2012年5月1日火曜日

国境の町ティフアナ

20116月に米国との国境に接するメキシコ北端の町ティフアナを訪ねた。

アメリカ南端のサンディエゴから国境をまたがる歩道橋を渡って、鉄格子の回転扉を二つ抜けるとメキシコだ。

午前10時過ぎ。メキシコ人もサンディエゴからティフアナへ向かう。
となりを歩く50歳代の女性に聞くと、彼らはサンディエゴで働くメキシコ人通勤者らしい。
毎日、国境を行き来する。

観光ブックに書いてあったように、メキシコでは処方箋なしで販売できる薬の種類も多いため、ティフアナには薬局がやたら多い。
ある薬局の男性店主が「ヴィアグラ、ヴィアグラ」と声をかけてきたが、「まだヴィアグラは必要ないよ」と答えると笑っていた。

光地の革命通りは500メートルにわたって土産物店が並ぶ。
日本人とわかると「タダミタイナモノ」「アミーゴ、ミルダケ」とにぎやかだ。
「ヤマモトサン!」という掛け声は秀逸だった。思わず足を止めたくなる。

革命通りを一筋西側にいくと、現地の人々の生活が垣間見える。
市場では、トウガラシやチーズなどが所狭しと並ぶ。
教会にたどり着いた。なかでは、500人以上の住民が神父の説教を聞いている。
しかし、外が騒がしい。
教会の前の通りで、10人ほどのバンドが歌を歌っている。
近づいてみると、警察官のバンドだ。のりのりで歌もうまい。

近くの屋台で1ドル10セントの焼きトウモロコシを買った。
メソアメリカ文明ではトウモロコシは神聖な存在だったというので、メキシコではかならず食べようと思っていた。
レモン汁と塩、それからチリソースをかけてかじりついた。
日本の焼きトウモロコシとはちがって、粒が乾いていて硬い。
食感は、がりがりがり、という感じだ。

警察官バンドのステージ裏側の通りを入ると、雰囲気が変わった。
かなり派手な化粧の女性らが手持無沙汰に建物に寄りかかっている。
建物には「酒場」や「ホテル」と書いてある。
あとで観光案内書のスタッフに確認したが、ここがティフアナの「ソーナ・ロッハ(赤線地帯)」のようだ。
「教会のすぐ近くにあるんですね」と聞くと「いやそうじゃないの。ここら一帯がそもそもソーナ・ロッハなのよ」。

ついでにティフアナの観光客について聞くと、アジア人がもっとも多く、ドイツ人、オーストラリア人、カナダ人、アメリカ人と続くらしい。
たしかにさっき革命通りで、5060歳代の中国人約20人の団体観光客を見た。
成長著しい中国経済を象徴しているのかなと思ったが、ある土産物店の女性店主は「彼らはぜんぜんお金は使わないのよ」と不満げだった。

だいたい中心部は見たので、ご飯を食べて帰ることにした。
帰り際のメキシコ料理店で、エビと野菜のメキシコ風炒め物、ともいうべき一品を頼んだ。小麦のトルティージャに挟んでいただく。これはいける。
しばらくすると、インディオ系の少女が1ペソ(当時8円相当)のガムを売ってきた。
まあいいや、と買うと、3人、4人と集まってきた。
しまいに「水を買って」「1ドルちょうだい」と止まらない。
なんとかしてあげたいけど、切りがないので、ほどほどに対応した。
少女らは610歳。平日は学校に通っているらしい。

料理店ウェイターのおじさんと小一時間話した。
「メキシコでは貧乏に生まれたら、ずっと貧乏。裕福ならずっと裕福」というおじさん。
家計を支えるため、アメリカに出稼ぎに行ったことがあるが、1年で帰ってきたらしい。いまでも生活は厳しい。
それでも「お金はなくても、メキシコ人がメキシコで住めるのは幸せなことだと思う」と話していた。

家族や友人とともに住み慣れた「場所」で安心して暮らしたい。
そんな当たり前のことを人が願うとき、果たして、そこで本当に安心して暮らし続けることができるのか。
そんなことも移民をめぐる不平等な現実を量る一つの指標のように思われた。

チーズや香辛料などが所せましと並び、地元の買い物客でにぎわう市場=ティフアナ、2011年5月撮影

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