2015年11月1日日曜日

ロサンゼルスで出産、移民看護師が支える医療現場

最近、ロサンゼルスの病院で妻が出産した。移民を含む多様な人々によって支えられているアメリカの医療現場について理解を深める機会にもなった。

出産予定日を4日過ぎても陣痛が来ないため、妻が産婦人科クリニックを訪ねると、インド出身の医師から「羊水の量が減っているから、すぐにでも(出産予定の)病院に行ったほうがいい」と指示された。

大学の授業中に妻からメールを受け取った僕は、授業後の午後3時半からのオフィスアワーをキャンセルして、すぐに電車に飛び乗った。駅で待っていた妻とお義母さんと一緒に車で病院に向かった。アメリカでは、出産前に妊婦が通院する産婦人科クリニックと実際に出産する病院が異なる場合が少なくない。

病院はカリフォルニア州でも屈指の大病院「Ceders-Sinai Medical Center」。ビバリーヒルズ近くの病院で有名人も出産の際に利用するという。その病院は僕たちが指定したわけではなく、たまたま妻の産婦人科クリニックが提携している病院がそこだった。駅から20分ほど走ると、ユダヤ教のシンボル「ダビデの星」を掲げた大きな病院に到着した。

この病院は、1859年にロサンゼルスに移り住んだプロイセン王国出身のユダヤ人企業家カスペアー・コーンが1902年に設立した。1970年代には、美容業界の発展に貢献したユダヤ人マックス・ファクターの財団の寄付で、現在のメイン病棟が建設されたという。この病院はアメリカにおけるユダヤ系移民の成功を象徴する施設でもある。


病院に着くなり、妻は早速、超音波で羊水の量を改めて確認してもらう。白人女性の助産師さんは「羊水が少ないわね。この少ない状況で自宅で陣痛を待つのはよくないわ。陣痛促進剤を打って、今日生みましょう。ちょっと驚いたかもしれないけど、この方法しかないわ」とのこと。妻も僕も予定日を過ぎてまだかまだかと思っていたので、驚くというより、ありがたいという感じだった。

それから陣痛分娩室(labor and delivery room)へ。アメリカでは陣痛室と分娩室の区別はない。陣痛分娩室はアットホームな雰囲気の個室だ。必要な医療器材一式に加え、トイレやシャワー、テレビも付いている。まずは若い黒人女性の看護師さんが部屋を準備し、午後6時くらいに30歳代の白人女性の看護師さんが交代でやってきた。彼女がオキシトシンという子宮を収縮させるホルモンの入った点滴を妻の左手に打ち始めた。

「ロサンゼルスでは何をしているんですか」と彼女に聞かれたので、博士課程で歴史学を勉強していることを伝えると、「私も学部は歴史学専攻だったんですよ。弁護士になろうと思っていたけど、弁護士の仕事は向いてないと思って看護師になったの。こうやって赤ちゃんを世の中に出すお手伝いをする素晴らしい仕事だと思っているわ」と気さくに話してくれた。

午後9時くらいに彼女が「他の妊婦さんの出産が始まったから、別の看護師に引き継ぐわ」と言って、別の20歳代の白人女性に交代した。その後、陣痛がいよいよ強まり、妻が歯を食いしばる時間が増えたので、アメリカでは一般的な無痛分娩のための麻酔エピデュラル(epidural)を受けることになった。

エピデュラルを担当したのはインド系の麻酔科医。麻酔の作業をしつつ、「一日だけ私も京都に行ったことがあるわ。自転車に乗っている年配の女性が多いですね」と日本旅行の思い出を話してくれた。麻酔を始めてから15分ほどで妻の腰から下の感覚がほとんどなくなった。そのまま順調に子宮口も開いていった。

赤ちゃんの頭が見えてくるまで、医師は部屋にいない。それまでは看護師さんと僕が二人で、麻痺している妻のひざを持ち上げて、「One, Two, Three...Ten」と数えて妻がいきみやすいように手伝う。僕はそれを午前4時から1時間以上続けたので「立ち会い」というより分娩チームの一員という感じだった。無痛分娩で痛みはほとんどないものの、いきまないことには出てこない。いよいよというところで、病院勤務の産科医の女性が駆けつけて、赤ちゃんを取り出すと、最初は何か喉に詰まっていたけど、すぐに「ウンギャー」という産声が響いた。

出産分娩室の窓ガラス越しに見えるショッピングモールの背後から、赤ちゃんにとって初めての日光が差し込んできた。


分娩を終えると、産後ケアの個室(postpartum room)に移動した。妻を担当してくれた看護師さんは韓国出身の50歳代の女性。赤ちゃんの世話の仕方についてきめ細かく教えてくれた。いつも笑顔いっぱいで、妻も安心したらしい。授乳の仕方については「フットボールでやりましょう」と、フットボール選手のように妻の脇に赤ちゃんを挟んでお乳を飲ませる方法などを優しく教えてくれた。僕には赤ちゃんを布でミノムシのようにくるむ方法を教えてくれた。ちょうどカリフォルニアのメキシコ料理ブリトーみたいで、出産直後に別の看護師さんも「ちっちゃいブリトー(little burrito)ね」と言っていた。フットボールとブリトーが登場するアメリカらしい産後指導だ。

韓国出身の看護師さんは、僕たちが日本人だったので「私の母親は大阪で生まれたの。ちょうど最近亡くなったんです。父親が一年前に亡くなって母親は寂しくてしていたんでしょう」。僕らの赤ちゃんを見て「日本人の赤ちゃんは小さいことが多いけど、この子は大きいねえ」とニコニコ話してくれた。

彼女が午後7時ごろに勤務を終えると、代わりにフィリピン出身の30歳代の看護師さんがやってきた。赤ちゃんの体重を測るため、僕は妻を部屋に残し、ナーセリーという赤ちゃんの経過を確認する部屋に看護師さんと向かう。赤ちゃんを見失ったり、取り違えたりしないため、母親と父親の腕と赤ちゃんの脚には、同じ情報が記載されたタグをつける。看護師さんは僕と赤ちゃんのタグをそれぞれ確認したうえで部屋を出た。ナーセリーには赤ちゃんが二人ほどいたけど、出産後に新生児室に赤ちゃんを集めることが一般的な日本と違って、アメリカでは出産から退院まで基本的に母親と赤ちゃんは引き離されない。僕も簡易ベッドを出してもらい部屋に泊まれたので、一時的に大学に行ったものの、妻と赤ちゃんと一緒にいることができた。

産後ケア室では一泊目だけ夫の僕にも夕食を提供してくれた。

そのフィリピン人の看護師さんが翌朝まで世話してくれた。その後、出産2日後の朝まで、別のフィリピン出身の看護師さんが二人続いた。2008年のデータでは、ロサンゼルス郡で働く看護師のうち、フィリピン系は27%を占め、白人の35%に次いで多い。1960年代以降、フィリピン国内の雇用不足とアメリカ国内の看護師不足が合わさって、アメリカで働くフィリピン人看護師が増えた。1989年には一部のフィリピン人看護師に対して永住権を取得しやすくする法律も整備された。一方、1990年代の研究によると、アメリカ人看護師より所得が高いフィリピン人看護師の数は少なくないものの、それは夜勤や救急救命といった厳しいシフトに回されている結果であり、必ずしもフィリピン人看護師が平等に扱われているわけではない、という指摘もある。実際に僕らが産後ケア室にいた二泊三日は、どちらの夜も夜勤はフィリピン人看護師だった。夜勤して支えないといけない家族がアメリカにもフィリピンにもいるのだろう。


退院の朝、三人目のフィリピン人看護師から、40歳代後半くらいの細身のロシア人看護師に交代した。

妻は退院後に家の近所の小児科クリニックに通うことになっているけれど、なかなか医師と連絡がつかない。仕方ないので、妻はクリニックの留守電に伝言を残しておいたものの、予約が取れるか微妙なところだった。そんな状況に、ロシア人看護師は「きっと医院から折り返しの電話はないでしょう。アメリカは日本と違うの。私は日本人の労働倫理が好きよ。決めたらちゃんとやるでしょ。ロシア人もそうよ。決めたら実行よ」とロシア語なまりの英語で痛快に語る。それだけならいいけれど、僕と廊下を歩いているときに出会った他の看護師や医師にも「彼は日本人よ。私のイメージ通り。私は日本人の労働倫理が好きなの」と言って回るので、なんだか小恥ずかしくなった僕は「そんなことないです」と小さな声を挟むことしかできなかった。

結局、出産から退院まで代わる代わる10人の女性看護師のお世話になった。白人が4人、フィリピン人が3人、韓国人が1人、ロシア人が1人、黒人が1人。言いかえると、アメリカ出身者が5人で、海外出身の移民が5人だ。妻の出産を通して、多様な背景の人材が集まってアメリカの医療が支えられているという現実を垣間見ることができた。

見ている限りでは、看護師と医師との関係は主従関係というよりは、いい協力関係という感じで、移民であろうがなかろうが、看護師の立場に敬意が払われているような印象を受けた。人種・エスニシティの違いで役割分担が異なるアメリカの社会構造を根本的に変えるわけではないものの、アメリカの医療現場は移民が社会に包摂されていく現場となっている。

妻も看護師さんたちのおかげで安心して退院できたようだ。子どもが大きくなったら、お世話になった看護師さんたちの話をしてあげたい。

・病院創設者については、こちら
・病院の歴史については、こちら
・フィリピン系看護師の割合については、こちら

2 件のコメント:

  1. アメリカで完全にアメリカ式の方法で出産する経験は貴重だと思いました。
    私の知っている日本人で出産された方は、日本人医師がいたりする病院に行く方が多く、病院側の対応も多少違ってくるような気がしました。

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    1. コメントありがとうございます。特に初産だと不安も多いでしょうし、言語などの点で安心できる日本人医師のいる病院を利用する方が多いのでしょうね。妻の場合、たまたまいい環境で出産できたので病院の方々に感謝しているところです。

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