2014年4月8日火曜日

高層ビルとホームレス、ダウンタウン再開発を巡る問題

ロサンゼルスのダウンタウンの夜景はきれいだ。
高速道路を走りながら輝く高層ビルの群れを眺めていると、少し別世界に来たような不思議な感覚になる。そびえたつ近代的な物体から発せられた無数の光が大都市を照らし出している様子が単純に視覚的にきれいということなんだろう。

ロサンゼルスのダウンタウンの夜景

現実に戻ると、これらの高層ビル群は、ロサンゼルスが世界からかき集めてきた富の結晶であり、グローバル資本主義が生み出す格差の象徴でもある。
その格差を最も激しく映し出している地域は、これらの高層ビル群の足元にある。

ダウンタウンの高層ビル群のすぐ近くに「スキッド・ロウ(Skid Row)」と呼ばれる全米で有数のホームレス集住地域がある。

留学前、ロサンゼルスに用事で来たときに泊まるホテルは、この地域の西端に建っていた。何も知らず、ホテルから少し東へ散歩に行くと、通り沿いにずらっとアフリカ系の人々を中心にホームレスが並んでおり異臭も強く、観光客が歩くような場所ではなかったので、折り返したこともあった。

高層ビル群の足元にあるスキッド・ロウ。歩道にテントを張って人々が暮らしている。
一方、このスキッド・ロウ周辺の地域で、近年急速な再開発(gentrification)が進んでいる。例えば、この地域のすぐ北側には、日本人観光客の多くが足を運ぶ日系コミュニティーのリトル・トーキョーがある。僕がカリフォルニア州の大学へ学部留学していた約10年前はリトル・トーキョー中心部から一ブロック歩くだけで、ホームレスが多く暮らしているという印象だった。もちろん今でもホームレスがリトル・トーキョーへ物乞いに来ることは珍しくないが、再開発によって彼らの寝場所だった場所は、若者が集うおしゃれな飲食店や高級なマンションが並ぶ場所に少しずつ変化している。

大学で学んでいるとダウンタウンの再開発批判はしばしば耳にしていたけど、実際に何が問題なのか十分に分かっていなかった。
先週インターネット有料動画配信サイト「Netflix」で、ドキュメンタリー『Lost Angels: Skid Row is My Home』(2010)を見て、スキッド・ロウに暮らす人々と支援者の視点から、ダウンタウン再開発の問題点について理解を深めることができた。

手短にいうと、スキッド・ロウは精神障害や薬物依存になるなどして行き場を失った人々が最終的に辿り着く場所で、ギャングによる薬物売買などの問題が横行しているものの、そこに暮らす人々にとっては仲間とともに暮らせるコミュニティであるということ。再開発は、彼らが必要としている医療的なケアを施すのではなく、警察によって強制的に彼らを排除することで、その唯一の居場所を奪うことにつながっている、ということ。

ドキュメンタリーは、数年間かけて信頼関係を築いたうえで、多くのホームレスの証言をまとめ、外部から「危険」や「不潔」という印象だけで片づけられそうな地域に、視聴者と同じように、どこかに居場所を求めている生身の人間が暮らしているという現実を伝えることに成功している。

この作品について、大学院の同級生と話した。彼女は、アメリカでは新聞がかつてほど調査報道に労力を割かなくなった反面、ドキュメンタリーがそのような役割を果たしている、と話していた。また、そうしたドキュメンタリー作品制作を支援する民間基金も多い。日本でも「Hulu」などの有料動画配信サイトが増える傾向にあるので、既存テレビ局に加え、個人の映像ジャーナリストによるドキュメンタリー番組も増えていくといいと思う。


ホームレスに関連して、妻が仕事先の喫茶店の話をしてくれた。

その喫茶店には、ときどき白人のホームレスのおばあさんがやって来て、コーヒーを買う。お代わりだと割安なので、彼女は以前に使ったカップを持ってくる。注文時には、いつも「ハチミツとミルクをください」と言う。

ある日、妻が働いていると、そのおばあさんがやって来た。汚れたカップを手にコーヒーを注文。妻が新しいカップにコーヒーを入れて、席に着いたおばあさんのところへ持って行こうとしたとき、一緒に働いていた店長が「これを彼女にあげて」と店のお菓子を一つ妻に手渡した。おばあさんはぼそぼそ言いながら、コーヒーとお菓子を受け取った。

しばらくすると、おばあさんの近くでコーヒーを飲んでいた別の女性客が店を出ようとした。そのとき、その女性客はおばあさんに自分が購入したお菓子とお金を少しあげて去っていったという。

・ドキュメンタリーの公式サイトは、こちら

2014年4月6日日曜日

ミャンマーのイスラム教徒、少数民族の憩いの場

ロサンゼルスで暮らす移民集団は、それぞれ何らかの憩いの場を持っている。
今日、妻と夕食を食べに行った料理店もそういう場所の一つといえる。

「インド料理が食べたいな」と適当にインターネットで調べて、人気のありそうな安めの店「Jusmin Market」へ。
自宅アパートから車で10分弱で到着。さっそくタンドリーチキンセットとチキンカレーセット(各6.9ドル)を注文した。

料理を待っているとき、妻が「ビルマ(ミャンマー)って書いてある」と店内の壁に飾ってあった雑誌の切り抜きを指差した。料理のメニューはインドっぽいので、どうしてミャンマーなんだろうかと思い、記事を読んでみた。

店内に飾ってあった雑誌の切り抜き。「ミャンマー人の隠れ家(的料理店)、ジャスミン・マーケットで、イスラム系ミャンマーの香りを」と書いてある。

記事によると、どうやらこの店はミャンマー人イスラム教徒の料理店らしい。イスラム法に則って調理されたハラール料理を安価で提供し、出身地を問わず、さまざまなイスラム教徒が訪れる。店内にはコーランをモチーフにしたような飾りも置いてあった。

それまでミャンマー人の外見は東南アジア人と東アジア人の間くらいというイメージだったが、この店の店員は南アジア人に近かった。

家族客を中心にどんどん客が増え、店内6席が満席になった。女性客はスカーフを被り、男性客もイスラム教徒の伝統的な服装の人がちらほら。子どもたちは英語を話していたので、きっとアメリカ育ちなんだろう。店長のおじさんは大人には母国語で、子どもたちには英語で話しかけていた。

イスラム教徒の伝統的な服装で来店した親子(写真左)

記事によると、ロサンゼルス郡西部にはミャンマー料理店は少ないらしい。ロサンゼルスで暮らすミャンマー人イスラム教徒にとって、この小さな料理店は家族や仲間と楽しく時間を過ごす貴重な場所になっている。

注文した料理が運ばれてきた。ビルマ風カレーは、カレースープのような感じですっきりした味わい。料理と一緒に緑色のドレッシング2種類もついてきた。一つは唐辛子とヨーグルトを混ぜたようなもの、もう一つはミントと何かを混ぜたようなもので、どちらも何か分からないけど、タンドリーチキンにかけて食べると、チキンのスパイスと混ざって美味しかった。

タンドリーチキン(写真手前)など料理は全て使い捨ての皿に盛られてくる。水もセルフサービス。堅苦しくなくて居心地がいい。


ミャンマーの人口は約6千万人。その9割が仏教徒で、残りがイスラム教徒やキリスト教徒だ。

NHKが昨年、ミャンマー国内の仏教徒とイスラム教徒の対立について特集を組んでいる。
バングラディシュ国境に隣接するミャンマー西部にイスラム教徒は多く、多数派のビルマ族と異なる民族の人々が多いという。ミャンマー国内では近年、一部の仏教指導者の活動やビルマ族の自民族中心主義によって、少数派のイスラム教徒を排斥する運動が強まり、対立が深まっているらしい。

インド料理店と勘違いして訪ねたミャンマー料理店。思いかげずミャンマーのイスラム教徒について知る機会を得た。日本を含めて、ほとんどの国に少数派の人々がいる。あまり知らない国について考えるとき、まず、そうした少数派の状況を把握するように心がけていきたい。

・NHKの特集を紹介したサイトは、こちら

2014年4月5日土曜日

日本語を教える、日系人の子どもと交流

妻が一ヶ月ほど前から、ロサンゼルスにある日本語学校で働いている。
週末に3時間半、日系人の小中高生7人に日本語を教えている。
第二次世界大戦前に渡米した日本人移民の子孫である日系5世の生徒もいる。
妻のように数年前に渡米した日本人と、100年近く前に渡米した日本人の子孫が交流するよい機会にもなっている。

日本語を教える仕事は妻にとって初めての経験だ。
生徒の一部は日本語をある程度話せるが、多くの生徒は話すにしても書くにしても練習が必要だ。
子どもたちにとって分かりやすいように、文法的な説明は英語でしている。

先週は数の数え方を勉強した。
英語では「one, two, three」で済むところが、日本語では「いち、に、さん」が「ひとつ、ふたつ、みっつ」になったり、「ひとり、ふたり、さんにん」になったりする。
さらに車なら「一台、二台、三台」で、紙なら「一枚、二枚、三枚」と数字の後ろにくっ付ける言葉も変化する。

その日は、生徒から「動物はなんて数えるんですか」と質問があった。妻は「いっぴき、にひき、さんびき」と答えたが、動物の種類によっては「いっとう、にとう、さんとう」と呼ぶこともあると教えた。

英語にはない助詞の使い方を理解するのも難しい。
別の生徒は「なんでいろんな意味の『に』があるんですか。なんでこんなにややこしいの」と言った。たしかに「だれだれに話す」「どこどこに行く」「どこどこにある」など「に」はややこしい。いくつか違う使い方を説明した後、妻は「英語を勉強している人には英語の前置詞もややこしいんだよ」と付け加えた。

各46種類のひらがなとカタカナだけでなく、漢字もたくさん勉強しないといけない。妻は日本語を教える経験を通して、文字の種類や数の多さなど、その難しさを改めて実感している。

「子どもたちの注意をひきつけるのがたいへん」という妻。昨年の夏まで一年間、通っていた英語教室の先生の教え方を参考にしている。ずっと教室の前で解説するのではなく、生徒それぞれに日本語で話しかけたり、生徒をグループに分けて会話練習をさせたりしている。先週は「バスケットボールとサッカーとどちらが好きですか」「〇〇のほうが好きです」という会話の練習をした。

授業の合間の休み時間には、生徒の保護者らがハワイ出身の日系人の間で生まれたスパムおにぎりなどを売りに来る。学校では、年明けの餅つきやひな祭りなど日本の伝統行事も行う。妻いわく「そうした行事は日本の子どもたちよりもたくさん経験してそう」と話す。

授業内容を考えたり、宿題を作ったり、初めての作業でたいへんなこともあるけど、日系人の子どもたちと交流しながら、日本語を外国語として理解する機会になっている。日本では、日本語を教えることに関心がある人のための日本語教育能力検定試験がある。妻も「いつか受験できたらな」と話している。

2014年3月17日月曜日

アメリカで根付くインド神話、近所の寺院でイベント

午後4時半、妻と自宅近くのインド系食料品店に行った。
その食料品店は、お手頃価格のインド料理も人気。店長らしきインド人のおじさんが初めて来たという客に「ここで20年以上、商売してるんだよ」と自慢げに話していた。
僕らは屋外の座席でチャイ(1ドル)を飲みながら、それぞれ読書した。

この店はインド人だけでなく、白人やアフリカ系、僕らアジア系を含めて、いろんな客が来る。
この日はインドの民族衣装サリーを着ている非インド系の女性がやたら多かった。

軽く2時間ほど読書した後、日が暮れる前に帰ろうと席を立った。
帰り際、ある建物の前に人が集まっていた。インド人と思われる人が大半だけど、それ以外の人種・エスニシティの人たちもいる。スペイン語も聞こえてきた。

来場者は靴置き(写真右)や入り口付近で靴を脱ぎ、裸足で会場に入っていった。

建物に近づいてみると、にぎやかな音楽と歌声が建物内の会場から聞こえてきた。
誰でも中に入って良さそうな雰囲気だったので、靴を脱いでから会場に足を踏み入れた。

太鼓やシンバルの音が響き渡る会場を100人近い人々が埋め、音楽に合わせて飛び跳ねたり、両手で空を仰ぐようなしぐさをしたりしている。サリーを来た白人女性もたくさんいた。会場前方の舞台では、宗教指導者のような人たち数人が儀式を取り行っていた。

会場内は人々の熱気とお香の香りで独特の雰囲気に。

大音量でノリノリの会場を興味深く眺めていると、インド人らしきおじさんが耳元で声をかけてくれた。

「もっと前の方に行ってもいいよ」
「ありがとうございます。みなさん何を祝っているんですか」
「今日はグルの誕生日です。グルはここの創設者です」

おじさんの案内で、盛り上がっている人々を避けながら、会場前方に向かうと、等身大のグルの座像が置かれていた。
グルとは、サンスクリット語で、導師や教師などの意味がある。英語でも、なんらかの分野の権威的指導者のことを指す言葉として使われている。

しばらくして音楽が終わると、参加者らはそっと座像に触れてから会場の外に出ていった。ここは、この人たちにとっての寺院らしい。儀式の後は、無料で食事が提供されるのか、紙皿を持った人たちが別の建物の前に100メートル以上の列をなしていた。


建物の外で、この教団に関係する本やDVDを売っているコーナーがあった。そのコーナーの若い男性に「ヒンドゥー教の寺ですか」と聞くと、「宗教というよりも、哲学です。いろんな人たちがいるでしょ」と答えくれた。

この教団は、グルであるインド人宗教家スワミ・プラブパーダ(1896~1977)が1966年にアメリカで創設したクリシュナ意識国際教団(International Society for Krishna Consciousness)という有名な団体らしい。最高神は、インド神話の英雄で、ヒンドゥー教の神の化身であるクリシュナ。世界に500ヶ所以上の拠点があり、ビートルズのジョージ・ハリソンも信者の一人だったという。この日の会場には1960年代後半のヒッピーのような白人も多かった。

その拠点の一つがたまたま近所にあったようだ。帰宅後に調べると、今日はグルの誕生日ではなく、この教団にとって重要なインドの聖人の528回目の誕生日だったらしい。大音量でおじさんの言葉を聞き間違えたのかもしれない。

いずれにせよ、インド神話と関わりの深い信仰がアメリカ大陸で根付き、人種や文化の違いを超えて受け入れられている状況は、信仰と移民の関係を考えるうえで興味深い。

2014年3月6日木曜日

マイノリティのアメリカ人学生、日本旅行へ

この春、海外研修旅行で日本に行くアメリカ人学部生約20人と話をした。

彼らの多くはアフリカ系やラティーノを中心としたエスニック・マイノリティで、カリフォルニア州の外に出たことがない。さらに、彼らはそれぞれの家族の中で、初めて大学に進学した若者たちで、アメリカでは「first generation college students」と呼ばれている。今回、彼らが参加する海外研修旅行は、こうした学生たちに海外について見聞を広める機会を与えようと、僕の通う大学が企画したものだ。

学生らが食文化体験ということで、おにぎりとお好み焼きを食べた後、僕ともう一人の日本人留学生の二人が彼らの質問に応えた。

日本の男女関係はどうか。
日本でLGBTの権利はどんな感じか。
日本の政治家に求められる資質はなにか。
野球は日本の文化にあっているのか。
日本でラティーノはどんなイメージを持たれているのか。
ヤクザは何をしているのか。
・・・・・・
・・・

なかなか一口に答えにくい質問が多かったけど、アメリカに比べてどうか、という文脈でできる限り説明した。

あるアフリカ系の学生が「日本で変なやつ(weird)って思われる人はどんな人ですか」と質問してきた。この質問については、他の学生も、どういう文脈の質問が分かりにくいと指摘。いろいろ話していると、結局、「日本ではどういう人がいじめられるのか」という質問になった。これもこれで難しい。

やや苦し紛れに「周りと違うことをするといじめの対象になることもある」と答えた。するとラティーノの学生が「日本のことわざだったと思うけど、出る杭は打たれるってやつですか」とちょうどいい説明を付け加えてくれた。よく知っているなあ、と感心した。

外国人留学生として海外生活を送ると、今回のように「日本人」としての役割を担うケースも少なくない。日本について質問された場合は、自分の経験や確実な知識に根差した答えを、いろいろな答えの一つとして、慎重に説明するように心がけていきたい。


お好み焼きの具材は、この日のイベントスタッフの大学院生が準備してくれた。日系スーパーで売っている薄切りの豚肉が必要と事前に伝えていたものの、実際には調理済みの中華風チャーシューを準備していた。これをお好み焼きにして食べてみると、けっこうおいしかった。お好みでなんでもいれていいんだ、と再確認した。

2014年2月24日月曜日

移民社会の求人広告、点在する異文化な日常

妻が「英検」の口頭試験を受けるということで、試験会場のあるトーランス市に一緒に向かった。「英検」はロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンで海外受験ができる。この日も小中高生を中心に多くの受験生が集まった。

僕は近くの喫茶店に車を止めて待つ。1時間半ほどして妻が帰って来たので、トーランス市北側のガーデナ市にある人気台湾料理店に行った。


この台湾料理店の店名は「沸點臭臭鍋」。いかにも臭そうな店名だが、料理も臭い。台湾名物の臭豆腐を中心に肉や野菜を煮込んだ鍋料理が人気で、この日もたくさんの客が店の前に並んでいた。客層はアジア系が中心だけど、ラティーノも食べに来ていた。ランチタイムは約9ドルで台湾風紅茶もついてくるのでお得だ。


臭臭鍋

食べ終わった後、この店が入居している建物の別の飲食店を見て回った。日本、中国、韓国、ベトナム、タイなどアジア系を中心に飲食店が15店舗ほど入っている。いくつかの店は店頭にアルバイト募集の張り紙を出していた。

ある韓国料理店は「Help Wanted!」とだけ書いている。ある日本料理店は日本語の縦書きで「ウェイトレス募集」と書き、日本人の女性のアルバイトを探しているようだ。別の韓国料理店はスペイン語で「Se Necesita Ayudante de Lavaplatos y Cosina」と書き、ラティーノにアピールしている。広告を見比べてみるだけでも、この移民社会で、どういう人々がどういう場所で働くのか垣間見ることができる。


異なる言語で書かれたアジア系飲食店の求人広告

そのスペイン語の張り紙を見て、妻が「食器洗いと料理人の募集でしょ」と言った。彼女は昨年、自宅アパート近所のアダルトスクールでスペイン語を勉強していた。まだまだスペイン語で会話する力は足りないけど、スペイン語の張り紙の意味が分かるだけでも大したものだと感心した。



台湾料理店から車で5分ほど行ったところに、1952年開業のイタリア食料品店「Giuliano's in Gardena」がある。現在、ガーデナ市内で暮らすヨーロッパ系白人は少ないが、この店は創業者の子孫であるイタリア系アメリカ人家族が切り盛りしている。

屋外の光が店内を照らし、雰囲気もいい。

店内には、手作りのパンやケーキ、パスタに加え、ソーセージやチーズなどの加工品も豊富に取り揃えている。「トルピード(魚雷)」というロールパンのサンドイッチも有名で、注文コーナーで客が列をなしていた。せっかくなので、わが家もジュニアサイズ(8インチ)を約5ドルで注文。さらに、手作りホウレンソウ生パスタ(約2.7ドル)とティラミス(約3ドル)も購入した。この店の人気は新鮮さと品質に加え、この低価格が支えている。

ティラミス、ホウレンソウ生パスタ、人気の「トルピード」はすべて手作りだ。


僕も妻もトイレに行きたいということで、この店を出て、すぐ近くのスーパーマーケットへ。店員や客層、商品からメキシコ系スーパーだと分かる。ただ、生鮮野菜コーナー横の天井から、ラテンアメリカのパーティでおなじみのピニャータ(お菓子の入った紙製の人形)がずらっと吊るされているスーパーは初めて見た。レジ近くを観察すると、ラテンアメリカへの送金窓口などラティーノが必要とするサービスも整っていた。

生鮮野菜コーナー横の天井から吊るされたピニャータ

たまたま店内にトイレも見つかり、助かったところで、帰路についた。日本だったり、台湾だったり、イタリアだったり、メキシコだったり、異なる文化空間が狭い地域に点在し、緊張と調和が共存している状況が、ロサンゼルスの景色の一つといえるだろう。外国人の僕にとっては刺激的な日常だ。

2014年2月2日日曜日

日系団体ボランティア、若者が担う日本語教室

日系アメリカ人が多く暮らすガーデナ市で、日系団体ジャパニーズ・カルチュラル・インスティテュート(Japanese Cultural Institute)のイベントに参加した。
この団体で活動するボランティアスタッフを招待した感謝イベントだ。僕は昨年2回しか活動に参加できなかったので恐縮したが、せっかくの貴重な機会なので参加することにした。


イベントが始まる午後1時。丸テーブルがいくつも並べられた会場に、ボランティア約130人が集まった。ほとんどが日系人。僕は団体代表者のすすめで、若者たちの多いテーブルに座った。

僕の両隣に座っていた日系の高校生や大学生は、この団体の日本語教室のボランティアアシスタントをしている。団体の前身は、1912年に設立された日系2世のための日本語学校だ。現在の活動は高齢者に対するサービスが中心となっているが、今でも毎週土曜日に子どもたちが日本語を勉強している。日本語の先生が授業する間、アシスタントの若者が子どもに寄り添って、ひらがなやカタカナの書き方などを教えているという。彼らも幼いころは、この日本語教室で学んでいた。こうして100年以上続く日本語教育の伝統を若者たちが引き継いでいる。同じテーブルには、日本語を勉強している白人の若者もおり、彼もアシスタントとして活躍しているらしい。

僕の向かい側には日本語を話す高齢の女性が座っていた。その女性は両親の移民先だったフィリピンで生まれ、戦後は九州からアメリカ占領下の沖縄に渡った後、1960年代後半に渡米。戦時中は5カ月間、フィリピンのジャングルで生活したという。この団体のイベントに来ると、戦争を経験した人に出会うことが多く、とても勉強になる。


しばらくすると、ステージで余興が始まった。

アジア系アメリカ人のコメディグループによる即興ネタだ。観客からお題を受け付けて、即興で短い喜劇を演じる。例えば、シンデレラの物語をアクション映画風に演じたり、自動車強盗を試みたペリカンを演じたり。アメリカ独特のスタイルの即興ネタで、なかなかおもしろかった。

このグループの役者は中国系や日系を含むアジア系。アメリカのテレビを見ていると、アジア系を含めて異なる人種エスニシティに対するステレオタイプが笑いのネタになることもしばしば。しかし、この日のネタでアジア系に関わるものはなかったし、仮にアジア系に対するステレオタイプをネタにしても、アジア系の内側から社会を皮肉るような視線で笑いをとるんだろう。そうしたある種の安心感がアジア系の観客としっくりくるということもあって、この日、彼らが招待されたのかもしれない。


約2時間のイベント。日系ボーイスカウトの少年たちが昼食を配膳したり、お茶を入れて回ったりしてくれた。最後は参加者にTシャツを配ってくれた。前面には団体名、背面には「感謝」というロゴが印刷されている。

それぞれ参加者は席を立って帰る準備。戦時中の話をしてくれた女性は帰り際に「がんばってくださいね」と声をかけてくれた。