場所にある「バンズ・レストラン(Van's Restaurant」に到着した。ネットで検索すると「Van's」だが、店先には「Van Restaurant」と書かれている。

午後6時過ぎ。40人ほど客が入っているが、ほとんどベトナム人だ。
ウェイターのおじさんが注文を聞きに来た。パリパリに焼いた生地で炒め物を包んだクレープのような料理「バンセオ」、たこ焼きのような料理「バンコット」、生春巻き、牛肉フォーの4品を注文した。

たくさんの油でしっかり焼かれた「バンセオ」。香草にくるんで食べるとさっぱりして、いくらでも食べられそうだ。

ぜんぶ大満足だったが、特にバンセオが印象的だった。
バンセオの中には、エビ、豚肉、モヤシの炒め物が入っている。クレープを具ごと引きちぎり、それをレタスと香菜で包む。その後、やや甘いダレに浸した後、口に放り込む。豪快に手で食べるのも楽しい。友人も大満足していた。
この店はバンセオが人気らしく、あちこちのテーブルで、レタスと香菜が山盛りになっていた。
牛肉フォーなど他の3品も文句なくおいしかった。

たこ焼きにエビをのせたような「バンコット」。外はカリカリだけど、中はとろとろしている。辛いソースをかけると、よりおいしかった。

もうこれ以上食べられないというくらい、お腹いっぱいになり、しばらく話した後に店を出た。
会計はチップを入れて29ドルだった。一人約10ドルだった。この店には、また必ず行くと思う。
けど、この店がなくても、またリトル・サイゴンに行きたい。
そう思わせる親切な人々がたくさんいた。

・本記事掲載の約2年後にリトル・サイゴンについて改めて書いた記事は、こちら

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