2013年10月20日日曜日

日本と韓国とアメリカ、ガーデナ市の焼肉店で

「Lady Generation 海よりたくましく 未来を生き抜く為には♪」

ある週末、ガーデナ市にある日本の有名百円均一ショップで流れていた曲は、篠原涼子の「Lady Generation」(1995年)だった。ロサンゼルスで暮らし始めてから、日本語はいつも妻と話しているけど、日本のポップミュージックを聞く機会はほとんどない。そんな日々の中で、とつぜん1990年代のヒット曲を聴くと、とても懐かしい。ガーデナ市には、日系人が多く暮らしており、日系食料品店や日本料理店もたくさんある。市長も日系人だ。

先月、ある歴史学関係のイベントで、ガーデナ市に住む日系人の年配の女性と知り合った。いろいろと日系人の歴史について教えてくれた。アメリカで生まれ育った日系二世の女性で、流ちょうな日本語を話す。日本に一時帰国した妻が和菓子を買って帰ってくれたので、先週、その女性にお土産として渡しに行った。不在だったので、手紙を添えて、女性の家のドアノブに和菓子の入った紙袋をぶら下げておいた。

◇

その後、近くにある焼肉店に妻と向かった。同市内に住む韓国出身の知り合いのおばさんが食事に誘ってくれた。おばさんが大家をしている下宿で、僕の日本の大学院の先輩が今年6月まで1年間、暮らしていた。その縁で、先輩の帰国後もよくしてくれる。ありがたい。おばさんは日本にも1990年代中頃まで20年近く暮らしていたので、日本語も話せる。

ガーデナ市では、1980年代以降、韓国人移民も増えており、韓国料理店も多い。
この前から、気になっていた焼肉店「고향갈비(故郷カルビ)」に連れて行ってくれた。
最近、下宿を始めた日本人の18歳の青年も一緒に来た。

庶民的な店内にはテーブルが20台ほどある。平日の午後5時だけど、たくさんの客がいる。韓国系だけでなく、アフリカ系やラティーノの客も多い。

僕らが席につくと、おばさんが「A세트 네개 주세요 (Aセット、四つください)」と注文してくれた。Aセットは薄くスライスした牛肉、鶏肉、豚肉の食べ放題セット。それに、スライス状のモチやサラダも付いてくる。値段を見ると一人10ドル弱だった。焼き肉にサラダとスライスモチを包み、焼肉用の韓国味噌を少しつけて食べると抜群においしい。この店の人気の理由が分かった。

食事中、韓国と日本とアメリカの3ヶ国で暮らしてきたおばさんが、それぞれの国の文化や経済の違いについて、自身の経験から話してくれた。ガーデナ市や南隣のトーランス市には、日本人や韓国人が多く暮らしており、おばさんにとって暮らしやすい環境が整っているらしい。今後もアメリカで暮らし続けていく予定のおばさん。「民主主義と平等。これがいちばん大事」と話していた。

しばらくすると僕の携帯電話が鳴った。「ハロー」と出ると、日本語が返ってきた。日系人の女性が、お土産のお礼に電話をかけてくれた。

◇

カリフォルニア州と一口に言っても、地域間の特色の違いは大きい。ガーデナ市の場合、100年以上前に暮らし始めた日本人の子孫や、30年ほど前から増え始めた韓国人移民、またその他のマイノリティの影響が絡まりあって、今日の地域社会ができあがっている。

2010年の国勢調査によると、市内人口約5万9千人の主な人種構成は、アジア系が26.2%、白人が24.6%、アフリカ系が24.4%、その他の人種(some other race, SOR)が18.9%となっている。

アメリカの国勢調査では、人種カテゴリーに関する質問とは別に、ヒスパニック・ラティーノかどうか問う項目もある。
ガーデナ市のヒスパニック・ラティーノ人口は、10年前の調査時に比べて2割増えて、市内人口の37.6%となっている。彼らの多くは、自分たちの人種カテゴリーとして「白人」または「SOR」を選ぶ。

これらを考慮すると、ガーデナ市は、アジア系、アフリカ系、ラティーノの人々が万遍なく暮らしているといえる。ちょうど焼肉店の客層と一致する。焼肉店では、韓国味噌の入った小皿の他に、赤いソースの入った小皿があった。味見すると、トルティージャチップ用サルサの味がして、なんだこれは、と思っていたけど、ラティーノが多い客層に合わせて提供していたのかもしれない。次回、その焼肉店に行ったら、店員に質問してみよう。

2013年10月5日土曜日

非合法移民に運転免許、社会の一員として

昨日、カリフォルニア州のジェリー・ブラウン知事が、非合法移民の自動車運転免許証取得を可能にする法案に署名した。

カリフォルニア州には、合法的な書類を持たずに入国または滞在している非合法移民が約280万人いると推定されている。彼らの多くが仕事や生活で、自動車を必要としているが、これまで非合法移民による運転免許の取得は認められてこなかった。

この法律の狙いは、非合法移民の免許取得を認めることで、彼らの交通ルールに対する理解や自動車保険の加入を促し、重大な交通事故を未然に防ぐことだ。無保険者による交通事故を減らすことにもつながる。これまで激しい議論が重ねられてきた、この法案が成立した背景には、低賃金労働者として地域経済を支えている非合法移民に対する理解の深まりがある。

ロサンゼルス・タイムズのネット記事を読んだり、リンクしてあった地元テレビ局KTLAのニュース動画も見たりすると、この種の法律が抱える問題も指摘されているが、それ以上に非合法移民に対する理解の深まりが伝わってくる。

昨日の午前、ロサンゼルス市役所の前には、ロサンゼルス市のエリック・ガーセッティ市長、ホセ・ゴメス大司教ら移民の権利拡大に尽力してきた有力者にくわえ、移民支援団体関係者や非合法移民が集まり、ブラウン知事による法案の署名を見守った。

ブラウン知事は「もはや非合法移民が社会の陰に隠れて暮らすことはない。彼らはカリフォルニア州内でしっかりと生活し、尊重される」とスピーチで述べた。

テレビレポーターが、市役所前に集まった人々にインタビューする。セルヒオ・ロペスという名前の男性は「Oh my god! I'm so really really happy. I feel so blessed today(オーマイゴッド。本当に本当にうれしいです。今日、本当にありがたいと感じています)」と英語で応えている。

テレビ画像に下の方には、字幕で「undocumented immigrant(非合法移民)」と男性の肩書が紹介されている。非合法移民は、国境管理の観点では強制送還の対象だ。だけど、このテレビニュースでは、男性の顔と名前が丸出しになっている。

子どもの頃に親に連れられて不法入国した非合法移民の若者が、顔と名前を自ら公表して、彼らの合法化を求めて活動している様子は、テレビで何度も見たことがある。だけど、自分の判断でアメリカに入国した非合法移民の大人の顔と名前を、ここまであからさまに報道しているニュースを見るのは初めてだった。

アメリカの非合法移民は、日本では「不法移民」と報じられている。「不法移民」と聞くと、強制送還の対象という印象が強い。しかし、日本語の「不法移民」という言葉では、カリフォルニア移民社会の非合法移民に対する認識は理解しにくい。少なくとも、この日、市役所前に集まった人たちにとって、非合法移民とは合法的な書類を持たない「社会の一員」という認識の方が強いんじゃないだろうか。

テレビ局も、この男性の顔と名前を公表しても、彼が不法滞在以外の犯罪を犯さない限り、当局が彼を強制送還することはない、という自信があり、この男性自身も自分を支えてくれる人たちがたくさんいることを知っている。そういった非合法移民をめぐる社会的な認識が、こうした報道自体を可能にしているように思う。

ロサンゼルス・タイムズのネット記事に寄せられたコメントが示すように、カリフォルニア州内においても、非合法移民に対する批判は根強い。それ以上に、知事や市長が非合法移民の社会的貢献を認め(ラティーノ有権者の票が視野に入っていたとしても)、地元テレビ局が非合法移民を「陰」に隠さず、顔と名前を公表して、彼らの声を報じている事実は力強い。

・この法案署名に関するロサンゼルス・タイムズの記事は、こちら。

2013年9月22日日曜日

郵便局の日常、カリフォルニア社会の多様性

近所の郵便局に向かった。
コスタリカの友人が現地特産のコーヒーを送ってくれたが、配達時に僕が家にいなかったので、郵便局まで取りに行った。

この郵便局には、いつもたくさんの人が訪れている。
窓口前に並ぶ人たちは、初対面でも、いろいろと話し出す。アメリカの日常だ。
この日は元軍人の白人のおじいさんと、かつて夫が海軍にいて、今は息子が海軍にいる白人の奥さんが話していた。

奥さんは「夫は冷戦時にロシア(当時ソビエト連邦)の潜水艦を探知する仕事をアイスランドでしていたんですよ」などと話した後、「Thank you for your service」とおじいさんに声をかけて窓口に向かった。
アメリカに住むと、軍人や元軍人に、人々がこの言葉をかける場面をしばしば見かける。

僕の前には、3歳くらいの男の子を連れた、メキシコ系の小柄な女性が並んでいた。オアハカ州出身の人かなと思った。夏休みにボランティア活動をした移民支援団体に来ていたオアハカ州出身の人たちと、なんとなく面影が似ていたからだ。

窓口の郵便局員はみんなアフリカ系の人たちだ。アメリカでは、多くのアフリカ系の人々が、公共性の高いサービスを提供する施設で働いている。僕のアパート最寄りの自動車運転免許試験場(DMV)の職員も、9割以上がアフリカ系の人たちだ。
歴史的に抑圧を受け続けてきたアフリカ系の人たちが安定した生活を送るために努力し、闘ってきた結果とも考えられる。一方で、アフリカ系の人々が、アメリカで社会上昇する際に重視されている起業家精神を育むことが難しい社会状況も残っている。

郵便局の利用者だけでなく、郵便局員もおしゃべりをしながら働いている。こういう感じは好きだ。
隣の窓口の女性職員が、僕の窓口の女性職員に「お昼、マクドナルドに行こうと思うんだけど、どうする」と話しかける。おなかが減った。
女性職員に不在届と免許証を見せてしばらくすると、コスタリカから届いた小包を持ってきてくれた。

郵便局は遠いところにいる家族や友人と、手触りのある手紙や小包を通してつながることができるから、昔から好きな場所だ。この日も、こうしてコスタリカの友人とつながることができた。またお返しに何か送ろうと思う。

コスタリカの友人が送ってくれたコーヒー。コスタリカのホストファミリーが飲んでいる商品(左)と、友人のおすすめ(右)。

郵便局に訪れただけでも、カリフォルニア社会の人種・エスニシティの多様性を実感できる。僕も、この郵便局に来たアジア系男性として、この多様性の一部になっている。昨年、渡米したころは、こうした場面がとても刺激的だった。けど、一年が過ぎて、この多様性が徐々に日常的になってきた。日常的になると、見えるものもあるけど、見えなくなるものもある。見えるものも、見えなくなるものも、どちらも見ていきたい。

2013年8月16日金曜日

労働運動と地域支援、ボランティア活動を終えて

「운전하고 싶은데(運転したいんだけど)」

中国出身のおじさんが言う。おじさんは朝鮮族だから、韓国・朝鮮語が母語だ。

おじさんは、右ひじから先、左手首から先がない。
手がなくても運転できるのか、聞いているみたいだ。
おじさんの言う「장애인」という言葉の意味が分からなかったが、韓国人のおばさんが英語で、それは「障害者」のことだと教えてくれた。

おじさんとインターネットを使って、どのように障害者が運転免許を取得できるか調べた。
カリフォルニア州の自動車免許試験場(Department of Motor Vehicles、DMV)の住所を見つけた後、DMVのホームページで障害者に関する情報を探した。
すべてのDMVに障害者の質問を受け付ける特別窓口があることを伝えると、おじさんはほっとしたような表情を見せた。

◇

この日は、ボランティア活動として、コリアタウンの移民支援団体で、5月30日から毎週木曜日に続けてきたパソコン教室の最終日。7月4日の独立記念日を除き、計11回、ラテンアメリカや韓国、中国出身の人たちにインターネットの簡単な使い方を教えた。毎回5~11人が参加した。

これまで、インターネットで地図、写真、ビデオなどを調べる方法を練習し、インターネットを利用する際の注意点も確認した。パソコンの操作方法は何度も繰り返し伝えないと、なかなか覚えてもらえなかったけど、それぞれ少しずつ上達した。

ラティーノにはスペイン語で、韓国人と中国人(朝鮮族)には韓国語で説明するように心がけた。
僕の韓国語は初級レベルなので、はじめの頃は難しかったが、自分が知っている数少ない単語を結び付けて、どうにか説明する練習にもなった。

多くの参加者は低所得の移民で、自宅にパソコンがない。これだけインターネットに情報が溢れていても、気軽に情報を手に入れることはできない。それだけに、このパソコン教室で、出身国の地図や写真を見たり、電子メールを送ったりする作業を楽しんでくれたようだ。

この日は、そうした作業の復習として、①コリアタウンから、サンディエゴ市のバルボア公園に行く方法をグーグルで調べる、②バルボア公園内の室内植物園の写真をグーグルで探す、③出身国の新聞社のホームページを見つけて最新ニュースを読む、という三つの作業をした。

それぞれ作業のスピードは違うものの、うまく使いこなしていた。

◇

「Hoy es la última clase(今日が最後のクラスか)」

メキシコ人のおじさんが声をかけてくれる。このおじさんはいちばん出席率が高かった。
「Sí(そうなんですよ)」と答えると、「Entonces, ya no vengo (じゃあ、僕も来なくなるなあ)」と言う。

おじさんの一言は、この移民支援団体におけるパソコン教室の機能を分かりやすく示している。
この団体にとって、パソコン教室そのものは、それほど重要な活動ではない。
最も重要な活動は、勤め先で賃金未払いなどの被害にあった移民労働者の権利を守ることだ。
具体的には、移民労働者の相談を受けた後、カリフォルニア州の労働基準監督署に被害を訴え、雇用者が罰金を支払うまで、移民労働者を支援する。

移民労働者がこの団体を知らなかったら、泣き寝入りすることもあるだろう。
しかし、普段から本人や友人が、この団体のパソコン教室などに参加していれば、何か問題が起きた際、この団体に安心して早い段階で相談することができる。
パソコン教室は、労働運動を展開する団体と移民労働者を結びつける接点の一つとして機能しているわけだ。

この団体は、英語教室と工作教室などのサービスも提供している。これらの教室も、移民の生活を支えると同時に、移民労働者と団体の接点として重要な役割を担っている。また、これらの教室の参加者が、この団体が計画したデモ行進などに参加することも珍しくない。

労働運動と地域支援は、切り離せない関係にある。

◇

午前11時半、この日の参加者が帰っていく。最後に、中国出身のおじさんが残っていた。
おじさんは、手はないけど腕を器用に使って、教室の窓を開けたり、机を並べたりして、いつも手伝ってくれた。中国の朝鮮族についても、ときどき教えてくれた。

「전화번호 주세요(電話番号ください)」と言うので、新聞紙の切れ端に僕の電話番号を書いて手渡した。肩を組むように、腕で僕の背中をさすってから、「バイバーイ」と言って帰っていった。

来年の夏も、また機会があれば、ぜひこのパソコン教室を担当したい。

2013年8月11日日曜日

国境越えて「分かち合い」、移民支援団体のBBQ

ボランティア活動をしている移民支援団体のバーベキューに、妻と一緒に参加した。

バーベキュー会場は、ロサンゼルス市中心部から車で2時間ほど北に行った農園。支援団体メンバーのラティーノ家族ら約40人が参加して、にぎやかなバーベキューとなった。

メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ出身の大人たちに加え、アメリカ生まれの子どもたちもたくさん参加した。

食事用のテーブルには、タマル(tamal)など、ラテンアメリカでおなじみの食材が並んでいる。タマルは、野菜や肉を詰めたトウモロコシ粉の生地を、プラタノの皮で包んで蒸した料理。鶏肉が入ったタマルと、フリホーレス(豆)が入ったタマルの2種類が用意されていた。

初めて食べたフリホーレス(豆)のタマル

炭火コンロでは、スパイシーに味付けされた鶏肉ケバブやソーセージが香ばしく焼かれていた。豚肉のスペアリブもおいしかった。

◇

昼食後は小さなテニスコートで、バレーボールの規則に従って、サッカーボールを蹴り、勝ち負けを決めるゲームをした。最初は子どもたちと一緒に遊び、その後は大人だけで真剣勝負をした。

このゲームは、この日、農園を管理していた韓国人男性2人が教えてくれ、一緒にプレーしてくれた。
この農園は、移民支援団体と関係の深い韓国人移民らが、それぞれ資金を出し合って、共同で購入したもの。彼らが交代で、農園で飼育しているニワトリやガチョウの世話や、山小屋の維持管理をしている。

この日、出会った韓国人男性の一人は1990年代、大阪で働いていた人だった。日本語は標準語だけでなく、大阪弁も堪能。関西出身の僕はちょっと懐かしい気持ちになった。

彼らは、国境を問わず誰もが一緒に集まれる場所として、農園を運営しているらしい。
農園の名前も「分かち合い」という意味で「나눔(ナヌム)」となっている。

◇

僕がゲームをしている間、妻はラティーノのおばさんやおじさんたちと会話を楽しんだ。

妻は今年6月まで、近所のスペイン語教室に通っていた。
その時に勉強した単語と文法を使って「(支援団体で)パソコンの勉強をしているんですか」と、あるおばさんに声をかけてみた。
すると、「いえ、英語の勉強です」と返事が来るやいなや、スペイン語でたくさん話され、すぐに何が何だか分からなくなった。

その後、おばさんが日本語を教えてほしいと言うので、妻は「こんにちわ、ありがとう、さよなら」と簡単な日本語のあいさつを教えた。おばさんはポケットからメモ帳を取り出して、「adios=sayonara」などと書き込んでいたらしい。

妻は「こちらが話しかける気持ちであれば、向こうもいろいろ話しかけてくれる」と話していた。

参加者は大きな木の下にテーブルやイスを置いて食事と会話を楽しんだ。

◇

午後4時。子どもたちが楽しみにしていたピニャータ(piñata)割りの時間がやってきた。ピニャータは、アメやガムなどのお菓子がたくさん入った紙製の人形のこと。木の枝や天井からピニャータを吊るし、子どもたちが棒でたたき割って、中から飛び出してきたお菓子を拾う。ラテンアメリカでは、誕生日パーティーでおなじみだ。

アニメ映画のキャラクターを模ったピニャータ

年齢の小さい子どもから一列に並んで、順番に人形をたたく。人形を吊るすヒモを、大人が引っ張ったり、緩めたりして、人形を動かす。ぶらぶらと逃げ動く人形を、子どもたちが一生懸命、たたく姿がかわいらしい。小学校の高学年くらいの子どもは力が強いので、目隠しをして挑戦。なかなか当たらないので、周りの人たちから笑顔がもれる。

最後は無事に人形が裂けて、お菓子が飛び出し、子どもたちが一気に群がった。
あるメキシコ人のおじさんは「最近はアメリカ人の子どももピニャータをするらしいよ」と話していた。

ピニャータ割りを見たところで、一足先に帰ることにした。
支援団体スタッフに加え、韓国人男性にもあいさつ。日本語が話せる男性は「友だちを連れていつでも来てくださいよ」と気さくに言ってくれた。

分かち合いは気持ちがいい。異なる国や地域の人々が共生する社会を築くには、分かち合いはとても重要なことだと感じた。

2013年8月4日日曜日

麺料理に舌鼓、カンボジア・タウンを歩く

ロサンゼルス大都市圏には、カンボジア人移民も多い。
ロングビーチ(Long Beach)市にあるカンボジア系コミュニティのカンボジア・タウン(Cambodia Town)を訪ねた。

2010年の国勢調査によると、アメリカに住むカンボジア系住民は約27万7千人いるという。
その多くは、1970~1980年代に難民としてアメリカに入国した人々とその子孫だ。

カンボジア共産党(クメール・ルージュ)が1975年、カンボジアの政権を握ると、多くの難民がアメリカへ向かった。初期の難民たちは教育を受けた人たちが多かった。1979年、カンボジア共産党政権をベトナムが倒すと、新たに多くのカンボジア人が難民としてアメリカに移住した。

国勢調査局が1992年にまとめた報告書によると、1975年以前、カンボジア人移民はほとんどいなかったが、交換留学生としてカリフォルニアで学ぶカンボジア人学生は1950年代後半から少数いたという。
そうした学生たちがロングビーチに小さなエスニック・コミュニティを作っていたことから、1970年代以降、多くのカンボジア人難民がロングビーチに集まったという。

そして「カンボジア・タウン」という地域の名称は2007年、カンボジア人のリーダーたちが運動した結果、ロングビーチ市に正式に認められ、現在は「Cambodia Town」と書かれた看板もたくさん設けてある。

カンボジア・タウンの道路標識

◇

エスニックコミュニティに行くとき、いちばん楽しみにしているのは食事。けど、カンボジア料理といっても、具体的にどんな料理か頭に浮かばない。

クチコミ検索サイト「Yelp」で調べたところ、「プノンペン・ヌードル・レストラン(Phnom Penh Noodle Restaurant)」という店を見つけた。
検索サイトには、なんだかつけ麺のような食べものの写真が掲載されている。食べたことがない料理だったので、その店に行くことにした。

午後1時ごろに自宅を車で出発し、約40分で店に到着した。
店員は客もカンボジア系の人たちが多そうだ。クメール語や英語でにぎやかに話している。

注文を聞きに来てくれた店員がすすめてくれた「プノンペン・ヌードル」(5ドル)を注文した。
スープの入っていない皿に、米麺、パクチー、ネギ、揚げニンニク、おそらくブタの肝臓、エビなどが入っている。そして、たくさん肉が付いた豚骨入りのスープを添えてくれる。
スープはそのまま飲んだり、麺にかけたりして食べるという。

プノンペン・ヌードルは、スープ入りか、スープ別皿か、選べる。店員は、写真のようにスープ別皿をすすめてくれた。写真奥のモヤシやライムも麺に入れて混ぜる。

これが抜群においしかった。麺には、しっかり味がついている。テーブルの辛口ソースや甘口ソースをかけて、麺と具を混ぜれば、さらにおいしい。そして、しっかり豚骨の出汁がとれたスープをすすると、どんどん食が進む。
チャ・クアイ(Cha Quai)という揚げパン(0.75ドル)も注文した。これは、スープに浸して食べるらしい。これもなかなかおいしかった。

◇

店を出て南に10分ほど歩けば、カンボジア・タウンの中心部、アナハイム通りと交差する。
アナハイム通り沿いには、カンボジア人経営の飲食店、食料品店、民族衣装店、ビデオ店、宝石店などが並んでいる。この地域はラティーノも多いので、メキシコ系の店もたくさんある。

クメール文字で店名を書いた民族衣装店

カンボジア系食料品店「ドン・マイ・スーパーマーケット(Dong Mai Supermarket)」に入った。
カンボジア系住民でにぎわっている。カンボジアから輸入した食料品を買おうと物色したけど、なかなか見つからない。ほとんどがタイやベトナムの輸入品だ。
店員に聞くと、カンボジア料理は、こうしたタイやベトナムで生産された食料品で作ることができるらしい。

ドン・マイ・スーパーマーケット

魚の身をすりつぶして瓶に入れた商品がたくさん売られていた。これは使い方が分からないが、きっと東南アジアの人たちにとっては、おなじみの食材なんだろう。

果物コーナーで、見たことのない果物を見つけた。
切った状態で売ってある。皮はぶつぶついがいがした感じ。皮を取り除いて食べられる部分だけを入れたパック詰めも売っていた。何か分からないけど、甘い香りがしておいしそうだから、買うことにした。
この果物の英語名はなにか、レジの店員に聞いたら、なんだったけな、という顔をした後に「チャッルー」と言った。わからない。なんなんだろうか。
よく聞くと、これは僕が前から食べたかった世界最大の果物「ジャック・フルーツ」だということが分かった。

以前、ベトナム系コミュニティのリトル・サイゴンで見つけて以来、食べたいと思っていたけど、丸ごと買うには、大きすぎる。カンボジア・タウンで、小さなパック詰めを買うことができて、ラッキーだった。

買物を終えて、車を駐車した場所に戻る。その途中、カンボジア系ビデオ店にも立ち寄った。クメール語のカラオケCDもたくさん売っている。店内のテレビでは、若い女性歌手のプロモーションビデオ兼カラオケビデオが映っていた。
「これはカンボジアの歌ですか」と店員に聞くと、にっこりうなづいてくれた。
日本にJポップ、韓国にKポップがあるように、カンボジアでもCポップが人気みたいだ。

◇

自宅に帰って、ジャックフルーツを食べた。
パイナップルとライチとパパイヤとカキを足したような味だ。独特の甘いにおいがする。
果物好きな母親は、いつかジャックフルーツを食べてみたいらしい。
両親がアメリカに来たら、ジャックフルーツを食べさせてあげたいと思う。

ジャックフルーツ。黄色いかたまりから種を取り除いて食べる。

・リトル・サイゴンで見つけたジャックフルーツについては、こちら。
・国勢調査局が1992年にまとめた報告書PDFは、こちら。

2013年7月31日水曜日

未払い賃金支払いで合意、高級すし店の元従業員へ

おしゃれな洋服店が集まるメルローズ通りに出かけた。
アメリカで最も有名なホットドック店の一つ「Pink's」がある。名前は何度も聞いていたけど、食べたことはなかったので、一つ買ってみることにした。


注文しているお客さんが、チリドッグが楽しみで、やや興奮しているように見えた。

平日の午後4時だったけど、店の前には30人ほどの行列ができていた。
注文は妻にお願いして、店の周りをぶらぶらしていると、店の前に置かれた新聞販売ボックスに目が止まった。


ロサンゼルスでは、路上に新聞販売ボックスが置いてある。これに25セント硬貨を何枚か入れて、新聞を取り出す。右側のボックスが、スペイン語新聞ラ・オピニオン。

ラティーノ対象のスペイン語新聞ラ・オピニオン(La Opinion)の販売ボックス。透明なプラスチック越しに一面記事が見える。
写真付きで一面に紹介されていたメキシコ人男性は、前回のブログ記事(こちら)で取り上げた高級すし店の元従業員だった。

新聞記事の見出しは「Sabrosa victoria(味わい深い勝利)」だった。


◇

この高級すし店は日本人がビバリーヒルズで経営している。今年3月、この店がメキシコ人元従業員に適正な賃金を支払っていなかったことが明らかになった。

メキシコ人元従業員の訴えを受けて、状況を調査したカリフォルニア州労働基準監督署が、高級すし店に対して、労働法違反の罰金約6万6千 ドル(約660万円)を支払うように命じた。そのうち約3万8600ドル(約386万円)が、そのメキシコ人元従業員を含む
元従業員3人に対する未払い賃金だった。

問題が明るみに出てから4ヶ月間、労基署の罰金命令にも新聞社の取材にも、店側は応えてこなかった。同紙によると、ようやく罰金を支払うことに店側が同意したようだ。

実際、労基署が罰金を命じても、店側が応じないケースが大半という。
メキシコ人元従業員は同紙の取材に、こう答えている。

「これは僕一人の勝利じゃなくて、同じ経験をしているすべての労働者の勝利です。やればできるんだ、法律には従わないといけないんだ、こんなに有名なレストランでも法律に逆らうことはできないんだ、という一つの例です」

◇

妻がホットドッグを注文している。
少し長い9インチのソーセージが入ったチリドッグを一つ買って、二人で食べた。

ソーセージはピリ辛。チリソースも味わい深く、いい豆を食べている、という感じ。
また食べに来たい。新聞記事じゃないけど、「sabroso」という言葉が、ぴったりの味だった。
1939年開店の歴史ある店が、今も大人気なわけが分かったような気がした。

ソーセージのパリッとした食感、チリソースのドロっとした食感、また、パンのしっとりとした食感。三つの食感が絶妙に合わさっておいしい名物チリドッグ。

・ラ・オピニオンのオンライン記事は、こちら。