2015年4月15日水曜日

ペルー料理店と日本の工場、アメリカで見つけた「宝物」

ロサンゼルスに住んで2年8カ月になる。お気に入りの飲食店もいくつかできた。
その一つがベニス通り沿いのペルー料理店。2年前に妻のペルー人の友だちが美味しいと教えてくれた。

この店に来るのは、この日で4回目。何度か通ううちに店員女性も最初からスペイン語で声をかけてくれるようになった。いつも通りシーバスのセビーチェ(Ceviche)とロモ・サルタード(Lomo Saltado)を注文した。セビーチェは生の魚介類をレモン汁や香辛料で和えたもので、ロモはフライドポテトと牛肉を醤油などを使って炒めた料理だ。

ところで、厨房の棚にまねき猫が2匹置いてある。なんなんだろうと今日、女性に聞いてみると「(シェフが)好きなのよ。彼は11年間、日本で暮らしていたのよ」。
1990年の入国管理法の改正で、ペルーから日本の働きに来た人々の一人かもしれない。

食事を終えて、そのシェフがお会計を持ってきてくれたので、「日本で暮らしていたらしいですね。どこに住んでいたんですか」と声をかけると「名古屋です」とのこと。
料理が美味しいので、きっと日本でも料理店を開いていたんじゃないんだろうかと思ったけど、「いや、日本ではずっと工場で働いてたよ。トヨタ車の部品を作る工場で」と教えてくれた。
日本の景気が後退したので、その後、アメリカに渡ってきたという。

ロサンゼルスではペルー人を含めたラティーノが差別を受けることもしばしば。だけど、こうして自分の店を構えて好きな料理を作っていることに満足しているらしい。「高級車は持っていないけど、この料理が僕の宝物です」。

セビーチェは中南米で広く食べられているけど、ペルーのセビーチェは特に美味しいと思う。シェフは「寿司も日本人が作ったものが美味しいと思うでしょ。セビーチェも味を知っているペルー人が作ったほうが美味しいと思う」。こだわって食材の一部もペルー産のものを使っているらしい。

いろいろ10分ほど話をした。同じ飲食店に通っても、そこのシェフと話すことは少ない。その人が日本で暮らしたことのある人となると余計に少ない。

世界経済は投資や技術革新だけでなく、国境を超えて自分や家族のために働く生身の人間に支えられている。
シェフもペルー、日本、アメリカと世界各地を転々と暮らすなかで多くの苦労があったと思う。けど、今は、このベニス通りの一角に、自分の人生の「宝物」を見つけたということだから、この店ができるだけ長く続いてほしい。また食べに行こう。

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