2013年3月2日土曜日

テレビ番組と人種・エスニシティ

アメリカでは、できるだけテレビを見るようにしている。

もともとテレビが好きというのもあるけど、英語のリスニングの練習にもいい。
テレビ画面を字幕設定にしているので、聞き取れない言葉があっても、すぐに画面の下の方を見れば、なんと言ったのか分かる。
新しく知った言葉や表現であれば、メモしておく。
毎日やれば、それなりに英語の勉強になる。

朝は地元テレビ局のニュース番組を見る。
地元密着型なので、視聴率も高い。
朝のニュース番組のメインキャスターは、日系アメリカ人の男性とカナダ人の女性だ。
男性キャスターは、東日本大震災の際は、現地に取材に行ったらしい。
女性キャスターは、日本の人がイメージする黒人とはちがうけど、全国黒人ジャーナリスト協会のメンバーだ。

朝のニュースに限っていえば、天気予報担当と芸能担当はそれぞれ白人男性で、道路交通情報(ロサンゼルスではとても大事)は中国系女性、レポーターはラティーナ(中南米系)女性らいろいろな人たちが担当している。
テレビニュースに登場する人たちの人種・エスニシティはとても多様だ。

こうしたキャスターやレポーターの多様性は、リベラルな印象を与えるためか、アメリカの多くの主要テレビメディアで共通した特徴となっている。

このテレビ局のウェブサイトをのぞいてみた。
「Equal Opportunity Employer (機会の平等を重視して雇用します)」と題して、「私たちは人種、宗教、性別、出身地、年齢や障害の有無によって差別することなく、すべての職種に対して、最適な人材を雇用します」と書いてある。

さきほどの女性キャスターは、2005年に南カリフォルニア黒人ジャーナリスト協会でスピーチした際、ロサンゼルス生活を楽しみつつも、故郷への思いから、カナダ国籍を放棄してアメリカ国籍を取得するつもりはないと答えている。
彼女は、カナダの家庭で養子として育てられた。
カナダ国籍にこだわるのは、カナダに住む育ての親に対する感謝からなのかもしれない。


最近はときどき「Glee」という人気ドラマも見る。高校の合唱部を舞台にしたコメディドラマだ。
2009年に放送開始で、現在はシーズン4が放送中だ。
日本でも2010年から放送され、知っている人は多い。
特徴的なのは、ミュージカルのように、演技中の出演者が突然、歌ったり踊ったりするところ。
それに、歌も踊りもうますぎるため、なかなか飽きない。

このドラマの登場人物は、ニュース番組以上に多様だ。
白人、アフリカ系、アジア系といった人種・エスニシティの多様性だけでない。ゲイやレズビアンといった同性愛者の若者も中心的な役割を果たしているし、身体障害者やダウン症の若者も頻繁に登場して、一緒に歌ったり踊ったりしている。

このドラマは人気脚本家ライアン・マーフィーが中心となって制作している。
マーフィー自身が同性愛者であることも、視聴者を引き付ける「Glee」の脚本につながっているようだ。
雑誌「Vogue」のインタビュー記事で、マーフィーは高校時代の恋愛経験について語っている。当初は取り乱した両親も今ではよく理解してくれているという。
「マーフィーの経験は『Glee』のエピソードの一つのようだ」(同誌)。


ニュース番組にしても、ドラマ番組にしても、テレビの影響は小さくない。
社会的マイノリティに対する偏ったイメージを生み出すテレビ番組がある一方で、多様な個性を認め合う社会のイメージを生み出しているテレビ番組もある。
そんなことに注目して、アメリカのテレビ番組を見るのも興味深い。

・Vogueの記事は、こちら


2013年2月25日月曜日

アメリカの日本人留学生、アメリカ人留学生はどこへ

この間、大学キャンパス中央の広場で、大きな日章旗を掲げたイベントブースを見つけた。
近づいてみると、この大学の日系人学生クラブが開いた日本文化イベントだった。
訪れた学生らが巻きずしを食べたり、折り紙や習字を体験したりして楽しんでいた。

「週末も別の催しがありますよ」と、女子学生スタッフが声をかけてきた。
「土曜日はちょっと参加できません」というと、「じゃあ、とりあえずこれをあげますね」と白地に赤い文字で「Japan」と書かれたゴム製リストバンドをくれた。


大学では歴史学科の同級生に日系アメリカ人3世の友だちがいる。
ただ、日本から来た留学生にキャンパスで出会うことはほとんどない。
「なんか日本から来た学生っぽいな」という学生を見ることもほとんどない。

この大学で経営学を学ぶ日本人留学生は、中国人や韓国人に比べて、経営学修士課程(MBA)における日本人の存在感はぜんぜんないと話す。
また、別の大学で経営学を学ぶタイ人留学生も「アメリカに来て日本人留学生が少ないのでちょっと意外だった」と言っていた。

アメリカで学ぶ日本人留学生は1997年秋~1998年夏、4万7千人で世界最多だった。
しかし、2011年秋~2012年夏は1万9900人まで減った。
昨年11月、朝日新聞デジタルのニュース見出しは「米大学への日本人留学生2万人割れ、中国人は19万人に」。
現在はアメリカで学ぶ留学生としては中国人(19万4千人)が世界最多だ。それにインド(10万人)、韓国(7万2300人)、サウジアラビア(3万4100人)、カナダ(2万6800人)、台湾(2万3200人)、日本と続く。

アメリカで学ぶ日本人学生が減っている理由は、いろいろ。ネットで検索すれば、さまざまな調査結果を見つけることができる。僕の学部交換留学と大学院正規留学の経験などからいうと、〇長期間の就活、〇高い留学費用、〇大学などの不十分な留学支援制度、〇少子化、〇アメリカの相対的なイメージ低下などが、ぱっと思い浮かぶ。

文部科学省の2012年のまとめによると、日本人留学生の総数も2004~2009年は下り坂らしい。アメリカで学ぶ留学生は2009年以降も減少し続けているので、おそらく留学生総数もその傾向にあるだろう。


一方、アメリカ国際教育機関(Institute of International Education、IIE)によると、アメリカで学ぶ留学生数は、基本的には増え続けており、2011年秋~2012年夏は合計76万4500人に及ぶ。

ところで、逆に外国で学ぶアメリカ人留学生は何人くらいいるんだろか。
2010年秋~2011年夏は、前年同期比1.3%増の27万4千人だったという。
人気の留学先は1位がイギリス(3万3200人)。イタリア(3万人)、スペイン(2万6千人)、フランス(1万7千人)とヨーロッパ諸国が続いた後、中国(1万5千人)が登場する。

こうしてアメリカ人留学生の行先を見ると、アメリカ人が一般的に描く世界観の一部が透けて見えなくもない。アメリカと中国は政治的には一定の緊張感があるが、文化的な人的交流はかなり進んでいることもわかった。

ちなみに、日本へのアメリカ人留学生は、おそらく東日本大震災の影響もあってか、前年同期比33%減の4100人で、14位だった。興味深いことに、僕が高校時代に留学したコスタリカは、日本では知名度がかなり低いものの、そこで学ぶアメリカ人留学生は7200人で8位だ。おそらく、観光気分でスペイン語を学ぶ地域として人気があるんだろう。

まだ、IIE調査の最新版は出ていないが、東日本大震災後のアメリカ人留学生数はどの程度、回復したのかも気になるところだ。

留学とは個人レベルでは一方通行でも意味はあるが、国レベルでは互いに学生を送りあうほうが、望ましい文化外交のように思う。そういう意味では、日本から海外に出ていく留学生だけでなく、日本にやってくる留学生や彼らをサポートする仕組みについても注目していきたい。

※ちなみに、アメリカ人留学生の行先は、中国の後に、オーストラリア、ドイツ、コスタリカ、アイルランド、アルゼンチン、インド、南アフリカ、メキシコ、日本、ブラジル、イスラエル、ギリシャ・・・と続く。

2013年2月15日金曜日

近所を散歩、ファーマーズ・マーケットで買い物

毎週日曜日、自宅アパートのすぐ近くの通りで、ファーマーズ・マーケットが開かれている。
ファーマーズ・マーケットとは、農家直売の野菜や果物にくわえ、ジャムなど手作り食品を売る露店が集まる催しで、ロサンゼルス郡内の多くの地域で開かれている。
食材の安全性や品質にこだわる人は、ファーマーズ・マーケットでの買い物を好む。

先日、妻と一緒に出かけてみた。
通りの120メートルほどの短い区間を歩行者天国にして、30店舗ほどの露店が並ぶ。

通りの一部を歩行者天国にして開かれる

通りに足を踏み入れると、最初に見つけたのは、小さな移動動物園のようなもの。
ヤギやブタが放されている柵の中で、子どもたちが干し草のエサを与えるなどして遊んでいる。

動物に囲まれる赤ちゃん。かわいらしい。

果物店には、オレンジやイチゴなどが試食用に用意されている。
ライムを10個ほどを1ドルで買った。
男性店員は、客とは英語、仲間の店員とはスペイン語で話していた。
隣の別の果物店は韓国系移民の女性らが仕切っていた。

しばらく歩くと、「ちょっと試食どうですか」と中東系移民のおにいちゃんが、何かディップソースをのせたトルティージャ・チップスみたいなものを手渡してくれた。
おにいちゃんによると、レンズ豆(lentils)をつぶして作ったディップソースで、中東地域では一般的という。
調子にのって12種類のうち、4種ほどを試食した後、ニンニク味のディップソースを4ドルで買って帰った。材料を見ると、ニンニクのほかに、バジル、パセリ、松の実、キャノーラ油を混ぜてつくっているらしい。刻んだトマトなどと一緒に食べると、さらにおいしい。
ヒヨコ豆(chickpeas)をつぶしたディップソースであるハムス(hummus)とはちがうみたいだ。

レンズ豆をつぶしたディップソース


ファーマーズ・マーケットからアパートに帰る道すがら、小さなスーパーマーケットに立ち寄った。
ここは妻が仲良くしているメキシコ人がすすめてくれたメキシコ系スーパー。
一般的なスーパーでもメキシコ料理の食材は手に入るけど、ここは種類も多く、値段も良心的だ。
店内はメキシコの音楽が流れ、もちろん店員も客も基本的には中南米出身者だ。

芋の仲間のユカ(キャッサバ)を購入。コスタリカ留学時代もよく食べた。近所のキューバ料理店で食べたような、ユカの揚げ物を作ろうかと思っている。
1個35円ほどのアボカドも二つ買った。

ユカやココナッツなどメキシコで一般的な食材が並ぶ。
トマトも新鮮だ。この小さくて縦長のトマトは「Roma Tomato(ローマトマト)」という種類らしい。

このスーパーの奥には、テーブルが二つ置かれた食事コーナーがある。
タコスやブリトーなどの軽食を食べることができる。
タコスは1枚1.25ドル。牛肉(carne asada)入りのやつを一枚注文して食べた。
「どこでお金を払うんですか」と女性店員に聞くと、「レジで伝えて」とのこと。完全に自己申告制らしい。そこらへんのゆるさも気に入った。

牛肉タコス。トルティージャは通常2枚ついてくるので、二人で一口食べるのにはちょうどいい。

レジに進むと、スペイン語を勉強中の妻に、「compré un taco(タコス1枚買いました)」って言ってみよし、と言って、バトンタッチ。うまいこと笑顔でレジを切り抜けることができたようだ。


その約2週間後、もっとがっつりメキシコ料理が食べたい、ということで、車で10分ほど行ったところにあるメキシコ料理店「El Super Taco」へ。ここも妻のメキシコ人の友人のおすすめだ。

僕は特製ブリトー(約6ドル)を一つ。妻はタコス3枚(1枚1.25ドル)を注文した。シラントロ(パクチー)やチリソースは取り放題だから、好みで味を調整して食べることができる。

店内のテレビはメキシコの昼ドラ(Telenovela)を放送。店員はもちろんメキシコ人だが、客層は多様だ。

特製ブリトーは、牛肉、グアカモレ(アボカドで作ったペースト)、豆、米、レタス、トマト、サワークリームがはち切れそうなくらい入っている。食事の最後の方は、こちらの胃袋もはち切れそうになった。

かなり大きなブリトー。注文から5分ほどでテーブルまで持ってきてくれた。

これまでタコスは自宅で作ることが多かったけど、1枚1.25ドルなら、メキシコ料理店で食べた方が安くつきそうだ。また、メキシコ料理欲が高まったら、食べに行こう。

2013年2月2日土曜日

市民権への道筋、非合法移民問題、アメリカ移民制度改革

オバマ大統領が1月29日、移民制度改革への姿勢を明らかにした。

現在、アメリカには1100万人以上の非合法移民が暮らしている。非合法移民問題に対応するための移民制度改革の実施は、オバマ大統領の主要政策の一つだ。

オバマ大統領の改革案は主に、①国境警備の強化、②非合法移民労働者の雇用を防ぐ取組、③非合法移民に対する市民権付与(合法化)、④外国出身の企業家、大学院生のアメリカ国内における起業や就職の支援、の4点だ。

これは1986年、レーガン大統領時代に制定された移民改革管理法(Immigration Reform and Control Act)と基本的に似た内容となっている。当時も増加する非合法移民対策として、同法が制定された。

今回の改革案と1986年法で異なる点の一つは、③の項目において、幼いころに親に連れられてアメリカに不法入国した若者たちに対して、軍隊に入隊、または大学に入学した場合に、合法化手続きを迅速に行うという点だ。これはオバマ大統領が一期目の2010年、通称「ドリーム法」の法案として提出したものの、共和党の反対で廃案となっていた。

ということは、また今回も廃案になるんじゃないか、と思う人もいるだろう。もちろん、その可能性はなくはないとしても、今回はちょっと状況がちがう。


昨年11月の大統領選では、失業率8%という現職にとっては厳しい状況にあったにもかかわらず、マイノリティ集団、女性、また若者を中心に幅広い支持を得たオバマ大統領が大差をつけて再選を果たした(白人男性の4割もオバマ支持)。

選挙戦において、オバマ大統領は非合法移民の若者を合法化する必要性をくりかえし訴えた。それも含めて再選を果たしただけに、オバマ大統領の移民制度改革に対して、共和党も簡単に無視できない状況になってきたわけだ。

くわえて、国勢調査局は2042年には白人の人口比率が過半数を切ると予測。多くの移民を抱えるマイノリティ集団を無視して、今後の選挙を有利に進めることはなかなか難しくなってきていることも、共和党の姿勢の変化に大きな影響を及ぼしている。

それもあってか、今回のオバマ大統領のスピーチ前日に、上院の超党派グループが、大統領の政策とほぼ同様の政策案を発表した。共和党のジョン・マケイン上院議員もメンバーの一人だ。ただ、民主党と共和党が上院ほど協力的でない下院では、今後、どういう議論がなされるのか。
オバマ大統領が「改革の詳細については非常に厳しい議論となるだろう」というように、まだ楽観はできない状況といえるだろう。


しかし、今回の上院グループとオバマ大統領の発表は大きな一歩でもある。
ロサンゼルスを中心に活動する移民支援団体「CHIRLA」の担当者は、地元テレビ局のニュース番組に出演し、「市民権取得への道筋(a pathway to citizenship)」という言葉が大統領の口から聞いたのは、この20数年間で初めてだ、と期待を込めていた。

・昨年11月の大統領選挙の関連記事は、こちら

2013年1月30日水曜日

アメリカ人の「忠誠心」、血筋や出生地だけでなく

「血筋や生まれ(出生地)だけでなく、建国の理念に対する忠誠心だ」
(What makes someone American is not just blood or birth, but allegiance to our founding principles)

オバマ大統領は29日、移民制度改革に関するスピーチにおいて、ある人がアメリカ人(市民)である条件として、「忠誠心(allegiance)」の重要性をあげた。

今日の世界では、資本、サービス、情報、そして人間が国境を激しく行きかい、かつてのように血筋や出生地で国家のメンバーを決めることの意味が徐々に薄れてきている。そうした世界の変化を、大統領の言葉は象徴しているともいえる。

移民制度改革についてスピーチするオバマ大統領


この地球に新しく生まれた子どもが、アメリカ人であるためには、①アメリカ人の子どもであること、または②アメリカで生まれたこと、が基本的な条件だ(細かい追加条件もある)。
①は血統主義、②は出生地主義といわれている。とくに、アメリカでは歴史的に出生地主義が多くの移民を受け入れる原動力となってきた。
ちなみに日本は血統主義のみ。外国人が日本で子どもを産んでも、その子どもは外国人のままだ。

今日でも、アメリカ国籍(市民権)があれば、将来子どもがアメリカの大学にいくときに有利だろう、などの理由から、出産時にアメリカに滞在する外国人も少なくない。また、かりに親が非合法移民であっても、子どもがアメリカで生まれたら、その子どもはアメリカ市民だ。
この出生地主義は、アメリカ国内に暮らす人々の平等な権利を確保する基盤として重要視されている。

実は、このアメリカの出生地主義。もともとは「忠誠心」と深い関わりがある。


イギリスの植民地だったアメリカが1776年に独立した後、そもそも誰が「アメリカ人」なんだ、という話になった。イギリスと戦った人々は、独立のために命をかけて戦ったんだから、そのままアメリカ人に。しかし、独立後にアメリカに来た外国人はどうしたらアメリカ人になれるのだろうか。

当時のアメリカ国内には、外国人は信用できないから、受け入れは慎重にするべきだという声も強かった。しかし、できたての農業国アメリカが発展するには、マンパワーがないと始まらない。移民受入は新国家の生命線というわけで、外国人がアメリカ市民になるための条件を定めた帰化法が1790年できた。

その条件は第一に「自由な白人」。自由というのは、奴隷などではないということ。そして、「アメリカ国内に2年以上暮らしている」という条件も。さらに1795年の改正で、必要なアメリカ滞在期間は5年に引き伸ばされた。

アメリカ独立宣言は「すべての人は平等」と建国の理念を高らかに宣言しつつも、アメリカ経済を支えていた黒人奴隷にくわえ、白人以外の外国人も「アメリカ人」になることは許されなかった。「自由な白人」という条件が解消されるのは、なんと1952年。アメリカ人になる帰化条件は、162年もの間、かなり人種主義的なものだった。


くわえて、アメリカ人であれ、外国人であれ、アメリカで子どもを産んだ場合、その子どもは何人になるのか、という問題もあった。

ここで出生地主義が関係してくる。つまり、アメリカで生まれたら、誰の子どもでもアメリカ市民。そして、その理由が「アメリカで生まれ育ったなら、アメリカに対して自然と忠誠心があるにちがいない」というものだったわけだ。

そういう意味では、単純にアメリカで生まれたからアメリカ人というのではなく、そういう子どもはアメリカに自然と「忠誠心」があるからアメリカ人というのが、出生地主義の始まりだったわけだ。
ちなみに、この「自然と忠誠心があるにちがいない」という仮定は、イギリス植民地時代の考え方も影響しているらしい。イギリス植民地に生まれたのであれば、生まれながらにして「イギリス臣民」である、と。
その後、出生地主義は、南北戦争(1861~1865年)後に定められた憲法修正第14条に明記されることとなる。

オバマ大統領がアメリカ人の条件を、血筋や出生地だけでなく「忠誠心」も重要だと宣言し、やや新しい時代を感じさせた。しかし、歴史的にはアメリカ人になるためには常に「忠誠心」が問われ続けてきたのだ。

今後、移民制度改革については、アメリカ議会で具体的な議論が始まる。

(スピーチの詳しい内容は、おそらく次回に)
世界中から移民が集まるロサンゼルス=旅客機の窓から、2013年1月10日撮影

2013年1月28日月曜日

ロサンゼルスで、トライリンガルに

ロサンゼルスにある大学院に僕が通っている傍ら、妻は近所にある移民支援の英語教室に通っている。地域のカルチャースクール(こちらでは adult school と呼ばれている)が提供している。

今月から2学期目がスタートした。彼女は前学期(9~12月)に受講していた英語中級(月~木曜・1日3時間)と英会話(金曜・3時間)に引き続き、参加している。

授業料は今学期から少し値上がりした。英語中級と英会話をどちらも受けた場合、授業料は今学期から20ドル値上がりして40ドルになった。といっても、安いのには変わらない。カリフォルニア州の財政が悪化する前は無料だったとのこと。


さらに妻は今学期からは、毎週火曜日、英語教室後に同じカルチャースクールのスペイン語教室(初級)にも参加し始めた。
「ロサンゼルスはスペイン語を話す人が多いから、こっちで仕事を始めたときに使えるかな」と思って挑戦したらしい。

授業料は3月までの授業10回(1回2時間)で125ドルだ。
英語教室に比べると割高だけど、それでも日本国内のスペイン語教室に比べれば、かなり安い。
ちなみに日本国内大手の外国語教室では、スペイン語の授業を計20時間受講した場合、4万円強になる。

スペイン語教室の先生はチリ人男性。生徒は15人くらい。年齢は20~70歳代と幅広く、男女ほぼ半々だ。妻以外の生徒は、英語の流暢さから、アメリカで生まれ育った人が多そうだ。
授業は英語で進められる。

スペイン語の教科書は13ドル。たまたま自習用に事前に買ったテキストが教室の教材と同じだった。

最初の授業で、生徒らはスペイン語の勉強を始めた理由をそれぞれ話した。
「ビジネスで使うので」「スペイン語圏に旅行に行くから」という理由が大半。ある女性は「大学時代はフランス語を勉強していたけど、今はスペイン語が必要だから、スペイン語をやっておくべきだったわ」と話していたらしい。

妻が自己紹介で「日本人です。英語教室にも行ってます」と言うと、先生は「日本語はスペイン語と発音が似ているから覚えやすいかも」と言ってくれた。
たしかに、スペイン語は「一つの子音+一つの母音」のセットで一つの音節をつくることが多く、発音は日本語に近い。
ただ、英語の感覚でアルファベットを読むとひっかかることも。たとえば、「ge」は「ヘ」は「ja」は「ハ」と発音する。
また、「yo」は「ジョ」「ヨ」に聞こえたり、「lla」は「ジャ」「リャ」と聞こえたり。
それでも「基本的には英語より発音は覚えやすい」と妻は話す。

スペイン語は英語のbe動詞にあたる動詞が、「ser」「estar」と二つある。

妻にとっては、スペイン語の授業が英語で進められるので、英語も同時に勉強しているようなもの。次の学期は、スペイン語中級の授業をとれるように、がんばりたいと話している。


このカルチャースクールは、スペイン語の他に、フランス語と、意外にも日本語の教室もある。
スペイン語の授業で、ある生徒が「なんで日本語なんですか」と質問すると、先生は「たぶん日本の経済力が強いからじゃない。でも今なら中国語だよね」と答えた。

日本人の間でも、おそらくスペイン語や中国語を学ぶ人の数は増える傾向にあるだろう。
ロサンゼルスにはスペイン語や中国語を話す移民の人口がものすごく多い。
その意味では、ロサンゼルスは英語とともに、第二外国語を学び、トライリンガル(三ヶ国語を話す人)になるには、とてもいい環境といえるだろう。

2013年1月21日月曜日

番外編・コスタリカの移民労働者、都市部でも増加

コスタリカは中央アメリカに位置する国だ。
人口は約460万人、面積は日本の7分の1、言語はスペイン語、主要な宗教はカトリックだ。
豊かな自然環境や高品質なコーヒー栽培にくわえ、軍隊を持たない国としても知られている。

僕は2000年2月~2001年1月、高校3年生の時期に、この国のオロティナという町で留学生として生活した。
それから13年たった今月上旬、妻と一緒に再訪した。
2004年に一度訪ねて以来、8年ぶり3回目だ。

このブログの番外編として、コスタリカにおける移民労働者について、簡単に書いておきたい。


1月4日午後2時、コスタリカのフアン・サンタ・マリーア国際空港に到着した。
ホストファミリーの両親と18歳の弟が空港まで迎えに来てくれた。

コスタリカのあいさつのキスは、どっちのほっぺだったけな、と忘れかけていたが、お母さんと再会すると、自然と自分の右ほっぺをお母さんの右ほっぺにつけてあいさつできた。
男性同士は握手だけど、女性と男性、女性と女性の場合は、ほっぺをつけて軽く「チュッ」と音を出してあいさつする。

空港近くの首都サンホセの街中を少し散策した。
コスタリカの大手パン店といった懐かしい店にくわえ、2000年当時はなかったジーンズブランド「Levi's」の店舗などもあった。マクドナルドの店舗数もかなり増えているらしい。

サンホセの街中では新しい店も増えてにぎやかだ。かつてはタクシーが列をなして排気ガスだらけの地域もあったが、いまは中心部は歩行者天国になっているという=サンホセ、2013年1月4日撮影


しばらく街中を歩いていると、お父さんがある方向を指さした。
民族衣装のような服を着た先住民系の女性3人が路上に立っていた。
「彼女たちはパナマのインディオで、最近増えているんだよ。農業労働者として来た人もいるんだけど、多くの人は街中でお金を乞うて生活している」

パナマはコスタリカの東どなりの国だ。
僕が留学生だった13年前、パナマの先住民をサンホセの街中で見かけたことは一度もなかった。
今日の世界では、多くの人々は自分の生まれ育った場所で昔ながらの生活がしたくても、外部から安い商品が入って伝統的な産業が廃れて働き口がなくなるなどした結果、賃金労働者として遠い場所へ移動していく。

中央アメリカの土地と最も深い関係にあっただろう彼女たちも、自分たちの祖先が暮らしてきた場所では十分な生活ができなくなり、それでも何かしら生きていこうと、こうしてサンホセの路上に立っているのだろう。

国立劇場前の広場。よくここで日本人留学生と待ち合わせをした=サンホセ、2013年1月1月4日撮影

路上に敷いた布の上に違法コピーしたDVDなどを並べて商売をしている人々もいる。
もちろん路上で無断で商売をするのは違法だから、彼らは警察官が近づいてくると、布ごと商品をくるんで逃げていく。
こうして商売をする人々のほとんどが、コスタリカの北どなりの国から来たニカラグア人だ。
ニカラグア人労働者は1980年代以降、コスタリカ特産のコーヒーやバナナ栽培を支えてきたが、近年は都市部の建設現場などで働くニカラグア人も増えてきているという。
サンホセの街中の公園は、いまでは多くのニカラグア人移民の休憩場所となっている。

サンホセ中心部の公園はニカラグア人移民労働者の休憩場所となっている=サンホセ、2013年1月4日撮影

コスタリカにおけるニカラグア人移民の増加は1980年代の中央アメリカの地域事情もかなり影響していると考えられる。
ニカラグアでは1979年に左翼政権が成立したが、アメリカが軍事介入。さらに混乱がひろがり、それまで中央アメリカでも安定していたニカラグア経済は著しく疲弊した。

一般的に、移民労働者は異なる国の間の経済力の差によって生じる。
アメリカCIAのThe World Factbookによると、2011年の一人当たりのGDPはコスタリカが1万1900ドル(世界100位)に対して、ニカラグアは3200ドル(世界171位)と、両国の差は歴然としている。
中央アメリカ人口センター(Centro Centroamericano de Poblacion)によると、コスタリカで暮らす外国出身者の人数は1984年の約9万人から2000年の約30万人に急増し、そのうち約22万人がニカラグア出身という。

ニカラグア人はコスタリカにおける低賃金労働者として社会的に低く見られる傾向にあり、ニカラグア人のアクセントを真似して冗談にするなど、彼らに対する差別もコスタリカでは根強い。
お父さんに「今でも差別はあるんですか」と聞くと、それは残っているとしたうえで、「彼らは本当に一生懸命に働くよ(son muy trabajadores)」と話していた。

ニカラグア人を中心とした非合法移民を取り締まる移民法が2006年に成立した。
農村でも都市でも外国人の安い労働力に頼りながら、彼らを排除する政治的圧力が強まっている。アメリカで働くメキシコ人を中心としたラテンアメリカ出身移民の状況と重なる。


ロサンゼルスに帰る前に、現地の友人が最高級コーヒー「Café Britt Heritage Blend」をプレゼントしてくれた。
コスタリカに留学して以来、コーヒーは自分の生活には欠かせない飲み物になっているだけに、とてもうれしかった。

ロサンゼルスのアパートに戻って、さっそく飲んでみた。
甘いアロマがふわっと広がり、コーヒー独特の苦みもなぜかフルーティにさえ感じる。
コスタリカ産コーヒーが世界で高く評価されているのも納得できる。
同時に、こうしたコスタリカを代表する商品を支えている移民労働者の姿も頭に浮かんだ。

コスタリカの最高級コーヒー「Café Britt Heritage Blend」。まちがいなし。