2013年11月9日土曜日

日系人の強制収容、TA授業で議論

第二次世界大戦中、アメリカ西海岸で暮らす日本人約4万人と、彼らの子どもである日系アメリカ人約7万人の計11万人以上が、強制収容所に送られた。

当時、西海岸には敵国人のドイツ人約9万7千人、イタリア人約11万4千人もいたが、彼らとその子どもたちがまとめて強制収容所に送られることはなかった。

「なんでドイツ人もイタリア人もいたのに、日本人と、アメリカ人であるその子どもたちだけ強制収容されたんだろうか」

ティーチング・アシスタント(TA)を担当しているカリフォルニア史の授業で、20人ほどの学生(学部生)に問いかけた。

学生らは各3~5人の5グループに分かれ、テキストを読みながら、その答えを探す。

「日本に忠誠心があると思われたから」
「同化できないと思われたから」
「疑わしいと思われたから」
「見た目が違うから」

いろいろと答える。僕は「じゃあ、なんで同化できないと思われたの。なんで疑わしいと思われたの」とさらに質問する。
ある学生が「血ですか」と答えた。

テキストでは、歴史学者スーチェン・チャンが、強制収容を指揮したドゥウィット(DeWitt)将軍の作成した文書を紹介している。

そこで、チャンは「その文書は、日本人は『敵性人種(enemy race)』であり、『その人種的愛着は(アメリカに)移住しても消えることはなく』、その『人種的特徴』は二世、三世と世代を経ても『薄まることはない』、と宣言した。こうして(中略)日本に出自を持つすべての人が、アメリカの市民権の有無に関わらず、海岸部から排除された」と述べている。

強制収容が実行されるまでの過程には様々な要素が絡んでくるが、このドゥウィットの文書は、アメリカで生まれ育った若者であっても、日本人の血を引き継いでいれば、アメリカに対する脅威であり続ける、という人種主義的な考え方を明確に表していた。


TA授業は週に一コマ50分で、学生は25人ほど。僕は二コマ担当している
授業内容は、教授の方針によってさまざま。今学期は、重要事項だけ教授と他のTAと確認したうえで、授業内容はTAが自由に設計する。

この日の授業は、最初の30分を日系人強制収容に充て、残りの20分は戦後に発展したロサンゼルス近代建築についてふれた。


20世紀中頃のロサンゼルス近代建築は、例えば、ケース・スタディ・ハウス#22(リンクはこちら)が有名だ。

グループごとに白紙のプリント用紙を配って、「今週の教授の講義などで見た建築物を参考に、典型的なロサンゼルス近代建築の家を描いて」と指示した。その後、学生らの描いた絵をホワイトボードに張り付けて、大きなガラス窓、平たい屋根、広々とした室内など、その美的特徴と機能的特徴について簡単に説明してもらった。
それに、高速道路の建設や郊外の発展なども絡めて、現在のロサンゼルスの街並みが、戦後の経済発展とどのような関わりがあるか確認した。

自分たちの絵がホワイトボードに張られるので、学生たちもそれなりに集中する。「この絵はええ感じやね」と褒めると、あるグループの学生らが互いにハイタッチをしていた。




TAの経験から得ることは多い。これで大学から給料を得ている。また、授業プランを立てたり、学生の個別の質問に応えたり、将来、大学などで教えるための技術を磨いている。そして、留学生の僕にとっては英語の練習になる。


今学期は残り一ヶ月、無事に乗り切りたい。

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