2015年1月11日日曜日

カリフォルニアの農業、オアハカ州出身の先住民労働者たち

この間、夕食を食べに近所のオアハカ料理店に行った。
オアハカ料理とは、メキシコ南部太平洋岸にあるオアハカ州の料理のことだ。

インターネットで事前に調べていた料理2品とオルチャータ(horchata)という米で作った甘い飲み物を注文した。
一品目はポソレ(pozole)という鶏肉などを煮込んだシチューで、刻んだキャベツやシラントロなどを加えながら食べる。

ピリッと辛みの効いたポソレ。約11ドルだった。アチョーテ(achiote)という赤いスパイスを使っているんだろう

二品目はトラユーダ(tlayuda)というピザのような食べ物。パリッと焼いたトウモロコシ粉の薄い生地にペースト状の豆、オアハカンチーズ、キャベツ、アボカド、肉などをのせたもの。

直径30センチほどの大きなトラユーダ。約13ドルだった。

ポソレは3年前にメキシコ旅行に行ったときにメキシコ・シティーで食べたけど、この料理店の方が辛さが効いていて美味しかった。
トラユーダは豚肉と牛肉、チョリソー(ソーセージ)の三種盛り。モッツァレラチーズのような弾力のあるオアハカンチーズも気に入った。

僕と妻が席に着いた午後6時ごろはまだ空いていた店内も一時間もすると満席に。値段も手ごろで美味しいから人気なんだろう。

だいぶ量が多かったので、それぞれ半分くらいを持ち帰った。


このオアハカ料理店は繁盛していたけど、カリフォルニア州で働くオアハカ州出身移民の状況はかなり厳しい。

カリフォルニア農業地域研究所が2007年にまとめた報告によると、カリフォルニア州には最低10~15万人のオアハカ州出身者がおり、農業労働者に占める割合が増えているという。特に20世紀初頭から多くの移民を送り出してきたメキシコ北西部の州と異なり、オアハカ州には先住民文化が色濃く残り、今でも多くの住民がミステク語などを話す。多くの先住民が、人口増加や市場経済の影響で現地で生活できなくなり、カリフォルニア州に仕事を求めて移り住んだものの、貧しく厳しい生活を送っている。

南カリフォルニア大学アネンバーグ・スクール(コミュニケーション/ジャーナリズム学)が彼らの状況を10分ほどのビデオ報告にまとめている。ある先住民の男性は「毎日、8時間から9時間、働きます。給料は週に350ドルほどです」とスペイン語で話す。彼らは年間収入は5千~1万2千ドルでカリフォルニア州の貧困ラインを大きく下回る。

都市部から離れた農業地域で働くカリフォルニア州の移民労働者たち

州政府は労働者が休めるように農場に日よけテントを設けたり、トイレや水を準備したりするように規定しているものの、農家が守らないケースもあるという。ある女性はミステク語で「日陰がぜんぜんないときもある」と話す。

この女性がミステク語でインタビューに答えているように、先住民は英語がまったく話せないだけでなく、スペイン語を十分に話せない人も多いという。そのため、労働契約書が読めなかったり、病院に行っても医師や看護師の説明が分からなかったりと多くの困難にぶつかる。ビデオ取材を受けた支援団体は健康診断に加え、スペイン語の無料授業も行っている。

メキシコ経済が支えきれなかったメキシコの先住民がアメリカで生き抜くためにスペイン語を学ぶ。このことは、メキシコの先住民がメキシコとアメリカの両国で格差の底辺に追いやられていることを示している。

さらにアメリカがメキシコとカナダと締結した北米自由貿易協定(1994年発効)によって安いトウモロコシがアメリカから流入し、オアハカ州の小規模農家の生活が成り立たなくなったという指摘もあり、先住民がアメリカに向かう構造的な原因はアメリカを中心とする新自由主義経済の拡大にも見出せる。

自宅アパートや大学の近くにはオアハカ料理店がいくつかあり、どの店も外観が小ぎれいで素敵な感じ。さまざまなエスニック料理店があることは、カリフォルニア移民社会の魅力だ。こうした表向きの魅力の裏側に、少なくとも140年以上前から日本出身者も含めて移民農業労働者が支えてきたカリフォルニア移民社会の搾取の歴史がある。

(ちなみに、かつて僕が訪ねた農家は州の労働基準をしっかり守っており、労働者との関係も良好でした。)

農業地域研究所の報告は、こちら
ビデオ報告は、こちら
北米自由貿易協定とオアハカ先住民の移民については、こちら

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