2013年12月21日土曜日

移民都市ロサンゼルスの日常、挑戦から学ぶ

今日で大学院留学2年目の秋学期が終わった。
今学期はロサンゼルス史の授業とチカーノ/ラティーノ研究の授業を受けるとともに、初めてティーチング・アシスタント(TA)にも取り組み、学部生にカリフォルニア史を教えた。

ロサンゼルス史の授業は、大量の歴史資料を保管している文化施設ハンチントン図書館(Huntington Library)の一室で受けた。その日だけ車を使ったが、それ以外はいつも通り電車で通学した。

ある朝、電車に乗ると地元小学生の団体が乗り込んできた。電車に乗るやいなや大騒ぎする子どもたち。「ごめんなさいね~(Sorry guuuys!)」と女性教員が他の乗客に声をかける。子どもらの人種・エスニシティは、ヨーロッパ系、アフリカ系、ラティーノ、東アジア系、南アジア系とさまざま。子どもたちは自然史博物館の最寄り駅で降りて行った。

その後、電車は大学キャンパス前の駅に到着。駅から大学キャンパスへは横断歩道を一つ渡らないといけない。車道を走る自動車は一台もなかったけど、僕を含めて、学生たちは赤信号が青信号(実際は白信号=写真)に変るのを待つ。学生たちの人種・エスニシティも小学生たちと同じで多様だ。それぞれの祖先を辿れば、世界各地にたどり着くだろう。

信号が変わると、学生たちは黙って横断歩道を渡り始めた。

安全を示す歩行者用の信号は、歩行者の形の白い電光で表示される。

今学期の授業は、こうして多様な背景を持つ人々が信号で立ち止まり、また動き出す移民都市の日常を、非日常として歴史的に考える機会になった。


一方、妻は新しい挑戦として菓子店でアルバイトを始めた。家計をサポートするだけでなく、現地の人々と一緒に何かに取り組むことで、アメリカ社会について理解を深め、英語を練習する貴重な機会だ。

妻は昨年1年間は移民対象の英語教室に通って、メキシコや中国、タイなど出身の仲間たちと交流を深めた。今でも月に数回は彼女たちと一緒に遊んでいる。そんな仲間たちも今年からそれぞれ仕事を始めているらしい。今回の妻のアルバイト探しでも、外国人や日本人の友だちがアドバイスをくれた。

外国人は、外国人同士のネットワークを生かしつつ、現地の生活に溶け込んでいく。
公費で運営されている英語教室は、外国人に言葉を教えるだけでなく、こうした外国人同士のネットワークを生み出す基盤にもなっている。


今日、妻は菓子店に向かい、基本的な業務の練習をした。同僚は親切な人たちばかりらしい。
僕は昼過ぎから大学に向かい、TAで担当した学部生の成績について教授と最終確認をした。

作業を終えると午後6時。ほぼ常夏といってもいいロサンゼルスでも、この季節の朝晩は冷え込む。ダウンタウンから帰りがけの妻が車でキャンパスまで迎えに来てくれた。

ささやかな打ち上げということで、そのまま自宅アパート近所のタイ料理店に車で向かった。妻はタイカレー、僕は平たい米粉麺パッキーマオ(写真)を食べた。こういう一日はありがたい。

平たい麺の料理パッキーマオ。唐辛子を漬けた酢をかけて食べた。

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