2013年5月7日火曜日

シンコ・デ・マヨの交流会、アパート住民の背景いろいろ

同じアパートに住む人たちとアパート中庭で昼食パーティーをした。
それぞれが何か料理を持ち合うポットラック形式だ。

ふだんはほとんど顔を合わせない住民とこうした形で集まれるのは、素敵な管理人さんのおかげ。管理人さんは子どもに音楽を教える仕事をしている30代女性だ。彼女自身も住民の一人としてアパートに住みながら、不動産会社と住民をつなぐ「resident manager」を務めている。
パーティーは彼女が企画してくれた。

午後1時、住民らが中庭に集まってきた。
コンピューター技術者として働くインド人男性2人はサモサを持ってきてくれた。メキシコ系アメリカ人の住民は、チキンサラダとトスターダ(トルティージャを焼いたもの)。大学で神経科学のポスドクとして働いているイタリア人男性はアップルパイ。ユダヤ系の管理人さんは、ブルガリア料理を参考にしたスイカのサラダを準備してくれた。
わが家はチラシずしを持って行った。

サモサ。ドクター・ペッパーに似た味の缶ジュース(右上)も美味しかった。

住民は全部で14人集まって、わいわい3時間ほど話をした。

わが家のお隣さんは、メキシコ系カップルの男女とルームメイトの白人男性の3人で暮らしている。
男性二人は4~5年、軍隊に所属し、アフガニスタンやイランでラジオ基地の設置業務などに携わったらしい。そのときに知り合った縁で、いま一緒に暮らしている。

女性はアメリカ生まれだが、スペイン語を話して育ったので、「私の第一言語はスペイン語なの」という。彼氏の男性は、メキシコ出身の両親が子どもにスペイン語のアクセントが残ることを心配して、英語中心で彼を育てたので、スペイン語は彼女ほどうまくはない。ただ、それでも日常会話は問題なくできる。ルームメイトの男性は、メキシコ系の二人と住む機会を活かして、スペイン語を勉強しているという。

彼氏の男性は、イラクで勤務していたころ、意外にもスペイン語が役立つ機会があったという。
あるとき、現地のイラク人たちと米兵の間で英語のコミュニケーションがうまくとれないことがあった。しかし、たまたまイラク人の一人がキューバ留学経験者でスペイン語がぺらぺらいうことが分かった。そこで、男性がスペイン語を使って対応したという。

アメリカは移民の国だから、米兵の中でも、さまざまな言語を使える人たちがいる。第二次世界大戦中に日系アメリカ人兵士が日本語能力を米軍の業務で生かしたように、言語能力を海外で生かす米兵はきっと多いのだろう。


管理人さんは大学生時代に1年間、イタリアに留学していた。
せっかく同じアパートにイタリア人住民がいるんだから、ということで、そのイタリア人男性に週に一度、イタリア語を教えてもらっている。

僕らにも「いつか日本料理を教えてよ」と声をかけてくれる。
夏休みに入ったら、他の住民も招いて、簡単な日本料理を一緒に作って食べる催しをしてもいいな、と思う。

こうして管理人さんの呼びかけを中心に、アパートの住民の信頼関係が深まると、より安心して暮らすことができるのでありがたい。

最近、アパート入口の扉のカギが不審者に壊された形跡が見つかったので、アパート管理会社がドアを補強したところだった。アパート近辺は治安のいい場所だけど、何が起こるかわからないので、住民の間で信頼関係があることにこしたことはない。

パーティには、このアパートに住んで40年以上になるユダヤ系のおじいさんも参加した。
ロサンゼルスの歴史や地理にものすごく詳しい百科事典のようなおじいさんだ。
このアパートで過去にあった事件について聞くと、住民がアパート外側のゴミ捨て場で銃で撃たれたこと、住民のテレビを泥棒が盗んだことなどを話してくれ、みんな心配そうに聞いていたが、すべて1970年代の話だった。というわけで、近年は大きな事件はないようだ。


しばらくすると、「今日はシンコ・デ・マヨ(Cinco de Mayo)だよ!」とメキシコ系のカップルがテキーラを持ってきた。

シンコ・デ・マヨは、スペイン語で「5月5日」という意味。1862年5月5日、ナポレオン三世がメキシコを征服しようと派兵したフランス軍に対して、軍勢で劣るメキシコ軍が勝利したことを記念した日だ。
メキシコでは独立記念日の9月16日が最も大切な祝日であり、シンコ・デ・マヨは一部の地域を除いて祝日にはなっていない。
一方、シンコ・デ・マヨは、メキシコ系アメリカ人の間では、メキシコ系としての誇りを感じる記念日として特に重視されている。

ユダヤ系の管理人さんが「ハヌカー(Hanukkah)と同じね」と言った。
ハヌカーはユダヤ教の年中行事の一つだが、ユダヤ系アメリカ人の間で特に大きく扱われている。
僕も9年前の留学中に、ユダヤ系アメリカ人のルームメイトの実家に招いてもらい、ハヌカーに参加したことがあった。

アメリカでは、それぞれのエスニック集団が、少数派でありながらも、文化的な遺産に誇りを持って結束し、それを後世に継承していくため、独自の方法で祝祭日を発展させていく。シンコ・デ・マヨやハヌカーは、そうした現象の典型的な例だ。

アメリカで暮らす移民とその子孫が独自に作り上げていく祝祭日は、アメリカ人/メキシコ人、もしくはアメリカ人/ユダヤ人と切り分けては理解することができない、メキシコ系アメリカ人(Mexican American)やユダヤ系アメリカ人(Jewish American)というアイデンティティの在り方そのものをよく表している。

わが家にとっては、アパートの住民と関係を深める良いシンコ・デ・マヨになった。

※シンコ・デ・マヨの実際の発音は「スィンコ・デ・マヨ」の方がより正確。

2013年4月29日月曜日

地下鉄駅のパネル、9カ国語で、市民権ポリシー

ロサンゼルス地下鉄を使って、大学院に通っている。
電車はだいたい10~15分に1本くらいのペースでやってくる。
時刻表はあるけど、利用者は来たら乗るという感じで、あまり気にしてなさそうだ。

駅には、路線図や広告用にパネルが置いてある。
最近、衣替えしたパネルは「Civil Rights Policy(市民権に関するポリシー)」について説明していた。

英語で以下のように書いてある。
The Los Angeles County Metropolitan Transporatation Authority (Metro) operates its programs and services without regard to race, color and national origin in accordance with Title VI of the Civil Rights Act. In addition......
英語の下には、九つの外国語で同じ内容が書いてある。日本語もあった。
ロサンゼルス郡首都運輸局(Metro)は、公民権法タイトルVIに従って人種、皮膚の色、出身国に捉われずに事業を行っています。タイトルVIに加え、Metroは性別、年齢、障害、宗教、医療的な状態、結婚状態、性的指向等に基づく差別を禁止しています。不法な差別待遇を受けたと思う人は、誰でもMetroに対して苦情を提出することができます。Metroの公民権プログラムと苦情提出手続きに関する詳細は、以下の方法でMetroまで問い合わせください:
「結婚状態」という言葉があったり、文末がコロンになっていたり、ぎこちない文章だけど、いろいろな背景の人々が住む都市にとっては、大切なメッセージだ。

中国語、韓国語、日本語など9カ国で書かれたメッセージ。
日本語以外にも、八つの言語で同じメッセージが掲載されている。スペイン語、中国語、韓国語、タイ語、ベトナム語、ロシア語・・・までは分かったけど、残り二つの言語は何語なんだか分からない。

自宅に帰って、運輸局のウェブサイトで確認してみると、アルメニア語とカンボジア語だった。
ロサンゼルスには、両国から来た移民も多い。「リトル・アルメニア」や「カンボジア・タウン」と名付けられたエスニック・コミュニティもある。
このパネルで何語が使われているか見れば、ロサンゼルスの主要な移民集団が分かる。

僕が昨年7月、自宅アパートを探しにロサンゼルスに来たときに利用したタクシーの運転手さんもアルメニア人移民だった。ロサンゼルスのタクシー運転手にはアルメニア人が多いらしい。
自分の娘もアメリカで育って、大学に通っているって得意そうに話していた。

カンボジア人移民には個人的に会ったことはない。渡米する前に、カンボジア人はドーナッツ店を経営していることが多い、と聞いた。ちょうどカンボジア・タウンは沿線にある。今度、地下鉄に乗って訪ねてみよう。おいしいドーナツ店も見つかるかもしれない。

ロサンゼルスの中心部では地下鉄だけど、周辺に行くと線路は地上に出てくる。


2013年4月23日火曜日

アメリカの医療保険、高い診察料を実感

妻が移民支援の英会話教室に通い始めて8ヶ月になる。
友だちも増えている。
最近はタイ人の友だちに、おすすめのタイ料理店に連れて行ってもらった。

「おいしかった」と妻は満足して帰って来たが、翌日から、何やら手足にぶつぶつが出てきた。
かゆみもある。いわゆる、じんましんの症状だ。
はっきりとした原因は分からないけど、彼女だけに症状が出ていることから、きっとタイ料理が原因じゃないかという話になった。料理の中に、それまで食べたことのなかった貝があったようだ。
ネットで見てみると、同じような報告をしている人がちらほらいる。

3日ほど様子をみたが、かゆみもひどくなってきたので、ネットで調べた抗ヒスタミン剤の市販薬を購入した。しかし、一日たっても、あまりよくなっていないので、病院に行くことにした。

ただ、病院に行くとなると、うまく英語で症状を説明できるか心配になる。

加入している保険会社のサイトから、保険会社が提携している医師を探すと、近所に日本人の名前の女性医師がいることがわかった。医師の説明欄にも、英語のほかに「Japanese」と「Spanish」が話せます、と書いてある。
アメリカに多くの国から移民が集まっているので、診察で使える言語も医師の選択の重要な要素となる。

さっそく翌朝になって、その女性医師が所属している病院に電話。しかし、「今週はいません」とのこと。妻も、早く適切な処置を受けたいということで、別の医師の個人医院に電話。「今日の午後1時15分はどうでしょう」ということで、そこで診察を受けることにした。


ふだんは妻の方が僕よりだいぶ健康なので、まさか彼女が先に病院に行くとは思っていなかった
妻も医療保険に入っていたので支払いについては何となく安心していたが、いざ病院で診察を受けるとなると、具体的にどのくらいの金額をどのような方法で支払うのかまったく分からず、不安になってきた。

とりあえず、医院に行った。この医院は、いろんな個人医院が入居している病院ビルの6階にある。妻一人でもなんとか説明できる英語力はあるけど、もしものため、ということで、僕も一緒に診察室へ。10分ほど待つと、若い女性医師が入ってきた。症状を話す。

「よくある症状ですね。飲み薬と塗り薬を出しますね。2週間たって、まだ治らなければ、また来てください」

貝やスパイスは一般的にアレルギーの原因になりやすいことや、食べものアレルギーは大人になってから発症することもあることなども話したが、診察自体は10分ほどで終わった。女性医師の名前からユダヤ系かなと思っていたけど、見た感じからも、おそらくユダヤ系アメリカ人の先生と思う。

そして、肝心のお勘定。
受付の若い女性は「あなたの保険カードに、co-insuranceかco-paymentか情報が入っていないので、こちらから保険会社に連絡して、支払内容が分かり次第、ご自宅に手紙を送りますね。だから、今日は何も支払わなくても大丈夫です」と笑顔で言われた。

けど、この説明ではよく分からず苦笑い。ここは確認しとかないといけないということで、いろいろ聞いたところ、この10分の診察のために、230ドルほど支払わないといけない事実が分かった。日本の感覚からすると、めちゃくちゃ高い。

妻の保険の場合、年間350ドルまでは自己負担となっている。この自己負担分を「deductible」という。その金額を超えた医療費は、基本的には保険会社負担となる。というわけで、大きな手術をしたり、一年に何回も診察を受けたりする人には、年間350ドルだけでいい、という理解になる。逆に、今回、初めて医療機関を利用した妻は、230ドル満額を自己負担しないといけない、ということらしい。

しかし、実際には350ドルの自己負担分を払い終えた後も、毎回の診察料の数十%を自己負担しないといけない。これを「co-insurance」という。
また、毎回の診察ごとに、一定金額を患者自身が支払うことを「co-payment」という。残りの費用は保険会社がカバーする。

いずれにせよ、なんとなくややこしい。ただ、ややこしさは生活していれば、いずれ慣れる。やはり考えさせられるのは、この診察料の高さだ。

アメリカ政府の健康管理局(The Agency for Healthcare Research and Quality)によると、2008年の平均的な診察料は一回199ドル。というわけで、妻の診察料が特別高いわけではなく、そもそも診察料の相場が高いわけだ。オバマ大統領が医療制度改革に取り組んだ理由も分かる。

おそらく日本では「日本の診察料は低すぎる」という医療従事者もいるだろうけど、利用者としては現在の日本の診察料は良心的だと実感した。


診察を終えてから、近くの喫茶店に行った。ジェラートが有名だけど、いつもどおりコーヒーだけ頼んだ。
しばらくすると、女性カメラマンが来店して、宣伝用の写真を撮り始めた。ガラスの器にもったジェラートをばしゃばしゃ撮る。撮影し終えたジェラートは、店長の厚意で、そのときたまたま店内にいた客にふるまってくれた。
カシス、リンゴ、パイナップルの三種類。ふつうに買うと7.5ドルとけっこう高いが、食べてみて納得。フルーツをそのままアイスにしたという感じで、風味も食感もすばらしい。

店を出るときに、レジのガラス瓶にチップを入れた。
いろいろ今日はあったけど、いいこともあるな、と二人で話して帰路についた。

※追記。じんましんは一週間ほどして治った。その後、保険会社から今回の支払金額が通知された。もともとの請求金額は150ドルだったけど、保険会社を通した約50ドルの割引があって、実際の支払いは約100ドルになるとのこと。医院で言われた金額の半額以下なので、とてもよかった。

2013年4月16日火曜日

広がるヴィーガン食、人気のインド料理店

アメリカ大学院の留学生活は課題が多い。
一日中、家にこもって本を読んだり、小論文を書いたりすることも珍しくない。
けど、やっぱり気が滅入るので、無理やり外出するように心がけている。

そんな動機で、先日、近所のインド料理店に行った。
ポップな外観から、この店のインド料理はアメリカ風にアレンジされているだろうと想像できた。
けど、インドっぽいカレーとナンが食べられたら満足なので、かまわず入店。三品にコメとナン、ヨーグルトをつけて9ドルのセットを注文した。

三品といっても、ぜんぶカレーだ。チキンカレー、バーベキュー大豆カレー、ジャガイモカレーを頼んだ。デリ形式なので、商品を見ながら注文できた。インド系の若者らが店を仕切っていた。

ジャガイモカレーはなんとなく懐かしい味。チキンカレーはものすごく甘いカレーで、かなり淡泊な鶏肉を使っている。バーベキュー大豆カレーは、名前からして、明らかにアメリカ出身のインド料理だ。真っ赤なカレーで「辛いですよ」と店員に確認されたけど、あまり辛くない。大豆をつぶした疑似ミートボールがごろごろ入っていた。この疑似ミートボールは慣れなくて、珍しく残してしまった。



というわけで、どちらかというとタンドリーチキンみたいなものを期待していた僕にとっては、やや期待外れだったけど、なぜか店内にはどんどんお客が入ってくる。客層も、人種エスニシティ、年齢、性別にかかわらず幅広い。
なんでこんなに客が来るのか不思議に思っていたけど、この店がベジタリアン/ヴィーガンのインド料理店だと分かって納得した。

アメリカ生活を始めて知った言葉の一つが「ヴィーガン(vegan)」だ。
動物関連の食材を一切食べない人のことだ。

ベジタリアンと何が違うのかというと、ベジタリアンの間では、卵や牛乳は食べる人もいるが、ヴィーガンは一切食べない。徹底している人は、はちみつやゼリー(動物由来のゼラチンが入っているので)も食べない。

1960年に設立されたアメリカ・ヴィーガン協会によると、「人間とその他の生き物の倫理的な関係」を重視することがヴィーガン食の基本らしい。
そこにはインド発祥の宗教における「アヒンサー(不殺生)」の精神も組み込まれているという。

僕もアヒンサーの精神は重要だと思うけど、好きな料理は中国料理と韓国料理なので、この店の料理がなんとなく物足りないと感じてしまったのも仕方ない。チキンカレーがあったのは、ヒンドゥー教徒の一部では鶏肉を食べることが許容されているからだろう。また、僕みたいな雑食者の要望に応えることもできる。

僕がヴィーガンという言葉をよく聞くように、ヴィーガン食は近年、一部の人が実践する特殊な食事ではなく、一般的な食事として広がっているようだ。
その背景には、動物性脂肪やタンパク質の摂取が健康に悪影響を与えることが医学的に主張されたり、畜産業における動物の虐待に抗議する声が広がったりしたことがあるらしい。

というわけで、ヴィーガン食を実践する人の理由も程度もいろいろあるけど、こうして実践する人が多いからこそ、このインド料理店もこれだけ人気があるんだろう。

英語版ウィキペディアで「ヴィーガン」と調べてみると、巻きずしもヴィーガン食として紹介されていた。インド料理も日本料理も、アメリカでは一般的なエスニック料理として受け入れられている。もともと穀物や野菜(日本料理の場合、海藻も)だけを使った料理が多いことも、ヴィーガン食が普及しているアメリカで、インド料理や日本料理の人気が高い理由の一つかもしれない。


余談だけど、このインド料理店に行く前に、おしゃれな調理器具・食材店に行った。
冷凍食材コーナーに行くと、冷凍マグロの下に、冷凍カエルが置いてあった。
カエルはフランス料理店で一度食べたことがあり、とても美味しかった記憶がある。
肉食も奥が深い。植物であれ動物であれ、日々、感謝していただきたい。

冷凍マグロ(写真上)と冷凍カエル(写真下)。カエルは4匹で10ドルだった。

2013年4月1日月曜日

復活祭のミサ、カトリックの洗礼儀式、メキシコ系地域

メキシコ人男性の友人の赤ちゃんがカトリック教会の洗礼を受けるということで、洗礼の儀式に招待してもらった。赤ちゃんは生後4ヶ月だ。目がくりんくりんで、とてもかわいらしい。今日はドレスのような服を着せてもらっていた。

赤ちゃんが洗礼を受けた教会は、メキシコ人移民が集住している地域にあった。
洗礼儀式の前には、毎週行われているミサがあった。
この日は復活祭(イースター)だったので、多くの信者がミサに参加していた。

ミサは完全にスペイン語で行われていた。神父が祈りの言葉を述べたり、楽団が讃美歌を歌ったり。この日、誕生日を迎えた女の子がいたので、神父が祭壇近くまで呼び寄せ、参加者全員でお祝いの歌を歌ってあげていた。

復活祭当日のミサには多くの地域住民が参加し、座席が足りず立ち見の参加者もいた。

ミサの最後には、神父が教会を出て入口前に立ち、続いて教会を出てくる信者を待ち受け、それぞれに「Happy Easter」などと声をかけていた。
ちょうどそのタイミングで、軽食やアイスクリームなどを販売する自動車や手押し車が教会前に現れ、参加者らは何かしら子どもらに買い与えていた。

ミサが終わるころに教会前にやってきた手押し車のお菓子屋さん


ミサが終わった午後1時、友人の赤ちゃんの洗礼儀式が始まった。
代父母の男女2人が赤ちゃんを抱え、神父が赤ちゃんの頭に水をかけ、友人夫妻はすぐそばで見守る。
この儀式によって、赤ちゃんは正式にカトリック教徒となる。

代父母は、もしも赤ちゃんの両親が他界してしまったような場合、彼らに代わって赤ちゃんを育てる重要な役割を担う。
スペイン語で、代父はパドリーノ(padrino)、代母はマドリーナ(madrina)と呼ばれる。英語では、代父はゴッド・ファーザー(god father)、代母はゴッド・マザー(god mother)という。

教会には、友人夫妻の両親や姉妹、また友人(僕と妻も含め)も出席し、赤ちゃんがカトリック教徒になったことを見届けた。
赤ちゃんは水を頭にかけられたときは、ちょっと驚いて泣き出しそうになったけど、基本的にはずっとにこにこ興味深そうに周囲を見ていた。

友人夫妻は、ふだんはこの教会には来ないらしい。ただ、復活祭と儀式の日取りが重なったため、近所の教会では手の空いている神父がおらず、自宅から一時間ほど離れたこの教会に洗礼をお願いしたという。

いずれにせよ、そのほとんどがカトリック教徒であるメキシコ系アメリカ人らは、こうした儀式を通して、信仰心だけでなく、家族の絆も強めていっているようだ。


洗礼儀式が終わった後、教会の近所を車でぐるぐる回って様子をみた。
低所得者向けの団地も整備されていて、生活はしやすそうだった。

メキシコ系アメリカ人の間では、壁画(mural)を描く伝統がある。この地域にも、いたるところで壁画を見つけた。
ある壁画(①)は、地域の多目的施設の外壁に描かれていた。メキシコの先住民文化に対する誇りにくわえ、アメリカ国内で生きていくうえでの教育の重要性などがモチーフになっており、かなり見ごたえがあった。

① この壁画は、ちょうど低所得者用団地の玄関を出た正面にある。圧巻だった。
② この壁画も、マヤ文明などメキシコの先住民文化をモチーフにしている。


ちょうどこの日(3月31日)は、1960、70年代を中心にメキシコ系アメリカ人労働者の権利拡大運動を展開したセサル・チャーベス(Cesar Chavez、 1927~1993)の誕生日。大手検索サイト、グーグルのホームペイジのデザインは、チャーベスの記念したものになっていた。

セサル・チャーベスの86回目の誕生日を記念したグーグルのホームページ

2013年3月23日土曜日

メキシコ人の友人、8年ぶりの再会

2004年から10ケ月、カリフォルニア州の大学に学部生として交換留学した。
その大学付属の英語スクールには、多くの日本人学生も語学留学していたため、よく足を運んでいた。
日本人のほかには、韓国人や中国人の留学生も多かった。

そこでメキシコ人男性の留学生に出会った。
彼はメキシコの大学を卒業した後、英語スクールに留学していた。僕と同年代だった。
なんとなく互いの波長が合ったこともあって、すぐに仲良くなった。

クリスマスには、カリフォルニアに住む彼の親族のパーティに連れて行ってくれた。
ちょうどメキシコ人やアジア人移民のことを大学で学んでいたので、メキシコ人移民の家族のつながりを垣間見る良い機会になった。

僕が2005年に留学を終えて帰国した後、彼と連絡を取ることはほとんどなかったけど、留学時代の忘れられない友人の一人だった。

それから7年たった2012年春、とつぜん彼から電子メールを受け取った。
「どうしてるかなと思ってメールしました。いま『サバド・ヒガンテ(Sábado Gigante)』を見てて、ちょうど君のことを思い出したよ。まだこのメルアド使ってるかな。元気でいることを願っています」

「Sábado Gigante」とは、アメリカのスペイン語テレビ局が南北アメリカ大陸で放送しているバラエティー番組。その番組が好きだということを彼に話したことがあった。

メールを受け取ったのは、ちょうどアメリカ大学院留学を4ヶ月後に控えている時期だった。
「もしカリフォルニアに住んでいるなら、現地で会おう」と約束した。


2013年3月22日、ロサンゼルス郡北部の彼の自宅を妻とともに訪ね、8年ぶりに再会を果たした

この間の彼の歩みについて聞いた。

彼が英語スクールで10ケ月ほど学んだ後、カリフォルニア州内でフェンス建付会社やコンクリート会社に勤めた。けど、彼の夢はアメリカの大学で学ぶということだった。
その目標を胸に、厳しい仕事に耐えて、学費を貯金した。
一日20時間働く日も珍しくなく、ほとんど寝る暇もなかったが、お金を使う暇もなかったので、かなり貯金できたようだ。

そして、カリフォルニア州立大学の修士課程に入学し、電子工学を学ぶ。4年ほど前に卒業し、現在は大手企業で技術者として活躍している。
卒業したころに、メキシコ系アメリカ人の女性と結婚。閑静な住宅街に自宅を購入し、4ヶ月前には第一子となる女の赤ちゃんも生まれた。
また、現在はアメリカ市民権(国籍)も取得したという。

アメリカでは、努力を積めば移民であっても成功できる、といわれている。
それは、しばしば「アメリカン・ドリーム」という言葉で説明される。

彼の場合も、まさにそういったストーリーの一つといえる。
しかし、努力すれば誰でも成功できるわけではけしてなく、前提として、努力する能力や機会に恵まれていることも欠かせない要素だ。
彼と再会して実感したのは、そういったストーリーの背景にある努力が、ふつうの努力ではなく、並はずれた努力だということ。また、「いろいろと機会に恵まれた」と感謝する彼だからこそ、地道に努力を重ねて、アメリカで豊かな生活を手に入れることができたのかもしれない。

彼の奥さんも「アメリカで生まれ育った人と比べても、彼ほどの努力を積める人はほとんどいない」と話していた。
そんな彼女の父親も1970年代にアメリカに入国し、何もないところから、自動車部品会社の社長になるまで成功したメキシコ人移民だ。

そんな父親の姿と夫の姿が重なるところもあるのだろう。


この日は金曜日。メキシコ人移民の家庭では、週末には親族が集まって夕食をとることが珍しくない。
というわけで、彼の妻の姉、妹、母親、姪っ子2人に加え、2週間前に孫の顔を見にメキシコから来た彼の母親も集まり、にぎやかな夕食となった。

メキシコ移民の家庭の多くは、カトリック教徒だ。
月末に復活祭(イースター)を控えているため、それより前の40日間の金曜日は肉は食べないという。40日間ずっと肉を食べない人もいるらしい。
というわけで、夕食もエビなど魚介類の炒め物と、コンソメ風味の炊き込みご飯だった。
飲み物は、タマリンドのジュース。くわえて、彼の母親が作ったサボテンの炒め物も出してくれた。

手前の炊き込みご飯は、「ソパ(sopa)」とメキシコでは呼ばれている。
全員に料理が運ばれると、彼が「じゃあ、お祈りをしましょう」と言った。
こうして食事が食べられること、また、家族や仲間と集えることについて、彼が神への感謝の言葉を述べる。
まわりの人たちは目をつぶり、彼の言葉を聞きながら、ともに祈る。
最後は一緒に「アーメン」と言って、胸元で十字架を切ってから、食事を始める。

こういう時間は、心地よい。

来週末には、ロサンゼルス中心部の教会で、彼らの赤ちゃんの洗礼儀式があるということで、招待してくれた。
カトリック教徒にとって、とても大切な日。両親はできるだけ多くの人と祝福を分かち合いたいと願う。

8年前は互いに20代前半の男子学生として知り合った彼と僕。二人とも結婚して4年目だ。
これからは家族も含めて、交流を深めていけたらと思う。

2013年3月2日土曜日

テレビ番組と人種・エスニシティ

アメリカでは、できるだけテレビを見るようにしている。

もともとテレビが好きというのもあるけど、英語のリスニングの練習にもいい。
テレビ画面を字幕設定にしているので、聞き取れない言葉があっても、すぐに画面の下の方を見れば、なんと言ったのか分かる。
新しく知った言葉や表現であれば、メモしておく。
毎日やれば、それなりに英語の勉強になる。

朝は地元テレビ局のニュース番組を見る。
地元密着型なので、視聴率も高い。
朝のニュース番組のメインキャスターは、日系アメリカ人の男性とカナダ人の女性だ。
男性キャスターは、東日本大震災の際は、現地に取材に行ったらしい。
女性キャスターは、日本の人がイメージする黒人とはちがうけど、全国黒人ジャーナリスト協会のメンバーだ。

朝のニュースに限っていえば、天気予報担当と芸能担当はそれぞれ白人男性で、道路交通情報(ロサンゼルスではとても大事)は中国系女性、レポーターはラティーナ(中南米系)女性らいろいろな人たちが担当している。
テレビニュースに登場する人たちの人種・エスニシティはとても多様だ。

こうしたキャスターやレポーターの多様性は、リベラルな印象を与えるためか、アメリカの多くの主要テレビメディアで共通した特徴となっている。

このテレビ局のウェブサイトをのぞいてみた。
「Equal Opportunity Employer (機会の平等を重視して雇用します)」と題して、「私たちは人種、宗教、性別、出身地、年齢や障害の有無によって差別することなく、すべての職種に対して、最適な人材を雇用します」と書いてある。

さきほどの女性キャスターは、2005年に南カリフォルニア黒人ジャーナリスト協会でスピーチした際、ロサンゼルス生活を楽しみつつも、故郷への思いから、カナダ国籍を放棄してアメリカ国籍を取得するつもりはないと答えている。
彼女は、カナダの家庭で養子として育てられた。
カナダ国籍にこだわるのは、カナダに住む育ての親に対する感謝からなのかもしれない。


最近はときどき「Glee」という人気ドラマも見る。高校の合唱部を舞台にしたコメディドラマだ。
2009年に放送開始で、現在はシーズン4が放送中だ。
日本でも2010年から放送され、知っている人は多い。
特徴的なのは、ミュージカルのように、演技中の出演者が突然、歌ったり踊ったりするところ。
それに、歌も踊りもうますぎるため、なかなか飽きない。

このドラマの登場人物は、ニュース番組以上に多様だ。
白人、アフリカ系、アジア系といった人種・エスニシティの多様性だけでない。ゲイやレズビアンといった同性愛者の若者も中心的な役割を果たしているし、身体障害者やダウン症の若者も頻繁に登場して、一緒に歌ったり踊ったりしている。

このドラマは人気脚本家ライアン・マーフィーが中心となって制作している。
マーフィー自身が同性愛者であることも、視聴者を引き付ける「Glee」の脚本につながっているようだ。
雑誌「Vogue」のインタビュー記事で、マーフィーは高校時代の恋愛経験について語っている。当初は取り乱した両親も今ではよく理解してくれているという。
「マーフィーの経験は『Glee』のエピソードの一つのようだ」(同誌)。


ニュース番組にしても、ドラマ番組にしても、テレビの影響は小さくない。
社会的マイノリティに対する偏ったイメージを生み出すテレビ番組がある一方で、多様な個性を認め合う社会のイメージを生み出しているテレビ番組もある。
そんなことに注目して、アメリカのテレビ番組を見るのも興味深い。

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