2013年7月13日土曜日

アジア人移民の歴史、サンフランシスコ・エンジェル島を歩く

サンフランシスコ滞在2日目は、アジア人移民と関わりが深いエンジェル島(Angel Island)に向かった。

エンジェル島は、サンフランシスコ湾内にある小さな島で、サンフランシスコの埠頭から、片道8.5ドルのフェリーで行くことができる。
フェリーはBlue & Gold Fleet社が運営している便を使い、第41番埠頭(Pier 41)を、午前9時40分に出発。約30分ほどでエンジェル島に到着する。その間、海から見たサンフランシスコの街並みが見えるので、ただの交通手段以上に乗船を楽しむことができた。

フェリーからみたサンフランシスコ市街地の景色

エンジェル島は、カリフォルニアをメキシコから獲得したアメリカが軍事施設また検疫所として利用してきたが、1910~1940年には移民管理施設が置かれた。アジアから来る多くの中国人や日本人らの入国審査を受けた場所であり、特にアジア系アメリカ人史においては重要な場所として記憶されている。

現在、島は州立公園に指定されており、その歴史に関心がある人だけでなく、周囲が海に囲まれた島でハイキングを楽しむ人も訪れている。


日本人移民の場合、1907~1908年の日米紳士協定によって、日本人労働者のアメリカ入国は禁止されたが、アメリカ国内にいる日本人の配偶者の入国は許されていた。そのため、紳士協定から1920年まで、かなり多くの日本人女性がアメリカに入国した。

アメリカで暮らす日本人既婚女性は1900年、わずか410人だったが、1920年には2万2千人までに増えた。日本人移民が家族を持ってアメリカに定住していく過程で、女性の移民は重要な役割を担った。
こうした女性たちが入国審査を受けた場所が、このエンジェル島だったわけだ。

彼女たちの多くは、いわゆる「写真花嫁」と呼ばれる人々だった。
写真花嫁とは、太平洋を挟んで行われた、写真による見合いで結婚し、渡米した女性たちのことだ。
結婚願望のある日本人男性が、自分の写真を日本に送り、日本で暮らす男性の家族が、仲介者を通して花嫁を探し、男性不在のまま、見つけた女性との入籍手続を済ます。これで、会ったことない一組の男女は戸籍上、結婚したことになる。

男女が一度も会ったことがないという点が特徴的で、アメリカ社会からは不道徳な行為と批判されたが、当時の日本社会で慣例的に行われていた見合い結婚と似た方法だった。

そして、女性は単身渡米して、サンフランシスコで男性と初めて会う。
しかし、多くの男性が、日本に送る写真を修正したり、まるで他人の写真を使ったりしていたため、本物と写真がまるで違うと感じる女性も少なくなかった。

エンジェル島の資料室に、当時、到着したばかりの写真花嫁たちの写真が展示されていた。
しっかりとした着物を着て、きれいに髪も結っている。その後、新しい生活でさまざまな困難に直面し、男性と別れる女性もいたが、多くの女性は写真で結ばれた男性と添い遂げたという。

エンジェル島に1910年代に到着した「写真花嫁」たちの写真が資料室で展示されていた。


中国人労働者と配偶者のアメリカ入国は1882年の中国人排斥法によって禁止されたが、その後もエンジェル島から入国する中国人はたくさんいた。なぜだろうか。

興味深いことに、それには1906年のサンフランシスコ大地震が関係している。
地震による火災で、サンフランシスコ市内の移民関連記録がほとんど消失してしまった。それをチャンスに、中国人移民の多くが偽の証明書を作るなどして、自分たちはアメリカ市民だと訴えた。
さらに、アメリカ市民の子どもは自動的にアメリカ市民と認められたため、多くの中国人が偽の出生証明書などを手に、エンジェル島からアメリカに入国することになる。

しかし、エンジェル島で移民官から、彼らが本当にアメリカ市民の子孫であるか尋問を受ける。
そこで彼らは、アメリカの中国人移民の家族関係について事前に勉強し、移民官の質問に答えられるように準備していた。

審査中の中国人移民は、エンジェル島内のバラックに収容された。収容人数に対してバラックは狭いうえ、不潔だったため、彼らの一部はバラックの壁に不満や怒りを込めて詩を刻んだという。

移民管理施設跡


僕の旅行に話を戻すが、エンジェル島に到着した直後、痛恨のミスをした。
島の地図を読み間違えてしまい、目的地の移民収容所だった建物がある場所と逆の方向に歩いてしまった。
30分ほど歩いて間違いに気づいて折り返し、どうにか移民収容所の近くまでたどり着いたが、帰りのフェリーの出発時間も迫っていた。ゆっくり関連施設を見学することができないまま、島を去ることになった。

きっとサンフランシスコに行く機会はまたあるだろう。そのとき、もう一回訪ねたいと思う。

※以上の記事は、Brian Niiya, ed. Enclyclopedia of Japanese American History (2001) とRonald Takaki, Strangers from A Different Shore (1998)を参照した。


この翌日は、サンフランシスコから約3時間、東に車で走ったところにあるヨセミテ国立公園に向かい、絶景を楽しむことができた。

マーセド川から見上げたヨセミセ渓谷

・サンフランシスコ滞在1日目の記事は、こちら


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