2015年12月17日木曜日

二重国籍と排日感情、「国籍留保制度」の歴史

日本国籍の両親のもとに、アメリカで生まれた子どもは、法的には何人になるのだろうか。

日本では、日本国籍の母親または父親のもとに生まれた子どもは日本国籍になる。日本国籍を持つ親の血が流れていることが理由になるため、こうした国籍の決め方を血統主義という。一方、アメリカでは、アメリカ国内で生まれた子どもはアメリカ国籍になる(国籍は一般的に市民権citizenshipと呼ばれる)。生まれた場所が理由になるため、こうした国籍の決め方を出生地主義という。

というわけで、日本国籍の両親の子どもとして、アメリカで生まれた子どもは、法的には日本人であると同時にアメリカ人、つまり二重国籍者になる。

とはいえ国籍は人間が作り出した制度だから、その取得には手続きが必要だ。アメリカ国籍については、妻が出産した病院で手続きした。

陣痛分娩室で無事に出産を終えた後、妻と赤ちゃんは産後ケア室へ。そこで出生証明登録に必要な出生情報ワークシートを手渡された。赤ちゃんの氏名、性別、生まれた時刻、両親の氏名などを書き込む。出生証明書には記載されないものの、アメリカ政府保健福祉省の統計のために両親の人種・エスニシティに加え、最終学歴も記入する。裏面では母親の妊娠経過や喫煙の有無などについて答える。

出産したその日に、記入済みのワークシートを看護師さんに渡した。翌日、出生証明担当の職員が部屋に来て、ワークシートの内容に間違いがないか確認した後、「3ヶ月後に出生証明書が手に入ります」と教えてくれた。そのとき、子どもの出生を確認したことを示す病院独自の文書もくれた。これで子どものアメリカ国籍の手続きを終えた。

次は日本国籍。アメリカ国籍は病院でほぼ自動的に手続きが進むけど、こちらは自発的に手続きしないと子どもは日本国籍を失う。国籍法第12条は外国で生まれた子どもについて以下のように定めている。
出生により外国の国籍を取得した日本国民で国外で生まれたものは、戸籍法の定めるところにより日本の国籍を留保する意思を表示しなければ、その出生の時にさかのぼって日本の国籍を失う。
ロサンゼルス総領事館サイトによると、出生から3ヵ月以内に「日本国籍を留保する」欄に署名・押印した出生届を他の関係書類と一緒にロサンゼルス総領事館に提出せよとのこと。というわけで妻の退院した翌週、領事館に足を運んで書類を提出。領事館のスタッフが「一ヶ月ほどすれば戸籍にお子さんの名前が入りますので、その写しとアメリカの出生届を持って、お子さんのパスポートの申請に来てください」と教えてくれた。


僕らが手続きした、日本国籍の喪失を防ぐこの制度を「国籍留保制度」という。これを日本国籍を取得するために作られた制度と思う人は多いだろうけれど、実はこの制度は日本国籍の喪失を可能にする1924年の国籍法改正に伴って作られた。

1924年、白人至上主義とそれに伴う排日感情の高まりから、アメリカ政府は移民法を改正し、日本人移民を全面的に禁じた。そのため、1924年の移民法は「排日移民法」と呼ばれることもある。

このように排日感情の強い時代に、アメリカで生まれた日本人の子どもが、アメリカ国籍と同時に日本国籍を保持していれば誤解や差別の対象になった。そこで日本政府はこの年、日本人のもとに生まれた子どもが、日本国籍を留保する意思を示さない限り、自然と日本国籍を「失える」ように国籍法を改正した。国籍離脱自体は1916年から可能であったけれど、1924年以前に生まれた日本人の子どもについても希望次第で国籍を離脱できるとした。

1924年の7月、朝日新聞は国籍法改正案について「二重國籍問題の解決」という見出しで報じている。改正の理由として「時勢の進退」に合わせるためとしているが、この「時勢」とは日本人移民を全面的に禁じるアメリカの排日移民法を指していると考えて間違いない。

当時、アメリカで暮らす日本人移民の親たちの中には、アメリカ生まれの子どもが日本国籍を理由に誤解や差別にあわないように、あえて出生届を出さず「国籍を留保する」手続きを行わなかった人はたくさんいた。

1924年以前に生まれた日系人の子どもたちの国籍離脱も相次いだようだ。大阪毎日新聞もこの年の7月、「國籍離脱者の激増、排日法に驚かされた、アメリカ在住の同胞」という見出しで報じている。
排日移民法がやかましくなってから在米邦人の國籍を離脱するものが驚くべき増加を呈してきた。(中略)一番多いのは排日の本場カリフォルニア州の千七十二人でワシントン州の二百八十九人、ハワイの二百三十人なども飛切り多く(中略)アメリカ生れの日本人は日本の法律とアメリカの法律に囚はれて二重の國籍を有し男子は徴兵の上にいろいろの不便を感じアメリカ人から誤解をうけることが多かった。
それから約90年後の2015年に僕らはカリフォルニア州で子どもを授かった。日本の国籍法では22歳までに日本国籍かアメリカ国籍を選ぶことになっている。いずれにせよ、僕らが総領事館に出生届を出したとき、二重国籍状態を理由に子どもが差別を受けるかもしれないと心配する必要はなかった。しかし、僕たちが利用した「国籍留保制度」の背景には、戦前のカリフォルニア州における日本人に対する激しい人種差別があり、二重国籍は日系人に対する差別の理由であったことは忘れないようにしたい。


今日でも国籍のあり方によって人権が侵害されることがある。日本でも国籍や戸籍を理由にした差別が存在する。

テロ事件の被害にあったフランスでは憲法を改正して、テロ行為に関わった二重国籍者からフランス国籍を剥奪できるよう憲法改正の議論が進んでいる。こうした憲法改正が戦前の日系人に対する差別のように、二重国籍者への偏見を強化する可能性もある。

その一方で、国籍がないことを理由に人権を侵害されている人も多く存在する。国連難民高等弁務官事務所は、世界に約1,200万人の無国籍者がいると推計している。二重国籍であれ、無国籍であれ、それが理不尽な差別の原因にならないように、国家が個人の国籍をどのように扱っているか、また、過去に扱ってきたか、ということに対して常に警戒しないといけない。

※日本の国籍法における国籍離脱制度は1916年の法改正で明記されている。

・日本政府に対する出生届については、こちら
・大阪毎日新聞の記事は、こちら
・国連難民高等弁務官事務所のサイトは、こちら
・アメリカ政府保健福祉省の出生届調査については、こちら

0 件のコメント:

コメントを投稿