ベトナム料理店「バンズ・レストラン(Van's Restaurant)」で、パリパリに焼いた生地で炒め物を包んだ「バンセオ」、エビとポテトの揚げ物、それに豚肉の生春巻きを注文した。
山盛りのレタスや香草と食べるバンセオ(写真左) |
エビの揚げ物もレタスと香草で包んでいただく。 |
しばらくすると店員がレタス、シラントロ、ミント、ドクダミがてんこ盛りになった皿を料理と一緒に運んできた。レタスと香草でバンセオなどを包み、甘めのソースに漬けてから食べる。揚げ物の香ばしさ、香草の爽やかさ、ソースの甘さが絡み、めちゃくちゃ美味しい。ロサンゼルスではタイ料理やインドネシア料理、カンボジア料理も食べたけど、今のところ、東南アジア料理の中ではベトナム料理がいちばん好きだ。
レストランの壁にはキリスト誕生を描いた絵が飾ってあった。 |
テーブルにはオイスターソースなどと並んで、ホイ・フォン(Huy Fong)社のスリラッチャソース(Sriracha)というチリソースが置いてある。カリフォルニア産の唐辛子、酢、ニンニク、砂糖、塩が材料のドロドロとした赤いソースだ。ソースの入った透明のプラスチックボトルには、ローマ字や漢字で会社名などが印刷され、中央にはニワトリの絵が描かれている。地味なデザインだけどエキゾチックな感じがして印象的だ。
ホイ・フォン社のスリラッチャソース。写真はミャンマー料理店で売っていたもの。 |
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このスリラッチャを知らないアメリカ人はいない、と言っても言い過ぎではない、おなじみの調味料だ。
ロサンゼルスのスーパーマーケットではほぼ100%売っているし、飲食店もアジア系であれば、かなり高い確率で置いてある。以前、人気のラーメン店にアメリカ人の友だちと行ったときも置いてあり、それはないやろと思ったけど、友だちは豚骨ラーメンの白いスープがうっすら赤く染まるくらいドロドロとスリラッチャを注ぎ込んでいた。
このスリラッチャを発売したのは、アメリカに移り住んだベトナム難民のデイビッド・トラン。1979年にアメリカに亡命。翌年、ロサンゼルス中心部のチャイナタウンに建てた工場でチリソース生産を始め、今では当初の100倍以上の広さの工場に移転し生産を続けている。
その工場が完成した2年前、CBSの朝のニュース番組がトランに取材している。
「私の商品が気に入らない人に対しては、どうしたのって思いますよ。なにかがおかしい。新鮮なもの、いちばんいいもの、安いものを使ってますよ」というトランに、記者が「辛すぎるという人もいますが」と質問。トランは「使う量を減らせばいいでしょ」と余裕で切り返していた。
トランが意気込んで稼働した新工場だが、稼働直後から問題を抱えてしまった。
工場から出る唐辛子の匂いを巡り、地域住民から不満が出たため、地元の役人が工場立ち退きに向けて動き出した。しかし、これだけ大きく成長した地元の会社を追い出せば、カリフォルニアで商売する人が減ってしまうという懸念もあり、ロサンゼルス・タイムズも社説で「カリフォルニアのために」工場の稼働を許可し続けるべきだと主張していた。結局、昨年5月、匂い対策に取り組むと約束したトランと地元自治体の間で話し合いが成立し、工場は存続することになった。
いずれにせよ、スリラッチャソースはアメリカに渡った移民の成功物語の一つ。トランは自分の会社をホイ・フォン社と名付けているが、「ホイ・フォン」は彼が難民として乗船した台湾の貨物船の名前だ。多くの人が楽しむソースは、いつも戦争の記憶も暗に伝えている。
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食後は近くの菓子店にベトナム・コーヒーを買いに行った。いつも行く店がいつもの場所に見当たらない。近づいてみると、店舗スペースを半分に縮小して営業していた。
コーヒーの支払いの際に「この店もっと大きくなかったですか」と尋ねると、店員のおばさんは「レント・ハイ・アップ、セー・マニー(賃料が上がって。節約するため)」とベトナム語なまりの英語で教えてくれた。
濃くて甘いベトナム・コーヒーを飲みながら、ベトナム風サンドイッチ「バンミー」の店「トップ・バゲット(Top Baquette)」に向かう。前回リトル・サイゴンに来た際に友人が教えてくれた店だ。レモングラス・ビーフ味(3.5ドル)とバーベキュー・ポーク味(3ドル)をそれぞれ一つ買って、久しぶりのリトル・サイゴンを後にした。
レモングラス・ビーフ味のバンミー |
・スリラッチャ製造元のホイ・フォン社のサイトは、こちら。
・ロサンゼルス・タイムズの記事は、こちらやこちら。
・リトル・サイゴンについての本ブログの他記事は、こちら。
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