2012年8月6日月曜日

アメリカ入国審査、「自由」の国の緊張感

映画「ゴッド・ファーザー Part II」では、主人公マイケル・コルレオーネの父ヴィトが20世紀初頭の少年時代、ニューヨークのエリス島で入国審査を受ける場面がある。身寄りのないイタリア人少年ヴィトは、どうにか入管職員に名前を伝え、健康診断を受けた後、無事に入国を果たす。彼の「ファミリー」の物語はここから始まる。

その映画を航空機内で見た僕は、2012年8月、サンフランシスコ国際空港で入国審査を受け、留学生活をスタートさせた。ヴィトの時代とちがって、アメリカには飛行機で簡単にいけるものの、パスポート、ビザ、その他関連書類、指紋読取、顔写真撮影…と審査の手続き(これらの書類を準備する手間を含め)はより複雑だ。

ただ、こうした書類は事前にアメリカ政府機関などのチェックを受けているため、実際の審査では「渡米の目的は」「どのくらいの期間」「どこの大学で勉強するのか」「現金はいくらあるか」と基本的なことしか質問されない。最後は「Good luck, sir」の一言でパスポートを返してもらい、無事に入国することができた。

それでも、アメリカの入国審査にはちょっとした緊張感がある。とくに19世紀末ごろから今日まで、多くの人々が、この「自由」の国に入国したいと強く願い、実際に入国してきた一方で、この国は何らかの基準で一定の人々の入国を厳格に拒み続けてきた。日本人も1965年まで原則的にアメリカに入国できなかった。

たしかに、アメリカに到着し、入国審査のために列をなす人々を眺めていると、外見も言葉も本当にさまざまだ。100年を超す、こうした景色の連続が、アメリカの入国審査になんらかの緊張感を与えているのかもしれない。


移民の国で移民の歴史を勉強する。ネットがあるから、アメリカにいても、日本にいても、一般的な情報はだいたい同じくらい手に入る。そんな時代に留学するのだから、ネットで手に入らない、アメリカ生活のなかで垣間見られたり、にじみ出てきたりする歴史にできるだけふれたい。そのために、できるだけ歩きたい。面白いことがあれば、またここで紹介したいと思う。

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