大学キャンパスでしばしば使うトイレの壁に、ロサンゼルスならどこでもありそうな学生の落書きがある。この落書きは、非白人の学生が白人の学生を蔑む内容だった。
「フラタニティに入っているやつは、だいたい、アホで、白人で、ろくでもないやつ、金持ちだけど」
フラタニティ(fraternity)とは男子学部生の学生団体。一つの大学に複数のフラタニティがあり、パーティを開くなどして友情を深める。アフリカ系やアジア系など非白人のフラタニティもあるけれど、フラタニティといえば白人男子学部生が羽目を外して遊んでいるというイメージが強い。また、大学キャンパスでは少数派である非白人の学生が周辺化されていることに対する不満も少なくない。この落書きの背景には、人種と階級を巡る学生間の緊張関係がある。
この落書きの左隣には、「フラタニティのファッグ(同性愛者に対する差別語)←本当のファッグ」と明らかに差別的な言葉を使って、フラタニティの学生を攻撃している。ここでは人種的マジョリティの白人学生に対する不満と、性的マイノリティの同性愛者に対する差別が絡む。
そこに別の学生が「なんでまだファッグなんて言葉を使ってんの?」と黒のペンで書き、さらに別の学生が「なんでかというと、こいつらがアホだから」と青のペンで書き加えている。さらに青のペンの学生は「フラタニティのファッグ←本当のファッグ」という元の落書きに対して「ファック・ユー」と矢印付きで付け加えていた。
複数の学生による落書きはここらへんで止まると思いきや、それら全体のやり取りに対して、またまた別の学生が「自分のおかんとやってまえ、ボケナス」とスペイン語で大きく書き加えていた。
人種、階級、セクシャリティが絡む攻撃的または差別的なやり取りに、言語を通したエスニシティ的な要素も加わり、この一連の落書きだけで、アメリカ人学部生の生活における差別構造や緊張関係がなんとなく浮き上がってくる。
けれど、なぜ差別語を含むこの落書きが半年以上ずっと消されずに残っているのだろうか。その理由の一つとしては、軽蔑の対象が多数派の白人であるという点が挙げられる。もしも、この落書きが少数派の非白人学生に対するものであれば、すぐに誰かが大学に報告し、人種差別事件として問題になるだろう。
おそらくフラタニティに所属する白人学生がこの落書きを見ても、それ自体がキャンパス内の白人学生の立場に脅威を与えないため、「はいはい」と笑って済ますことができるだろう。ある意味では、この落書きが放置されていること自体がキャンパス内で白人学生の力が強く、構造的に被差別の対象ではないという状況を裏付けている。
このように、どちらかといえばリベラルな環境であるはずの大学キャンパスでも、人種・エスニシティ、階級、セクシャリティを巡る差別構造や緊張関係を観察することはそれほど難しいことではない。
2015年12月12日土曜日
2015年9月18日金曜日
スキ焼きで祝う感謝祭、戦前の日本人留学生
水曜日の午後6時から、日本料理店「一富士」でスキ焼きパーティがあるらしい。行こうかな。
そう思わせる戦前の新聞記事を、1903年に創刊したロサンゼルスの日系新聞「羅府新報」を調査中に見つけた。その記事は1929年11月に発行されたもので、見出しは「スキ焼會、ツロジャン倶楽部が開催、水曜日夜一富士で」。記事は以下のように続く。
南加大学とは南カリフォルニア大学(University of Southern California)のこと。戦前の日本人移民は「南カリフォルニア」を略して「南加」と呼び、この言葉は今でも一部で使われている。英語では南カリフォルニアは「So Cal (ソーカル)」と略すのが一般的だ。
ちなみに、この「ツロジャン」とは南カリフォルニア大学のマスコット「トロージャン(Trojan)」のことで、この大学に通う学生の代名詞にもなっている。
日本人移民は1924年から全面的に禁止され、それが日本国内の反米感情を強める一因にもなった。それでも留学生のアメリカ入国は許されており、こうしてロサンゼルスでスキ焼きを楽しむ日本人もいた。アメリカ人であれば家族で団らんする日だけれど、家族と遠く離れて暮らす日本人ツロジャンたちは仲間同士で集まって束の間の故郷の雰囲気を楽しんだのだろう。
スキ焼きパーティーの記事を読みながら、今も昔も日本人留学生は同じようなことをしているなと思いつつ、この時代の留学生はスキ焼をつつきながら日米関係や日本(帝国)の将来についてどのように考えていたんだろうかと考えさせられた。
田中角栄内閣で官房長官を務めた二階堂進は、このスキ焼きパーティーの3年後、1932年に南カリフォルニア大学に留学し、1941年に国際関係学で修士号を取得している。
ウィキペディアによると、同年8月に帰国。日米開戦後の1942年の衆議院選挙に大政翼賛会の支援を受けずに立候補し、日米関係の改善を訴えるも落選。戦後の1946年の選挙で当選し、1972年の日中国交正常化に尽力した。
きっと二階堂さんも留学中、悪化していく日米関係に危機感を感じ、だからこそ帰国後、対米戦争を推し進める大政翼賛会の推薦を受けずに国政に挑戦したんじゃないだろうか。日本に帰ったら彼の伝記を読んでみたい。
そう思わせる戦前の新聞記事を、1903年に創刊したロサンゼルスの日系新聞「羅府新報」を調査中に見つけた。その記事は1929年11月に発行されたもので、見出しは「スキ焼會、ツロジャン倶楽部が開催、水曜日夜一富士で」。記事は以下のように続く。
南加大学日本人學生はツロジャンクラブ主催で水曜夜六時から一富士でスキ焼き會を開き学生らしい感謝祭を祝うと日本人學生の参會を希望すと申し込みはワイ會館へロサンゼルスの南加大学に通う日本人留学生が感謝祭(Thanksgiving)に合わせて開くスキ焼きパーティーの参加者を募っている。
南加大学とは南カリフォルニア大学(University of Southern California)のこと。戦前の日本人移民は「南カリフォルニア」を略して「南加」と呼び、この言葉は今でも一部で使われている。英語では南カリフォルニアは「So Cal (ソーカル)」と略すのが一般的だ。
ちなみに、この「ツロジャン」とは南カリフォルニア大学のマスコット「トロージャン(Trojan)」のことで、この大学に通う学生の代名詞にもなっている。
日本人移民は1924年から全面的に禁止され、それが日本国内の反米感情を強める一因にもなった。それでも留学生のアメリカ入国は許されており、こうしてロサンゼルスでスキ焼きを楽しむ日本人もいた。アメリカ人であれば家族で団らんする日だけれど、家族と遠く離れて暮らす日本人ツロジャンたちは仲間同士で集まって束の間の故郷の雰囲気を楽しんだのだろう。
スキ焼きパーティーの記事を読みながら、今も昔も日本人留学生は同じようなことをしているなと思いつつ、この時代の留学生はスキ焼をつつきながら日米関係や日本(帝国)の将来についてどのように考えていたんだろうかと考えさせられた。
田中角栄内閣で官房長官を務めた二階堂進は、このスキ焼きパーティーの3年後、1932年に南カリフォルニア大学に留学し、1941年に国際関係学で修士号を取得している。
ウィキペディアによると、同年8月に帰国。日米開戦後の1942年の衆議院選挙に大政翼賛会の支援を受けずに立候補し、日米関係の改善を訴えるも落選。戦後の1946年の選挙で当選し、1972年の日中国交正常化に尽力した。
きっと二階堂さんも留学中、悪化していく日米関係に危機感を感じ、だからこそ帰国後、対米戦争を推し進める大政翼賛会の推薦を受けずに国政に挑戦したんじゃないだろうか。日本に帰ったら彼の伝記を読んでみたい。
2015年6月26日金曜日
日米間の大学比較、両国の学生が議論
アメリカ人学部生11人を指導教官とともに引率した日本旅行プログラム(前ブログ記事参照)では、都内の私立大学に通う学部生ら約20人と交流する機会もあった。日米両国の学生らは山梨県・山中湖畔の保養施設で2泊3日の合宿に参加。その間、アメリカ人学生はそれぞれの研究テーマについて日本人学生に質問するだけでなく、パワーポイントを使って他の学生の前で調査結果を発表した。
発表会では、日米両国の大学教育の違いについても学生同士で話し合った。
議論の内容を簡単にまとめると、以下のような感じだ。
・ 勉強の厳しさ
日本: 大学に入るための勉強が厳しい。基本的に大学生活は4年間の自由時間。大学の勉強は厳しくない。
アメリカ: 大学に入った後の勉強が厳しい。ただ、大学に入るための勉強も厳しくなりつつある。
・ 大学での専攻
日本: 大学入学時点で専攻がほぼ決まっている。二つ以上の専攻を持つことは珍しい。多くの学生が大学卒業後、専攻と関係のない職業につく。
アメリカ: 大学入学後に主専攻と副専攻を文系理系の縛りなく選べる。大学卒業後の職業に影響することが多い。
・ 学費
日本: アメリカに比べると高くない( 国立大学で年間50万円ほど。私立大学で100万円前後)。
アメリカ: 激烈に高い(年間500万円以上することは珍しくない)。多くの学生が多額のローンを組んで卒業後に返済する。
・ 学生の特徴
日本: 討論中に質問・意見することに慣れていない。
アメリカ: 討論中に質問・意見することに慣れている。討論の授業(Discussion Section)が大学教育に組み込まれている。
・ ギャップイヤー(大学卒業直後に就職せず、自分のやりたいことを自由にする時間)
日本: 一般的ではない。
アメリカ: 社会的に許容されている。
議論で取り上げられなかったものの、以下の項目も付け加えておきたい。
・ 就活
日本: 3年生の後半から説明会などに参加して就職活動(新卒一括採用)。
アメリカ: 3年生からインターンなどに参加して就職活動。大学時代の成績は重要。
アメリカの大学教育では、その学費の高さが明らかに問題である。貧富の差を再生産していく。
一方、入学後に文系理系を超えて複数の専攻を選べるうえ、学部教育が厳しいため、総合的な学問をしっかり身に着ける場所「University」として機能しているように思われる。
例えば、学生の一人は主専攻に生物学と東アジア研究、副専攻に映画学を選んでいる。他の学生は主専攻に数学、副専攻に政治学を選んでいる。
討論で積極的に意見できるかどうかについては、TAとして討論の授業を担当しているので、日米間の違いはよく分かる。アメリカ人学生の中には討論が苦手な学生も少なくないものの、授業が「シーン」となることは少ない。ただ、討論の得意・不得意は、教育制度の違いに加え、文化の違いも影響するので、良い悪いで簡単に判断できるものでもない。
また、日本人であれアメリカ人であれ、大きな教室では静かでも少人数のグループの中では積極的に意見できる学生もいる。ただ、国際舞台で活躍するためには、積極的に質問・意見することは重要であるということは言うまでもない。
では、日本の大学とアメリカの大学はどっちがいいんだろうか。
僕は、両国の学部と大学院にそれぞれ通ったけど、どっちが良いとも悪いともいえない。少なくとも個人的には、日本の大学で享受した比較的に自由な時間を勉強だけでなく、アルバイトや学部交換留学を含めて有意義に使えたように思う。
発表会では、日米両国の大学教育の違いについても学生同士で話し合った。
議論の内容を簡単にまとめると、以下のような感じだ。
・ 勉強の厳しさ
日本: 大学に入るための勉強が厳しい。基本的に大学生活は4年間の自由時間。大学の勉強は厳しくない。
アメリカ: 大学に入った後の勉強が厳しい。ただ、大学に入るための勉強も厳しくなりつつある。
・ 大学での専攻
日本: 大学入学時点で専攻がほぼ決まっている。二つ以上の専攻を持つことは珍しい。多くの学生が大学卒業後、専攻と関係のない職業につく。
アメリカ: 大学入学後に主専攻と副専攻を文系理系の縛りなく選べる。大学卒業後の職業に影響することが多い。
・ 学費
日本: アメリカに比べると高くない( 国立大学で年間50万円ほど。私立大学で100万円前後)。
アメリカ: 激烈に高い(年間500万円以上することは珍しくない)。多くの学生が多額のローンを組んで卒業後に返済する。
・ 学生の特徴
日本: 討論中に質問・意見することに慣れていない。
アメリカ: 討論中に質問・意見することに慣れている。討論の授業(Discussion Section)が大学教育に組み込まれている。
・ ギャップイヤー(大学卒業直後に就職せず、自分のやりたいことを自由にする時間)
日本: 一般的ではない。
アメリカ: 社会的に許容されている。
議論で取り上げられなかったものの、以下の項目も付け加えておきたい。
・ 就活
日本: 3年生の後半から説明会などに参加して就職活動(新卒一括採用)。
アメリカ: 3年生からインターンなどに参加して就職活動。大学時代の成績は重要。
◇
アメリカの大学教育では、その学費の高さが明らかに問題である。貧富の差を再生産していく。
一方、入学後に文系理系を超えて複数の専攻を選べるうえ、学部教育が厳しいため、総合的な学問をしっかり身に着ける場所「University」として機能しているように思われる。
例えば、学生の一人は主専攻に生物学と東アジア研究、副専攻に映画学を選んでいる。他の学生は主専攻に数学、副専攻に政治学を選んでいる。
討論で積極的に意見できるかどうかについては、TAとして討論の授業を担当しているので、日米間の違いはよく分かる。アメリカ人学生の中には討論が苦手な学生も少なくないものの、授業が「シーン」となることは少ない。ただ、討論の得意・不得意は、教育制度の違いに加え、文化の違いも影響するので、良い悪いで簡単に判断できるものでもない。
また、日本人であれアメリカ人であれ、大きな教室では静かでも少人数のグループの中では積極的に意見できる学生もいる。ただ、国際舞台で活躍するためには、積極的に質問・意見することは重要であるということは言うまでもない。
では、日本の大学とアメリカの大学はどっちがいいんだろうか。
僕は、両国の学部と大学院にそれぞれ通ったけど、どっちが良いとも悪いともいえない。少なくとも個人的には、日本の大学で享受した比較的に自由な時間を勉強だけでなく、アルバイトや学部交換留学を含めて有意義に使えたように思う。
2015年5月30日土曜日
アメリカ人学部生と日本旅行、水田やビルに興奮
この夏学期は指導教官のティーチングアシスタント(TA)として日米両国における外国人やマイノリティに対する偏った認識がどのように生じてきたのか学ぶ学部生向け授業のお手伝いをする。その一環で今日から二週間ほどアメリカ人学部生11人を連れて日本を旅行している。
ロサンゼルスから東京へ。空の長旅で疲れが隠せない様子だった学生たちも、成田エクスプレスの車窓から見える水田や高層ビルといった日本の景色に早速興奮していた。そのまま夕食に何かおいしいものが食べたいという彼らの要望に応えて、ホテル近くの回転寿司店に連れて行った。
ネットでたまたま見つけた全皿150円の店。客がどんどん入っては出ていく。ばらばらに別れて座った学生たちは、粉末緑茶を見て「わさび?」と聞いたり、熱湯の出る蛇口の写真を撮ったりして楽しんでいた。忙しいのに店主が優しく案内してくれたのがよかった。
これから計16日間、日本各地を巡り、日本の移民やマイノリティ、アニメ文化など、それぞれの研究テーマで発表やレポート提出を行う。
ほぼ全員が日本に来るのは初めて。TAとしては日本のことを教える側の立場だけど、日本育ちの僕がふだん感じないようなことを彼らが感じて逆にいろいろ教えてほしい。
彼らの活動は大学のブログで随時紹介される予定だ。
・学生ブログはこちら。
ロサンゼルスから東京へ。空の長旅で疲れが隠せない様子だった学生たちも、成田エクスプレスの車窓から見える水田や高層ビルといった日本の景色に早速興奮していた。そのまま夕食に何かおいしいものが食べたいという彼らの要望に応えて、ホテル近くの回転寿司店に連れて行った。
ネットでたまたま見つけた全皿150円の店。客がどんどん入っては出ていく。ばらばらに別れて座った学生たちは、粉末緑茶を見て「わさび?」と聞いたり、熱湯の出る蛇口の写真を撮ったりして楽しんでいた。忙しいのに店主が優しく案内してくれたのがよかった。
これから計16日間、日本各地を巡り、日本の移民やマイノリティ、アニメ文化など、それぞれの研究テーマで発表やレポート提出を行う。
ほぼ全員が日本に来るのは初めて。TAとしては日本のことを教える側の立場だけど、日本育ちの僕がふだん感じないようなことを彼らが感じて逆にいろいろ教えてほしい。
彼らの活動は大学のブログで随時紹介される予定だ。
・学生ブログはこちら。
2015年4月8日水曜日
「出産観光」を歴史的に考える、中国人女性移民と偏見
今年3月3日、連邦政府の捜査官らがロサンゼルス地域でいくつかのアパートを強制捜査した。アパートには出産間近の中国人女性たちが暮らしていた。
捜査官らは、中国人妊婦らが観光客を装ってアメリカに入国し、出産しているとして、妊婦の受け入れ先となっているアパートに踏み入った。ロサンゼルス・タイムズが「"出産観光"強制捜査、中国人対象の州内施設で」と大きく報じた。
19世紀後半から20世紀初頭かけても中国人移民女性をターゲットにした連邦政府の取り締まりがあった。
今回の「出産観光」捜査をどのように歴史的に解釈できるか。ティーチングアシスタント(TA)を担当している授業で学部生に議論してもらった。
今学期は「人種、性、法の歴史」という授業のTAを担当している。アメリカ史において「人種と性」に対する考え方がどのように互いに影響しあい、それがどのように法律に反映されてきたのか学ぶ授業だ。
先週は1875年のページ法について学んだ。外国人の入国に制限をかけた最初の連邦法だ。主な規制対象は中国人売春婦だった。
ページ法成立の背景には、中国人が増えると白人が人種的に脅威にさらされるという偏見があった。中国人売春婦と性交した白人男性が性病にかかるなどして、白人社会が崩壊するという考え方も当時は珍しくなった。つまり、ページ法は中国人売春婦を通して、中国人全体の規制を促す法律だった。
20世紀初頭の革新主義時代、白人女性を売春から救おうという運動が高まる。その中で、白人女性の売春業を中国人男性が裏で支えているという偏見も強まり、男女に関わらず「中国人=売春」というイメージが固定化されていく。
学生らが史料として読んだ1909年に新聞では、白人女性の売春宿で中国人男性が暗躍していることを示すイラストが掲載されている。
学生たちに「1909年当時の読者はこの中国人のイラストに対して違和感を感じたり、人種差別だと抗議したりしたと思う?」と聞くと「当時の人は当然のことだと思っていたと思う」と答えた。
そこで僕は「ということは、2015年の出産観光の記事も現代人はただのニュースと思うかもしれないけど、100年後の人は違った読み方をするかもしれないでしょ。今回の中国人女性移民を対象にした捜査や記事、また読者の捉え方の背後に何らかの考え方があるかどうか歴史的に考えてみて。もちろん、ないと思うならないでいいから」とさらに問いかけてみた。
「出産観光」の記事は、捜査官がビザ不正取得を問題視していることにくわえ、アパートの中国人住民が「子どもにアメリカの大学に通わせたい」と話していることも紹介している。アメリカ国内で生まれた子どもには自動的に市民権が与えられ、大学進学などで有利になるケースもある。取材を受けた別の中国人は永住権を持ち、出産ではなく、産後ケアのためアパートを利用していたという。
ある学生は「もちろん出産目的で入国する人もいるけど、こうした捜査は、基本的には中国人はずる賢い、法律の抜け穴を利用している、というイメージを強めていると思う。それは過去(100年前)と似ている」と話す。彼の母親は台湾出身で、台湾では産後ケアで数カ月、病院施設を利用するのは普通という。
他の学生たちは「出産目的でアメリカに来た(非アジア系の)人を何人か個人的に知っているけど、この記事はまるで東アジアの女性だけがそういうことをしているような印象を与える」などと答えた。
次に「だけど、1909年の中国と2015年の中国じゃぜんぜん違うでしょ」と質問してみた。
学生らは「(中国人妊婦は)中流階級以上の人たち」、「中国は今は世界で2番目の経済大国」などと答える。
売春婦と妊婦はまったく別だし、中国の国の状況もまるで違うのに、似たような偏見が続いているといえるんだろうか。
そこで僕は「100年前、中国人移民は人種的な脅威と考えられていたわけでしょ。21世紀の今、中国を脅威と捉えるアメリカ人っていると思う?」というと、学生らはすぐにうなずき、経済的、軍事的、また人口的な脅威と捉える人が一部いると指摘した。
このような掛け合いを通して、過去と現在の中国は全然ちがうけど、中国を脅威と捉える考え方がアメリカ社会にあれば、出産観光の捜査や記事が中国人一般に対するネガティブなイメージをさらに広げる可能性もあるなどと話し、議論を深めた。
こうしたイメージは、中国人女性の身体を問題視する一方、だいたいの親は子どもや自分の将来のためによいよい方法を模索しているという側面を見えにくくさせる。
「だけど、連邦捜査官がビザの不正取得を捜査すること自体は普通だから、何も問題ないという人もいる。重要なことは歴史の勉強を通して、現代の移民政策に対しても、当たり前と思わず、その背景にある考え方などを歴史的に、批判的に分析する力を養うことだと思う」と付け加えた。
歴史の勉強は現代のことを主な研究対象にしないから退屈になりやすい。
だけど、本当は現代のことを深く理解する力を養う勉強でもある。
そこに平等や平和などに悪影響を及ぼす問題を見出せば、その是正に向けて働きかけることもできる。
TA授業では、そんなことを現代のトピックを絡めて実践的に伝えたい。こうして授業内容を練って実際に試してみることで、自分自身の教え方や考え方も深まっていくのでありがたい。
・ロサンゼルス・タイムズの記事は、こちら。
・ティーチング・アシスタントに関する当ブログの過去記事は、こちら。
捜査官らは、中国人妊婦らが観光客を装ってアメリカに入国し、出産しているとして、妊婦の受け入れ先となっているアパートに踏み入った。ロサンゼルス・タイムズが「"出産観光"強制捜査、中国人対象の州内施設で」と大きく報じた。
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| 「出産観光(Maternity Tourism)」に対する強制捜査を報じたオンライン版ロサンゼルス・タイムズより。リンクはこちら。 |
19世紀後半から20世紀初頭かけても中国人移民女性をターゲットにした連邦政府の取り締まりがあった。
今回の「出産観光」捜査をどのように歴史的に解釈できるか。ティーチングアシスタント(TA)を担当している授業で学部生に議論してもらった。
◇
今学期は「人種、性、法の歴史」という授業のTAを担当している。アメリカ史において「人種と性」に対する考え方がどのように互いに影響しあい、それがどのように法律に反映されてきたのか学ぶ授業だ。
先週は1875年のページ法について学んだ。外国人の入国に制限をかけた最初の連邦法だ。主な規制対象は中国人売春婦だった。
ページ法成立の背景には、中国人が増えると白人が人種的に脅威にさらされるという偏見があった。中国人売春婦と性交した白人男性が性病にかかるなどして、白人社会が崩壊するという考え方も当時は珍しくなった。つまり、ページ法は中国人売春婦を通して、中国人全体の規制を促す法律だった。
20世紀初頭の革新主義時代、白人女性を売春から救おうという運動が高まる。その中で、白人女性の売春業を中国人男性が裏で支えているという偏見も強まり、男女に関わらず「中国人=売春」というイメージが固定化されていく。
◇
学生らが史料として読んだ1909年に新聞では、白人女性の売春宿で中国人男性が暗躍していることを示すイラストが掲載されている。
学生たちに「1909年当時の読者はこの中国人のイラストに対して違和感を感じたり、人種差別だと抗議したりしたと思う?」と聞くと「当時の人は当然のことだと思っていたと思う」と答えた。
そこで僕は「ということは、2015年の出産観光の記事も現代人はただのニュースと思うかもしれないけど、100年後の人は違った読み方をするかもしれないでしょ。今回の中国人女性移民を対象にした捜査や記事、また読者の捉え方の背後に何らかの考え方があるかどうか歴史的に考えてみて。もちろん、ないと思うならないでいいから」とさらに問いかけてみた。
◇
「出産観光」の記事は、捜査官がビザ不正取得を問題視していることにくわえ、アパートの中国人住民が「子どもにアメリカの大学に通わせたい」と話していることも紹介している。アメリカ国内で生まれた子どもには自動的に市民権が与えられ、大学進学などで有利になるケースもある。取材を受けた別の中国人は永住権を持ち、出産ではなく、産後ケアのためアパートを利用していたという。
ある学生は「もちろん出産目的で入国する人もいるけど、こうした捜査は、基本的には中国人はずる賢い、法律の抜け穴を利用している、というイメージを強めていると思う。それは過去(100年前)と似ている」と話す。彼の母親は台湾出身で、台湾では産後ケアで数カ月、病院施設を利用するのは普通という。
他の学生たちは「出産目的でアメリカに来た(非アジア系の)人を何人か個人的に知っているけど、この記事はまるで東アジアの女性だけがそういうことをしているような印象を与える」などと答えた。
次に「だけど、1909年の中国と2015年の中国じゃぜんぜん違うでしょ」と質問してみた。
学生らは「(中国人妊婦は)中流階級以上の人たち」、「中国は今は世界で2番目の経済大国」などと答える。
売春婦と妊婦はまったく別だし、中国の国の状況もまるで違うのに、似たような偏見が続いているといえるんだろうか。
そこで僕は「100年前、中国人移民は人種的な脅威と考えられていたわけでしょ。21世紀の今、中国を脅威と捉えるアメリカ人っていると思う?」というと、学生らはすぐにうなずき、経済的、軍事的、また人口的な脅威と捉える人が一部いると指摘した。
このような掛け合いを通して、過去と現在の中国は全然ちがうけど、中国を脅威と捉える考え方がアメリカ社会にあれば、出産観光の捜査や記事が中国人一般に対するネガティブなイメージをさらに広げる可能性もあるなどと話し、議論を深めた。
こうしたイメージは、中国人女性の身体を問題視する一方、だいたいの親は子どもや自分の将来のためによいよい方法を模索しているという側面を見えにくくさせる。
「だけど、連邦捜査官がビザの不正取得を捜査すること自体は普通だから、何も問題ないという人もいる。重要なことは歴史の勉強を通して、現代の移民政策に対しても、当たり前と思わず、その背景にある考え方などを歴史的に、批判的に分析する力を養うことだと思う」と付け加えた。
◇
歴史の勉強は現代のことを主な研究対象にしないから退屈になりやすい。
だけど、本当は現代のことを深く理解する力を養う勉強でもある。
そこに平等や平和などに悪影響を及ぼす問題を見出せば、その是正に向けて働きかけることもできる。
TA授業では、そんなことを現代のトピックを絡めて実践的に伝えたい。こうして授業内容を練って実際に試してみることで、自分自身の教え方や考え方も深まっていくのでありがたい。
・ロサンゼルス・タイムズの記事は、こちら。
・ティーチング・アシスタントに関する当ブログの過去記事は、こちら。
2015年2月15日日曜日
博士論文提出資格試験とは、アメリカ大学院留学
アメリカの大学院博士課程に入学して2年半たった今月、無事に博士論文提出資格試験(Qualifying Exams)に合格した。
この試験に受かって初めて博士論文に向けた調査や執筆を本格的に始めることができる。この段階の院生をPh.D. CandidateやABDと呼ぶ。ABDはAll But Dissertationの略で「あとは博士論文を提出するだけ」という意味だ。
この試験は研究分野にかかわらず、博士課程の学生が乗り越えないといけない関門だ。それぞれの大学や学部で細かい内容は異なる。歴史学部に所属している僕の場合は2年半のコースワークを経た後、アメリカ史、東アジア史、移民研究の3分野で筆記試験と口述試験を受けた。
筆記試験は、学部ビル内の試験部屋に行き、午前8時半から午後5時までの間にパソコンの筆記ソフトを使い、10ページ前後の小論文形式で回答を打ち込む。3分野なので3日間かかる。筆記試験合格後の口述試験では、それぞれの分野の先生方に囲まれ、2時間かけて先生方の質問に答える。
試験自体も厳しいけど、試験に向けた勉強が厳しかった。
僕の場合は半年間以上かけて250冊ほどの本を読み、自分の専攻分野について幅広い知識を得たうえで、自分の議論も展開できるところまで勉強する。250冊を最初から最後のページまで完全に読むのは時間的に難しいので、それぞれの本の主要な議論を的確に理解するように心がけて読み、要点をノートにまとめていく。時間が足りなくて読み損ねた本は書評で内容を確認する。書きためたノートを見直したり、それをもとにレポートを書いたりして試験にそなえる。さらに試験担当の先生方とミーティングを重ねて理解を深める。
本番の試験では十分に答えきれなかった部分もあったけど、無事に合格することができた。合格した翌日から体調を崩した。翌日からでよかった。
多くの院生は試験合格後、ティーチング・アシスタントをしたり、研究助成金に応募したりして生活費を得ながら、博士論文提出までの数年間を過ごすことになる。
こうした長丁場の受験勉強は日本の大学受験浪人生だったとき以来だと思う。30歳を過ぎてこうしてチャレンジできるのはありがたい。これからも頑張りたい。
この試験に受かって初めて博士論文に向けた調査や執筆を本格的に始めることができる。この段階の院生をPh.D. CandidateやABDと呼ぶ。ABDはAll But Dissertationの略で「あとは博士論文を提出するだけ」という意味だ。
この試験は研究分野にかかわらず、博士課程の学生が乗り越えないといけない関門だ。それぞれの大学や学部で細かい内容は異なる。歴史学部に所属している僕の場合は2年半のコースワークを経た後、アメリカ史、東アジア史、移民研究の3分野で筆記試験と口述試験を受けた。
筆記試験は、学部ビル内の試験部屋に行き、午前8時半から午後5時までの間にパソコンの筆記ソフトを使い、10ページ前後の小論文形式で回答を打ち込む。3分野なので3日間かかる。筆記試験合格後の口述試験では、それぞれの分野の先生方に囲まれ、2時間かけて先生方の質問に答える。
| 筆記試験には参考資料を持ち込んでいい。重要な本をスーツケースに詰め込んで試験会場に向かった。 |
試験自体も厳しいけど、試験に向けた勉強が厳しかった。
僕の場合は半年間以上かけて250冊ほどの本を読み、自分の専攻分野について幅広い知識を得たうえで、自分の議論も展開できるところまで勉強する。250冊を最初から最後のページまで完全に読むのは時間的に難しいので、それぞれの本の主要な議論を的確に理解するように心がけて読み、要点をノートにまとめていく。時間が足りなくて読み損ねた本は書評で内容を確認する。書きためたノートを見直したり、それをもとにレポートを書いたりして試験にそなえる。さらに試験担当の先生方とミーティングを重ねて理解を深める。
本番の試験では十分に答えきれなかった部分もあったけど、無事に合格することができた。合格した翌日から体調を崩した。翌日からでよかった。
多くの院生は試験合格後、ティーチング・アシスタントをしたり、研究助成金に応募したりして生活費を得ながら、博士論文提出までの数年間を過ごすことになる。
こうした長丁場の受験勉強は日本の大学受験浪人生だったとき以来だと思う。30歳を過ぎてこうしてチャレンジできるのはありがたい。これからも頑張りたい。
2014年10月18日土曜日
アメリカ発祥のモルモン教、中国人留学生の信徒も増加
アメリカ社会の発展において資本主義とキリスト教が大きな原動力となってきた。
先日、モルモン教徒の大学の友人が、キャンパス近くの教会施設で学生信徒によるタレントショーがあるから来ないか、と誘ってくれた。彼とは10年来の友人だけど、お互い忙しく、ここ2年は会っていなかった。再会するいい機会なので、タレントショーを見に行った。
この教会施設は学生信徒が集う場所となっている。この日は50人以上の学生らが集まり、歌や踊りを披露した。ハワイアンダンスやサックス演奏など、どれも本格的で見ごたえがあった。詩集を出版したことがある友人も詩を朗読した。
集まった学生らは国際色豊か。特に、中国人留学生の増加に伴って、中国人の入信者も増えており、施設では中国語のセミナーも行っているという。タレントショーでは最近、洗礼を受けた学生も中国語で歌を披露した。観客にはモルモン教に関心を持ち始めた中国人留学生もちらほら来ていた。
中国人学生の入信の理由はもともとキリスト教に興味があったり、渡米してから興味を持ったり、いろいろ。施設は信仰の中心だけでなく、大学の授業のために自習する場所にもなっており、留学生活における居場所の一つになっているようだ。
学生を対象にキャンパスで宣教活動を行う若者たちもいる。この日は宣教師の若者も5人ほど参加していた。
その一人がたまたま日本人だった。数カ月前にロサンゼルスに来て宣教活動を開始。日本では英語を使う環境で育ったらしく、ネイティブ並みに英語が上手。最初は日系アメリカ人と勘違いしてしまった。
タレントショーでは彼も故郷・沖縄をテーマにした歌を披露し、曲の合間には、観客が事前に練習した通り、掛け声を入れたり、振り付けを加えたりして盛り上げた。
彼のように日本からアメリカに来る宣教師もいれば、もちろん、アメリカから外国に行く宣教師もいある。タレントショーでは韓国で宣教活動を行った経験から、韓国語の歌を披露する学生もいた。
友人は「ここの学生信徒団の多様性を見ると、いい文化の勉強になるかも」と言っていた。19世紀にアメリカで生まれたモルモン教の教団は、世界各地に宣教師を送るとともに、世界各地から来た移民にも積極的に宣教活動を行っている。
タレントショーは、久しぶりに友人と再会できたうえ、アメリカ発祥の宗教と移民のグローバルなつながりを肌で感じるいい機会になった。
19世紀前半、産業化とともに市場経済が発達し、人々の生活が大きく変化していく。物質的な変化の中でも道徳的な生き方を守ろうと、キリスト教の宗教復興運動が盛んになる。
キリストの再臨を願う信仰も強まり、新しい教団も生まれる。その一つが1820年代に創設されたモルモン教だ。
創設当時、既存の教義との対立などから東海岸を追われ、現在のユタ州に拠点を移す。今では世界各地で宣教活動を行っており、世界に約1,500万人の信者をもつという。
自転車に乗った背広姿の若者が二人一組で布教活動をしている姿を見たことがある人は日本にもたくさんいるだろう。また、2012年の大統領選挙に立候補した共和党のミット・ロムニー氏も、モルモン教徒として初めて大統領候補者になったことが話題となった。
キリストの再臨を願う信仰も強まり、新しい教団も生まれる。その一つが1820年代に創設されたモルモン教だ。
創設当時、既存の教義との対立などから東海岸を追われ、現在のユタ州に拠点を移す。今では世界各地で宣教活動を行っており、世界に約1,500万人の信者をもつという。
自転車に乗った背広姿の若者が二人一組で布教活動をしている姿を見たことがある人は日本にもたくさんいるだろう。また、2012年の大統領選挙に立候補した共和党のミット・ロムニー氏も、モルモン教徒として初めて大統領候補者になったことが話題となった。
先日、モルモン教徒の大学の友人が、キャンパス近くの教会施設で学生信徒によるタレントショーがあるから来ないか、と誘ってくれた。彼とは10年来の友人だけど、お互い忙しく、ここ2年は会っていなかった。再会するいい機会なので、タレントショーを見に行った。
この教会施設は学生信徒が集う場所となっている。この日は50人以上の学生らが集まり、歌や踊りを披露した。ハワイアンダンスやサックス演奏など、どれも本格的で見ごたえがあった。詩集を出版したことがある友人も詩を朗読した。
集まった学生らは国際色豊か。特に、中国人留学生の増加に伴って、中国人の入信者も増えており、施設では中国語のセミナーも行っているという。タレントショーでは最近、洗礼を受けた学生も中国語で歌を披露した。観客にはモルモン教に関心を持ち始めた中国人留学生もちらほら来ていた。
中国人学生の入信の理由はもともとキリスト教に興味があったり、渡米してから興味を持ったり、いろいろ。施設は信仰の中心だけでなく、大学の授業のために自習する場所にもなっており、留学生活における居場所の一つになっているようだ。
◇
学生を対象にキャンパスで宣教活動を行う若者たちもいる。この日は宣教師の若者も5人ほど参加していた。
その一人がたまたま日本人だった。数カ月前にロサンゼルスに来て宣教活動を開始。日本では英語を使う環境で育ったらしく、ネイティブ並みに英語が上手。最初は日系アメリカ人と勘違いしてしまった。
タレントショーでは彼も故郷・沖縄をテーマにした歌を披露し、曲の合間には、観客が事前に練習した通り、掛け声を入れたり、振り付けを加えたりして盛り上げた。
彼のように日本からアメリカに来る宣教師もいれば、もちろん、アメリカから外国に行く宣教師もいある。タレントショーでは韓国で宣教活動を行った経験から、韓国語の歌を披露する学生もいた。
友人は「ここの学生信徒団の多様性を見ると、いい文化の勉強になるかも」と言っていた。19世紀にアメリカで生まれたモルモン教の教団は、世界各地に宣教師を送るとともに、世界各地から来た移民にも積極的に宣教活動を行っている。
タレントショーは、久しぶりに友人と再会できたうえ、アメリカ発祥の宗教と移民のグローバルなつながりを肌で感じるいい機会になった。
2014年7月3日木曜日
国際空港、移民の管理と人生の節目
先日、2年ぶりの日本一時帰国から、ロサンゼルスに戻った。
ロサンゼルス国際空港に着陸するため高度を下げるジャンボジェット機の窓からロサンゼルスの近代的で乾いた街並みが見える。懐かしさと新鮮さが混じったような感覚になる。
妻と一緒に入国審査を受ける。パスポートやビザなどの必要な書類はすべてそろえていても、入国審査を通り抜けるときは、アメリカという国家に入国してよいか試されるある種の緊張感がある。
しかし、実際は「何か食べものは持ってきましたか」くらいの質問ですんなり通過し、無事にアメリカに入国。手荷物引き渡し場所でスーツケースを拾い、空港職員に税関申告書を手渡す。以前はI-94という出入国カードも記入して提出していたけど、2013年から自動化されて必要でなくなったようだ。
多くの人間を飛行機という密室に閉じ込めて、雲の上に放り投げ、空港ビルという限定された建物に届け、漏れなく入国審査などの関門を通り抜けさせる仕組みは、外国人を管理する上ではとても効率がいい。とはいえ、外国人がみんな空路を使って渡米するわけではない。
日本で暮らしていると、陸路で国境を越える感覚が薄いから、何気なく外国のことを「海外」と呼び、外国に行く方法は海を越える空路だと考えてしまう。多くの国にとって外国は海の外とは限らない。
そういう意味では、外国に行く際に、ほぼ空路しか選択肢がない日本出身者は管理しやすい外国人であるともいえる。
というわけで、日本からアメリカへの移動を両国の政府にしっかり管理された後、空港ビルの外へ出た。ロサンゼルスの青空が広がる。バスを乗り継いで帰宅。荷物は重かったけど、なんだか気持ちは軽かった。
多くの人間を飛行機という密室に閉じ込めて、雲の上に放り投げ、空港ビルという限定された建物に届け、漏れなく入国審査などの関門を通り抜けさせる仕組みは、外国人を管理する上ではとても効率がいい。とはいえ、外国人がみんな空路を使って渡米するわけではない。
日本で暮らしていると、陸路で国境を越える感覚が薄いから、何気なく外国のことを「海外」と呼び、外国に行く方法は海を越える空路だと考えてしまう。多くの国にとって外国は海の外とは限らない。
そういう意味では、外国に行く際に、ほぼ空路しか選択肢がない日本出身者は管理しやすい外国人であるともいえる。
というわけで、日本からアメリカへの移動を両国の政府にしっかり管理された後、空港ビルの外へ出た。ロサンゼルスの青空が広がる。バスを乗り継いで帰宅。荷物は重かったけど、なんだか気持ちは軽かった。
◇
その2日後、ロサンゼルスでお世話になった日本人夫妻がアメリカ生活を終えて帰国するため、同じロサンゼルス国際空港に見送りに行った。
国際空港には、ここからアメリカ生活を始める人もいれば、ここでそれを終える人もいる。そこには楽しさや寂しさなど感情が伴う。
国際空港には、ここからアメリカ生活を始める人もいれば、ここでそれを終える人もいる。そこには楽しさや寂しさなど感情が伴う。
国際空港は移民の動きを管理するだけでなく、それぞれの移民の人生に節目を与える場所でもある。
2014年6月14日土曜日
国際化と平等化、変わりゆく日本の移民社会
日本に2年ぶりに帰国した。最初は東京に一週間ほど滞在した。
中高時代の友達に会うため、品川駅に向かった。到着して改札を出ると、帰宅する大勢の会社員が駅ビル構内を埋め尽くしていた。改札へ向かう会社員の群れは増水した川のようにまとまって勢いよく動く。この川を横切るには、人の流れに身を任せつつ、斜め方向に移動しないといけない。
日本語も日本食も身近なロサンゼルスで生活していたので、それほど逆カルチャーショックはないと思っていた。けど、東京の人の量や動きに対応する際には、ある程度のフィジオロジカル(生理的)ショックがあり、それはそれで興味深い。
ところで、そうした大勢の会社員が行き交う品川駅構内には横断幕がかかっていた。「不法就労外国人対策キャンペーン月間」と書かれており、法務省入国管理局のキャンペーンだった。横断幕の下を通り過ぎ振り返ると、その裏側に「ルールを守って国際化」と別の標語が書かれていた。
日本社会の国際化を進めるには既存のルールや外国人に対する認識を変えないといけない。つまり、法務省が不法就労外国人と呼ぶ非正規滞在労働者(非合法移民労働者)を既存のルール通りに強制送還しても日本社会が国際化するというわけではない。
もちろん法治国家であれば出入国管理法を順守することは重要だ。しかし、それと同時に非正規滞在労働者が日本経済の一部を支えているという事実を理解しないと、日本社会の外国人に対する認識を国際化することはできないじゃないだろうか。
品川駅を毎日行き来する会社員にとって非正規滞在労働者はあまり縁のない存在。品川駅で「不法就労外国人対策」を訴えても非正規滞在労働者が減ることは期待できない。ということは、この横断幕の「啓発」効果があるとすれば、「非正規滞在労働者は悪いものだ」という漠然としたイメージを日本社会に広めることぐらいしかないんじゃないだろうか。
非正規滞在労働者にだけ責任を負わせるようなキャンペーンが東京の中心部で堂々と行われてる状況では日本社会の国際化は程遠いと感じた。
とはいえ、東京は日本国内の他の都市に比べれば実質的に国際的な都市といえる。東京都内には2014年、約39万人の外国人登録者が暮らしている。品川区民(約37万人)より多い。一週間ほどの滞在でも、いろいろなところで観光客ではない外国人をたくさん目にした。
東京タワー近くのホテルに泊まった。近所の増上寺境内では、外国人研修生と思われる東南アジア出身の建設作業員が日本人作業員とともに働いていた。チェーン店の牛丼店に入ると、若いアルバイト店員3人が切り盛りしており、みんな外国人だった。中国人の女性アルバイトが新入りの東南アジア出身の男性アルバイトに日本語でアドバイスしていた。おそらく彼らは留学生だろう。
外国人研修生も学生アルバイトも一定期間を過ぎると、出身国に帰国することが想定されている。けど、日本での生活を通して結婚などを理由に日本に定住する人もいるだろう。移民の受け入れという観点では、そうした人たちとその子どもたちが日本社会で平等に扱われるかどうかが重要だ。日本人と外国にルーツがある人々の平等化が日本社会の国際化に欠かせない要素だと思う。
東京で用事を済ませた後、別の用事で沖縄に向かった。羽田空港の搭乗口前ロビーで出発を待つ。備え付けられた広告用テレビ画面で、公共広告機構制作のあしなが育英会のPR広告が流れていた。4人の若者を取り上げ、それぞれの将来の夢をかなえるため、育英会が経済的なサポートを行っているという内容だった。4人のうち1人はアフリカ系の若者だった。外国にルーツがある若者も支援の対象になるということを効果的に伝えるPR広告だった。
あしなが育英会のPR広告と入国管理局の横断幕はそれぞれ対照的なイメージを作り出しているけど、どちらも外国にルーツがある人々と日本社会の関係を反映している。しばらくしたら、またロサンゼルスの留学生活に戻る。インターネット情報などを通して日本の移民社会の変化も注意深く見つめていきたい。
中高時代の友達に会うため、品川駅に向かった。到着して改札を出ると、帰宅する大勢の会社員が駅ビル構内を埋め尽くしていた。改札へ向かう会社員の群れは増水した川のようにまとまって勢いよく動く。この川を横切るには、人の流れに身を任せつつ、斜め方向に移動しないといけない。
日本語も日本食も身近なロサンゼルスで生活していたので、それほど逆カルチャーショックはないと思っていた。けど、東京の人の量や動きに対応する際には、ある程度のフィジオロジカル(生理的)ショックがあり、それはそれで興味深い。
ところで、そうした大勢の会社員が行き交う品川駅構内には横断幕がかかっていた。「不法就労外国人対策キャンペーン月間」と書かれており、法務省入国管理局のキャンペーンだった。横断幕の下を通り過ぎ振り返ると、その裏側に「ルールを守って国際化」と別の標語が書かれていた。
| 会社員が行き交う品川駅構内に掲げられた入国管理局の横断幕 |
日本社会の国際化を進めるには既存のルールや外国人に対する認識を変えないといけない。つまり、法務省が不法就労外国人と呼ぶ非正規滞在労働者(非合法移民労働者)を既存のルール通りに強制送還しても日本社会が国際化するというわけではない。
もちろん法治国家であれば出入国管理法を順守することは重要だ。しかし、それと同時に非正規滞在労働者が日本経済の一部を支えているという事実を理解しないと、日本社会の外国人に対する認識を国際化することはできないじゃないだろうか。
品川駅を毎日行き来する会社員にとって非正規滞在労働者はあまり縁のない存在。品川駅で「不法就労外国人対策」を訴えても非正規滞在労働者が減ることは期待できない。ということは、この横断幕の「啓発」効果があるとすれば、「非正規滞在労働者は悪いものだ」という漠然としたイメージを日本社会に広めることぐらいしかないんじゃないだろうか。
非正規滞在労働者にだけ責任を負わせるようなキャンペーンが東京の中心部で堂々と行われてる状況では日本社会の国際化は程遠いと感じた。
◇
とはいえ、東京は日本国内の他の都市に比べれば実質的に国際的な都市といえる。東京都内には2014年、約39万人の外国人登録者が暮らしている。品川区民(約37万人)より多い。一週間ほどの滞在でも、いろいろなところで観光客ではない外国人をたくさん目にした。
東京タワー近くのホテルに泊まった。近所の増上寺境内では、外国人研修生と思われる東南アジア出身の建設作業員が日本人作業員とともに働いていた。チェーン店の牛丼店に入ると、若いアルバイト店員3人が切り盛りしており、みんな外国人だった。中国人の女性アルバイトが新入りの東南アジア出身の男性アルバイトに日本語でアドバイスしていた。おそらく彼らは留学生だろう。
| 飲食店やコンビニなどでは留学生らが働いている。 |
外国人研修生も学生アルバイトも一定期間を過ぎると、出身国に帰国することが想定されている。けど、日本での生活を通して結婚などを理由に日本に定住する人もいるだろう。移民の受け入れという観点では、そうした人たちとその子どもたちが日本社会で平等に扱われるかどうかが重要だ。日本人と外国にルーツがある人々の平等化が日本社会の国際化に欠かせない要素だと思う。
◇
東京で用事を済ませた後、別の用事で沖縄に向かった。羽田空港の搭乗口前ロビーで出発を待つ。備え付けられた広告用テレビ画面で、公共広告機構制作のあしなが育英会のPR広告が流れていた。4人の若者を取り上げ、それぞれの将来の夢をかなえるため、育英会が経済的なサポートを行っているという内容だった。4人のうち1人はアフリカ系の若者だった。外国にルーツがある若者も支援の対象になるということを効果的に伝えるPR広告だった。
| あしなが育英会のPR広告 |
あしなが育英会のPR広告と入国管理局の横断幕はそれぞれ対照的なイメージを作り出しているけど、どちらも外国にルーツがある人々と日本社会の関係を反映している。しばらくしたら、またロサンゼルスの留学生活に戻る。インターネット情報などを通して日本の移民社会の変化も注意深く見つめていきたい。
2014年5月26日月曜日
銃と人種、自由の国アメリカの問題
カリフォルニア州アイラビスタで23日、容疑者を含め7人が死亡する無差別殺傷事件が起きた。
エリオット・ロジャー容疑者(22)は、魅力的な女性と交際できないことへのいら立ちから、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の学生がナイトライフを楽しむアイラビスタで、刃物と拳銃を使って無差別殺人を実行したという。
25日のロサンゼルス・タイムズが事件について詳報している。同紙を読む限りでは、ロジャー容疑者にとっての「魅力的な女性」像にはアメリカ社会の人種関係が大きく影響していたようだ。
ロジャー容疑者はイギリス人の映画監督と中国人の母親の間に生まれ、7歳のときに両親が離婚。その後は母親と暮らしてきたという。しかし、自分が白人とアジア人のハーフであることが、白人女性と付き合えない理由の一つと考えていた。
ロジャー容疑者は「僕は内気で人気もない。何よりも、僕は二つの人種の間に生まれた(I am mixed race)から、他の人と違っていた。僕は半分白人で、半分アジア人。そして、このせいで、ふつうの完全な白人の若者たちに溶け込もうと思っても、それができなかった」と犯行予告の文章に記している。さらに、ある投稿サイトに「黒人の男が4人の白人女性と遊んでいる」と「怒りが込み上げてくる」と他の人種エスニック集団に対しても人種主義的なコメントを投稿していた。
彼の人種を巡る感情は犯行を正当化する理由には一切ならないとともに、もちろんこうした感情をハーフの若者がみんな抱えているわけでもない。彼の人格形成に両親の離婚など他の要因が与えた影響も考えられるだろう。
ただ、今回の事件は、アメリカ社会が白人中心であり、ロジャー容疑者が抱えたようなコンプレックスが生まれる背景があるということを示す一例といえる。彼の父親が関わっている映画業界では、白人を主役に据える映画がたくさんある一方、アジア系を主役に据えた映画はほとんど見当たらない。
さらに、この事件はアメリカ社会における銃の問題とも関係が深い。テレビニュースで、ある被害者の父親が銃規制の必要性を涙ながらに訴えていた。
ちょうど20年前の1994年、同じカリフォルニア州のロサンゼルスで日本人留学生2人が拳銃で殺害される事件が起きた。
日本で暮らす2人の遺族を含む関係者のインタビューを通して事件をふり返るドキュメンタリー映画『Lives Interrupted: The Takuma Ito and Go Matsuura Story』(2012年)が先日、テレビ放送されており、途中からだったけど、たまたま見る機会を得た。犯人と地元ギャングの関係、銃規制の必要性、司法制度の在り方など、凶悪事件の背景にもふれていた。2人の遺族も事件後、銃規制を求める運動を展開したという。
僕が大学で使った歴史教科書によると、1998年、銃で殺害された人の人数は、日本では19人、アメリカではその620倍の1万1789人だった。警察庁資料とガーディアン紙によると、2011年、日本では17人、アメリカではその504倍の8,583人が銃で殺害された(アメリカの人口は日本の約2.5倍)。
銃と人種――アイラビスタの事件を通して、自由の国アメリカに根深く残る問題について考えさせられた。
・アメリカの銃関連犯罪について報じたガーディアン紙の記事は、こちら。
・警察庁の犯罪情勢資料は、こちら。
僕が大学で使った歴史教科書によると、1998年、銃で殺害された人の人数は、日本では19人、アメリカではその620倍の1万1789人だった。警察庁資料とガーディアン紙によると、2011年、日本では17人、アメリカではその504倍の8,583人が銃で殺害された(アメリカの人口は日本の約2.5倍)。
銃と人種――アイラビスタの事件を通して、自由の国アメリカに根深く残る問題について考えさせられた。
・アメリカの銃関連犯罪について報じたガーディアン紙の記事は、こちら。
・警察庁の犯罪情勢資料は、こちら。
2014年4月30日水曜日
コスタリカの中国人移民、嫌がらせに抗議
フェイスブックでは、高校時代に留学していたコスタリカの仲間の投稿も読める。
たまたま興味深い投稿があった。
かつて僕が住んでいた町の出来事。そこで人気の中華料理店の前に、首のない犬のような生き物の死骸が放置されていたという内容を複数枚の写真付きで、ある住民の女性が投稿した。
彼女は「これがいつも私たちが食べてきたものですよ」とコメントをつけた。投稿はすぐに住民ら50人以上にシェア(共有)されて、一気に広がった。僕の知人もシェアし、僕も投稿を見ることができた。
コメント欄には「これ犬?」、「オエッ」、「ああ気持ち悪い。なんでこんなことができるの?」などと続く。ある人が「これ本当?」と聞くと、投稿者の女性は「本当よ。これがいつも私たちが食べてきたものよ」と自信まんまんに答える。
その後しばらく「気持ち悪い」という内容のコメントが続いたが、ある女性がこう切り出した。
「それは嘘ですよ(笑)」。
書き込んだのは、その中華料理店で働く中国人移民の女性だった。
「私たちはちゃんとした人間ですし、そんなことをすることはありませんよ。これ(死骸の動物)をずっと食べてきたって書かれているのは残念です。どうやったらそんなことができるっていうんですか。お願いです。こうして騒動にする前に本当かどうか調べてください。レストランは今日も開いています。ぜひお店に来て、気になるなら、何匹の犬がいるか調べてもらってもいいですよ。よろしくお願いします」
続けて、彼女は「私たちは中国人です。汚い人じゃありません」と大文字で書き込んだ。「中国人」と「汚い人」のスペイン語の発音が似ているのを逆手にとって反論した。
すると、中国人女性の友人たちが「ここの中華料理はおいしいよ。誰かが悪さするために店の前に死骸を置いたんでしょ」、「これは中国人の信用を落とすために誰かがやったのよ」などとコメントを投稿した。
中国人女性は「私はこの町に住んで16年になります。こんなこと、できるわけありません。私たちはコスタリカに住んでいます。ここではこんなことは許されないって知っています。誰かの悪意で起きたことですが、神のご加護を祈ります」と書き加えた。
最初の投稿は一切の証拠がないまま、「ふだん住民が食べている焼き飯に犬の肉が入っている」と主張し、一気にフェイスブック上で拡散した。
しかし、中国人女性は投稿者に対して厳しい言葉をかけることなく、たんたんと店の潔白を説明し、彼女の友人たちがそれを支えた。最終的に50件近くに増えたコメントの内容は、店を応援する声に変わった。最初に情報を流した女性に「噂して楽しむことしか能がない」と批判する声もあった。
僕が留学していたころ、僕が町で唯一のアジア人男性だった。だから、ものすごく目立って友だちもたくさんできた。ただ、1年間だけの高校留学と、何十年も移民として現地で暮らしていくことはまったく違う。この町で暮らすアジア人は今でも数えるほどしかいない。
今回のような人種差別的な嫌がらせを証拠なく言いまわった女性に対して、堂々と丁寧に対応していた、この中国人移民の女性の姿勢は立派だと思った。また、疑わしい内容の投稿に同調してシェアする人だけでなく、その内容を疑って批判する人も多かったことも印象的だった。
たまたま興味深い投稿があった。
かつて僕が住んでいた町の出来事。そこで人気の中華料理店の前に、首のない犬のような生き物の死骸が放置されていたという内容を複数枚の写真付きで、ある住民の女性が投稿した。
彼女は「これがいつも私たちが食べてきたものですよ」とコメントをつけた。投稿はすぐに住民ら50人以上にシェア(共有)されて、一気に広がった。僕の知人もシェアし、僕も投稿を見ることができた。
コメント欄には「これ犬?」、「オエッ」、「ああ気持ち悪い。なんでこんなことができるの?」などと続く。ある人が「これ本当?」と聞くと、投稿者の女性は「本当よ。これがいつも私たちが食べてきたものよ」と自信まんまんに答える。
その後しばらく「気持ち悪い」という内容のコメントが続いたが、ある女性がこう切り出した。
「それは嘘ですよ(笑)」。
書き込んだのは、その中華料理店で働く中国人移民の女性だった。
「私たちはちゃんとした人間ですし、そんなことをすることはありませんよ。これ(死骸の動物)をずっと食べてきたって書かれているのは残念です。どうやったらそんなことができるっていうんですか。お願いです。こうして騒動にする前に本当かどうか調べてください。レストランは今日も開いています。ぜひお店に来て、気になるなら、何匹の犬がいるか調べてもらってもいいですよ。よろしくお願いします」
続けて、彼女は「私たちは中国人です。汚い人じゃありません」と大文字で書き込んだ。「中国人」と「汚い人」のスペイン語の発音が似ているのを逆手にとって反論した。
すると、中国人女性の友人たちが「ここの中華料理はおいしいよ。誰かが悪さするために店の前に死骸を置いたんでしょ」、「これは中国人の信用を落とすために誰かがやったのよ」などとコメントを投稿した。
中国人女性は「私はこの町に住んで16年になります。こんなこと、できるわけありません。私たちはコスタリカに住んでいます。ここではこんなことは許されないって知っています。誰かの悪意で起きたことですが、神のご加護を祈ります」と書き加えた。
最初の投稿は一切の証拠がないまま、「ふだん住民が食べている焼き飯に犬の肉が入っている」と主張し、一気にフェイスブック上で拡散した。
しかし、中国人女性は投稿者に対して厳しい言葉をかけることなく、たんたんと店の潔白を説明し、彼女の友人たちがそれを支えた。最終的に50件近くに増えたコメントの内容は、店を応援する声に変わった。最初に情報を流した女性に「噂して楽しむことしか能がない」と批判する声もあった。
僕が留学していたころ、僕が町で唯一のアジア人男性だった。だから、ものすごく目立って友だちもたくさんできた。ただ、1年間だけの高校留学と、何十年も移民として現地で暮らしていくことはまったく違う。この町で暮らすアジア人は今でも数えるほどしかいない。
今回のような人種差別的な嫌がらせを証拠なく言いまわった女性に対して、堂々と丁寧に対応していた、この中国人移民の女性の姿勢は立派だと思った。また、疑わしい内容の投稿に同調してシェアする人だけでなく、その内容を疑って批判する人も多かったことも印象的だった。
◇
けど、実際、コスタリカ社会の常識として、こういう特定の飲食店やエスニック集団を標的にした嫌がらせに対して、法的にどのように対処できるんだろうか。というわけで、弁護士資格のあるコスタリカ人の友だちに聞いてみた。店の経営者は、名誉棄損罪で虚偽の情報を流した女性に対して祖なぎ賠償を求めることが可能という。弁護士の友だちも「こういう情報を彼女が投稿したのは本当に気分が悪いこと」と言っていた。かなり悪質だったので、経営者は訴えていいと思う。
そんなこんなでしばらく時間が経つと、最初の投稿者はフェイスブックから問題の投稿を削除していた。結果的にいろんな批判や注意のメッセージを受け取り、問題の深刻さに気付いたんだろう。けど、気付いただけじゃなく、期間限定でもいいから訂正と謝罪の投稿をフェイスブック上で出したり、中華料理店に直接徹底的に謝罪してほしいところだ(しないと思うけど)。
翌日、フェイスブックで広がった情報は一部のコスタリカ国内ネットメディアが報じることに。
僕が読んだ2本の記事は、どちらも中華料理店の料理と動物の死骸の関係を示す証拠も、中華料理店関係者への取材もないまま、直訳すると「犬の肉が中華料理店で使われていたかもしれない」、「中華料理店の前で解体された犬のようなもの見つかる」と見出しをつけて報じており、見出しだけ読んだ人は「中華料理に犬の肉が使われていた」と理解するだろう。
この段階では、死骸が犬かどうかを含めて、何も分かっていない。誰かが死骸を中華料理店前に捨てた可能性もあるし、もちろん犬を食べる文化もあるから誰かが食べていた可能性もゼロじゃない(ちなみに、今は法律で禁猟になったが、コスタリカにはイグアナを食べる文化がある)。
ただ、何もわかっていない段階で「中華料理店」と「(コスタリカでは考えられない)犬食」を結びつけた報道の根底には、中国人に対する偏見があるといって間違いないだろう。
◇
翌日、フェイスブックで広がった情報は一部のコスタリカ国内ネットメディアが報じることに。
僕が読んだ2本の記事は、どちらも中華料理店の料理と動物の死骸の関係を示す証拠も、中華料理店関係者への取材もないまま、直訳すると「犬の肉が中華料理店で使われていたかもしれない」、「中華料理店の前で解体された犬のようなもの見つかる」と見出しをつけて報じており、見出しだけ読んだ人は「中華料理に犬の肉が使われていた」と理解するだろう。
この段階では、死骸が犬かどうかを含めて、何も分かっていない。誰かが死骸を中華料理店前に捨てた可能性もあるし、もちろん犬を食べる文化もあるから誰かが食べていた可能性もゼロじゃない(ちなみに、今は法律で禁猟になったが、コスタリカにはイグアナを食べる文化がある)。
ただ、何もわかっていない段階で「中華料理店」と「(コスタリカでは考えられない)犬食」を結びつけた報道の根底には、中国人に対する偏見があるといって間違いないだろう。
2014年3月6日木曜日
マイノリティのアメリカ人学生、日本旅行へ
この春、海外研修旅行で日本に行くアメリカ人学部生約20人と話をした。
彼らの多くはアフリカ系やラティーノを中心としたエスニック・マイノリティで、カリフォルニア州の外に出たことがない。さらに、彼らはそれぞれの家族の中で、初めて大学に進学した若者たちで、アメリカでは「first generation college students」と呼ばれている。今回、彼らが参加する海外研修旅行は、こうした学生たちに海外について見聞を広める機会を与えようと、僕の通う大学が企画したものだ。
学生らが食文化体験ということで、おにぎりとお好み焼きを食べた後、僕ともう一人の日本人留学生の二人が彼らの質問に応えた。
日本の男女関係はどうか。
日本でLGBTの権利はどんな感じか。
日本の政治家に求められる資質はなにか。
野球は日本の文化にあっているのか。
日本でラティーノはどんなイメージを持たれているのか。
ヤクザは何をしているのか。
・・・・・・
・・・
なかなか一口に答えにくい質問が多かったけど、アメリカに比べてどうか、という文脈でできる限り説明した。
あるアフリカ系の学生が「日本で変なやつ(weird)って思われる人はどんな人ですか」と質問してきた。この質問については、他の学生も、どういう文脈の質問が分かりにくいと指摘。いろいろ話していると、結局、「日本ではどういう人がいじめられるのか」という質問になった。これもこれで難しい。
やや苦し紛れに「周りと違うことをするといじめの対象になることもある」と答えた。するとラティーノの学生が「日本のことわざだったと思うけど、出る杭は打たれるってやつですか」とちょうどいい説明を付け加えてくれた。よく知っているなあ、と感心した。
外国人留学生として海外生活を送ると、今回のように「日本人」としての役割を担うケースも少なくない。日本について質問された場合は、自分の経験や確実な知識に根差した答えを、いろいろな答えの一つとして、慎重に説明するように心がけていきたい。
お好み焼きの具材は、この日のイベントスタッフの大学院生が準備してくれた。日系スーパーで売っている薄切りの豚肉が必要と事前に伝えていたものの、実際には調理済みの中華風チャーシューを準備していた。これをお好み焼きにして食べてみると、けっこうおいしかった。お好みでなんでもいれていいんだ、と再確認した。
◇
お好み焼きの具材は、この日のイベントスタッフの大学院生が準備してくれた。日系スーパーで売っている薄切りの豚肉が必要と事前に伝えていたものの、実際には調理済みの中華風チャーシューを準備していた。これをお好み焼きにして食べてみると、けっこうおいしかった。お好みでなんでもいれていいんだ、と再確認した。
2014年2月24日月曜日
移民社会の求人広告、点在する異文化な日常
妻が「英検」の口頭試験を受けるということで、試験会場のあるトーランス市に一緒に向かった。「英検」はロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンで海外受験ができる。この日も小中高生を中心に多くの受験生が集まった。
僕は近くの喫茶店に車を止めて待つ。1時間半ほどして妻が帰って来たので、トーランス市北側のガーデナ市にある人気台湾料理店に行った。
この台湾料理店の店名は「沸點臭臭鍋」。いかにも臭そうな店名だが、料理も臭い。台湾名物の臭豆腐を中心に肉や野菜を煮込んだ鍋料理が人気で、この日もたくさんの客が店の前に並んでいた。客層はアジア系が中心だけど、ラティーノも食べに来ていた。ランチタイムは約9ドルで台湾風紅茶もついてくるのでお得だ。
食べ終わった後、この店が入居している建物の別の飲食店を見て回った。日本、中国、韓国、ベトナム、タイなどアジア系を中心に飲食店が15店舗ほど入っている。いくつかの店は店頭にアルバイト募集の張り紙を出していた。
ある韓国料理店は「Help Wanted!」とだけ書いている。ある日本料理店は日本語の縦書きで「ウェイトレス募集」と書き、日本人の女性のアルバイトを探しているようだ。別の韓国料理店はスペイン語で「Se Necesita Ayudante de Lavaplatos y Cosina」と書き、ラティーノにアピールしている。広告を見比べてみるだけでも、この移民社会で、どういう人々がどういう場所で働くのか垣間見ることができる。
そのスペイン語の張り紙を見て、妻が「食器洗いと料理人の募集でしょ」と言った。彼女は昨年、自宅アパート近所のアダルトスクールでスペイン語を勉強していた。まだまだスペイン語で会話する力は足りないけど、スペイン語の張り紙の意味が分かるだけでも大したものだと感心した。
台湾料理店から車で5分ほど行ったところに、1952年開業のイタリア食料品店「Giuliano's in Gardena」がある。現在、ガーデナ市内で暮らすヨーロッパ系白人は少ないが、この店は創業者の子孫であるイタリア系アメリカ人家族が切り盛りしている。
店内には、手作りのパンやケーキ、パスタに加え、ソーセージやチーズなどの加工品も豊富に取り揃えている。「トルピード(魚雷)」というロールパンのサンドイッチも有名で、注文コーナーで客が列をなしていた。せっかくなので、わが家もジュニアサイズ(8インチ)を約5ドルで注文。さらに、手作りホウレンソウ生パスタ(約2.7ドル)とティラミス(約3ドル)も購入した。この店の人気は新鮮さと品質に加え、この低価格が支えている。
僕も妻もトイレに行きたいということで、この店を出て、すぐ近くのスーパーマーケットへ。店員や客層、商品からメキシコ系スーパーだと分かる。ただ、生鮮野菜コーナー横の天井から、ラテンアメリカのパーティでおなじみのピニャータ(お菓子の入った紙製の人形)がずらっと吊るされているスーパーは初めて見た。レジ近くを観察すると、ラテンアメリカへの送金窓口などラティーノが必要とするサービスも整っていた。
たまたま店内にトイレも見つかり、助かったところで、帰路についた。日本だったり、台湾だったり、イタリアだったり、メキシコだったり、異なる文化空間が狭い地域に点在し、緊張と調和が共存している状況が、ロサンゼルスの景色の一つといえるだろう。外国人の僕にとっては刺激的な日常だ。
僕は近くの喫茶店に車を止めて待つ。1時間半ほどして妻が帰って来たので、トーランス市北側のガーデナ市にある人気台湾料理店に行った。
◇
この台湾料理店の店名は「沸點臭臭鍋」。いかにも臭そうな店名だが、料理も臭い。台湾名物の臭豆腐を中心に肉や野菜を煮込んだ鍋料理が人気で、この日もたくさんの客が店の前に並んでいた。客層はアジア系が中心だけど、ラティーノも食べに来ていた。ランチタイムは約9ドルで台湾風紅茶もついてくるのでお得だ。
| 臭臭鍋 |
食べ終わった後、この店が入居している建物の別の飲食店を見て回った。日本、中国、韓国、ベトナム、タイなどアジア系を中心に飲食店が15店舗ほど入っている。いくつかの店は店頭にアルバイト募集の張り紙を出していた。
ある韓国料理店は「Help Wanted!」とだけ書いている。ある日本料理店は日本語の縦書きで「ウェイトレス募集」と書き、日本人の女性のアルバイトを探しているようだ。別の韓国料理店はスペイン語で「Se Necesita Ayudante de Lavaplatos y Cosina」と書き、ラティーノにアピールしている。広告を見比べてみるだけでも、この移民社会で、どういう人々がどういう場所で働くのか垣間見ることができる。
![]() |
| 異なる言語で書かれたアジア系飲食店の求人広告 |
そのスペイン語の張り紙を見て、妻が「食器洗いと料理人の募集でしょ」と言った。彼女は昨年、自宅アパート近所のアダルトスクールでスペイン語を勉強していた。まだまだスペイン語で会話する力は足りないけど、スペイン語の張り紙の意味が分かるだけでも大したものだと感心した。
◇
台湾料理店から車で5分ほど行ったところに、1952年開業のイタリア食料品店「Giuliano's in Gardena」がある。現在、ガーデナ市内で暮らすヨーロッパ系白人は少ないが、この店は創業者の子孫であるイタリア系アメリカ人家族が切り盛りしている。
| 屋外の光が店内を照らし、雰囲気もいい。 |
店内には、手作りのパンやケーキ、パスタに加え、ソーセージやチーズなどの加工品も豊富に取り揃えている。「トルピード(魚雷)」というロールパンのサンドイッチも有名で、注文コーナーで客が列をなしていた。せっかくなので、わが家もジュニアサイズ(8インチ)を約5ドルで注文。さらに、手作りホウレンソウ生パスタ(約2.7ドル)とティラミス(約3ドル)も購入した。この店の人気は新鮮さと品質に加え、この低価格が支えている。
| ティラミス、ホウレンソウ生パスタ、人気の「トルピード」はすべて手作りだ。 |
僕も妻もトイレに行きたいということで、この店を出て、すぐ近くのスーパーマーケットへ。店員や客層、商品からメキシコ系スーパーだと分かる。ただ、生鮮野菜コーナー横の天井から、ラテンアメリカのパーティでおなじみのピニャータ(お菓子の入った紙製の人形)がずらっと吊るされているスーパーは初めて見た。レジ近くを観察すると、ラテンアメリカへの送金窓口などラティーノが必要とするサービスも整っていた。
| 生鮮野菜コーナー横の天井から吊るされたピニャータ |
たまたま店内にトイレも見つかり、助かったところで、帰路についた。日本だったり、台湾だったり、イタリアだったり、メキシコだったり、異なる文化空間が狭い地域に点在し、緊張と調和が共存している状況が、ロサンゼルスの景色の一つといえるだろう。外国人の僕にとっては刺激的な日常だ。
2014年1月28日火曜日
カリフォルニアって感じ、英語いろいろ
新学期が始まり、2週間が過ぎた。
今学期は東アジアに関わる授業を2コマ受講し、アジア系の院生と一緒に学ぶ時間が増えた。
ティーチング・アシスタント(TA)として関わる授業は、アメリカ史概論。受講している学部生の半数以上はアメリカ出身の学生だけど、中国本土、台湾、香港、韓国、インド、マレーシアなどアジア出身の留学生も多い。加えて、理系の学部生がほとんどなので、これはこれで楽しい授業になりそうだ。
先日、前学期、一緒にTAをした歴史学部の友人らを自宅に招いて日本食パーティーを開いた。
イギリス人と日系アメリカ人、白人のアメリカ人と彼の子ども2人の計5人が来てくれた。
本マグロ、マグロ、ブリ、エビ、ウニ、イシダイの刺身を日系スーパーで購入。握りずしを一緒に作って食べた。トビウオ出汁のお吸い物やキンキの煮物も妻が料理してくれた。日本酒を飲みつつ、深夜0時近くまで会話が弾んだ。イギリス人の友人にとっては初めて食べるものも多かったようだ。
彼女は冬休みはイギリスに帰ったようだが、家族から英語が少しカリフォルニア風に変化してきていると指摘されたらしい。
具体的には、「It's like...」や「I was like...」と「like(~感じ、~みたいな)」を連発したり、「I think」ではなく「I guess」と言ったりするということらしい。アメリカ人の友人らによると、かつてカリフォルニア州内の若い女性が連発していた「like」が、今では全国的に使われるようになったという。
たしかにカリフォルニアの人々の会話にはやたら「like」が含まれているので、実際は会話に何も内容がないんじゃないかという結論に至り、盛り上がった。
その後、アメリカ、イギリス、そして日本の方言や言葉の多様性について話しあった。
アメリカの場合、地域だけでなく、人種・エスニシティ集団の言語的背景によっても発音が異なることがある。多くのアフリカ系アメリカ人の英語の特徴は、アメリカ南部の英語の影響を受けており、エボニックス(Ebonics)と呼ばれている。単語末の子音を発音しないことなどが特徴だ。
ロサンゼルスにも第二次世界大戦中に多くのアフリカ系が南部から移住したため、エボニックスを話す人々をよく見かける。
ラティーノの英語もスペイン語の影響を受けている。両言語が混ざったスパングリッシュ(Spanglish)はよく知られているが、文法的には完全に英語でもスペイン語の発音の影響を受けているケースもある。
スペイン語では「Z」は「セータ」と発音し、「ジ」に近い発音はあるものの、基本的には「ザ~ゾ」の発音はない。たしかに、あるメキシコ料理チェーン店のテレビCMでは「This burrito is amazing」というセリフを、役者が「アメイシング」と発音している。
アジア系はどうだろうか。この日、招待したアメリカ人の友人の一人は日系人。彼女は、アメリカで生まれ育った中国系二世の若者の英語を聞くと、彼らが家庭で使う中国語の抑揚が含まれていることにしばしば気づくという。そのため、相手のエスニシティを聞かなくても、中国系と分かることがあるらしい。スペイン語や南部英語の影響を考えれば不思議なことではないが、中国語の抑揚を伴うネイティブの英語というのもなかなか興味深い。
今学期は東アジアに関わる授業を2コマ受講し、アジア系の院生と一緒に学ぶ時間が増えた。
ティーチング・アシスタント(TA)として関わる授業は、アメリカ史概論。受講している学部生の半数以上はアメリカ出身の学生だけど、中国本土、台湾、香港、韓国、インド、マレーシアなどアジア出身の留学生も多い。加えて、理系の学部生がほとんどなので、これはこれで楽しい授業になりそうだ。
◇
先日、前学期、一緒にTAをした歴史学部の友人らを自宅に招いて日本食パーティーを開いた。
イギリス人と日系アメリカ人、白人のアメリカ人と彼の子ども2人の計5人が来てくれた。
本マグロ、マグロ、ブリ、エビ、ウニ、イシダイの刺身を日系スーパーで購入。握りずしを一緒に作って食べた。トビウオ出汁のお吸い物やキンキの煮物も妻が料理してくれた。日本酒を飲みつつ、深夜0時近くまで会話が弾んだ。イギリス人の友人にとっては初めて食べるものも多かったようだ。
彼女は冬休みはイギリスに帰ったようだが、家族から英語が少しカリフォルニア風に変化してきていると指摘されたらしい。
具体的には、「It's like...」や「I was like...」と「like(~感じ、~みたいな)」を連発したり、「I think」ではなく「I guess」と言ったりするということらしい。アメリカ人の友人らによると、かつてカリフォルニア州内の若い女性が連発していた「like」が、今では全国的に使われるようになったという。
たしかにカリフォルニアの人々の会話にはやたら「like」が含まれているので、実際は会話に何も内容がないんじゃないかという結論に至り、盛り上がった。
その後、アメリカ、イギリス、そして日本の方言や言葉の多様性について話しあった。
アメリカの場合、地域だけでなく、人種・エスニシティ集団の言語的背景によっても発音が異なることがある。多くのアフリカ系アメリカ人の英語の特徴は、アメリカ南部の英語の影響を受けており、エボニックス(Ebonics)と呼ばれている。単語末の子音を発音しないことなどが特徴だ。
ロサンゼルスにも第二次世界大戦中に多くのアフリカ系が南部から移住したため、エボニックスを話す人々をよく見かける。
ラティーノの英語もスペイン語の影響を受けている。両言語が混ざったスパングリッシュ(Spanglish)はよく知られているが、文法的には完全に英語でもスペイン語の発音の影響を受けているケースもある。
スペイン語では「Z」は「セータ」と発音し、「ジ」に近い発音はあるものの、基本的には「ザ~ゾ」の発音はない。たしかに、あるメキシコ料理チェーン店のテレビCMでは「This burrito is amazing」というセリフを、役者が「アメイシング」と発音している。
アジア系はどうだろうか。この日、招待したアメリカ人の友人の一人は日系人。彼女は、アメリカで生まれ育った中国系二世の若者の英語を聞くと、彼らが家庭で使う中国語の抑揚が含まれていることにしばしば気づくという。そのため、相手のエスニシティを聞かなくても、中国系と分かることがあるらしい。スペイン語や南部英語の影響を考えれば不思議なことではないが、中国語の抑揚を伴うネイティブの英語というのもなかなか興味深い。
◇
午後11時半、アメリカ人の友人が子どもらに「もうそろそろ寝る時間だね」と言い、他の友人も帰る準備を始めた。またいつかこういう機会を設けたい。
2013年12月21日土曜日
移民都市ロサンゼルスの日常、挑戦から学ぶ
今日で大学院留学2年目の秋学期が終わった。
今学期はロサンゼルス史の授業とチカーノ/ラティーノ研究の授業を受けるとともに、初めてティーチング・アシスタント(TA)にも取り組み、学部生にカリフォルニア史を教えた。
ロサンゼルス史の授業は、大量の歴史資料を保管している文化施設ハンチントン図書館(Huntington Library)の一室で受けた。その日だけ車を使ったが、それ以外はいつも通り電車で通学した。
ある朝、電車に乗ると地元小学生の団体が乗り込んできた。電車に乗るやいなや大騒ぎする子どもたち。「ごめんなさいね~(Sorry guuuys!)」と女性教員が他の乗客に声をかける。子どもらの人種・エスニシティは、ヨーロッパ系、アフリカ系、ラティーノ、東アジア系、南アジア系とさまざま。子どもたちは自然史博物館の最寄り駅で降りて行った。
その後、電車は大学キャンパス前の駅に到着。駅から大学キャンパスへは横断歩道を一つ渡らないといけない。車道を走る自動車は一台もなかったけど、僕を含めて、学生たちは赤信号が青信号(実際は白信号=写真)に変るのを待つ。学生たちの人種・エスニシティも小学生たちと同じで多様だ。それぞれの祖先を辿れば、世界各地にたどり着くだろう。
信号が変わると、学生たちは黙って横断歩道を渡り始めた。
今学期の授業は、こうして多様な背景を持つ人々が信号で立ち止まり、また動き出す移民都市の日常を、非日常として歴史的に考える機会になった。
一方、妻は新しい挑戦として菓子店でアルバイトを始めた。家計をサポートするだけでなく、現地の人々と一緒に何かに取り組むことで、アメリカ社会について理解を深め、英語を練習する貴重な機会だ。
妻は昨年1年間は移民対象の英語教室に通って、メキシコや中国、タイなど出身の仲間たちと交流を深めた。今でも月に数回は彼女たちと一緒に遊んでいる。そんな仲間たちも今年からそれぞれ仕事を始めているらしい。今回の妻のアルバイト探しでも、外国人や日本人の友だちがアドバイスをくれた。
外国人は、外国人同士のネットワークを生かしつつ、現地の生活に溶け込んでいく。
公費で運営されている英語教室は、外国人に言葉を教えるだけでなく、こうした外国人同士のネットワークを生み出す基盤にもなっている。
今日、妻は菓子店に向かい、基本的な業務の練習をした。同僚は親切な人たちばかりらしい。
僕は昼過ぎから大学に向かい、TAで担当した学部生の成績について教授と最終確認をした。
作業を終えると午後6時。ほぼ常夏といってもいいロサンゼルスでも、この季節の朝晩は冷え込む。ダウンタウンから帰りがけの妻が車でキャンパスまで迎えに来てくれた。
ささやかな打ち上げということで、そのまま自宅アパート近所のタイ料理店に車で向かった。妻はタイカレー、僕は平たい米粉麺パッキーマオ(写真)を食べた。こういう一日はありがたい。
今学期はロサンゼルス史の授業とチカーノ/ラティーノ研究の授業を受けるとともに、初めてティーチング・アシスタント(TA)にも取り組み、学部生にカリフォルニア史を教えた。
ロサンゼルス史の授業は、大量の歴史資料を保管している文化施設ハンチントン図書館(Huntington Library)の一室で受けた。その日だけ車を使ったが、それ以外はいつも通り電車で通学した。
ある朝、電車に乗ると地元小学生の団体が乗り込んできた。電車に乗るやいなや大騒ぎする子どもたち。「ごめんなさいね~(Sorry guuuys!)」と女性教員が他の乗客に声をかける。子どもらの人種・エスニシティは、ヨーロッパ系、アフリカ系、ラティーノ、東アジア系、南アジア系とさまざま。子どもたちは自然史博物館の最寄り駅で降りて行った。
その後、電車は大学キャンパス前の駅に到着。駅から大学キャンパスへは横断歩道を一つ渡らないといけない。車道を走る自動車は一台もなかったけど、僕を含めて、学生たちは赤信号が青信号(実際は白信号=写真)に変るのを待つ。学生たちの人種・エスニシティも小学生たちと同じで多様だ。それぞれの祖先を辿れば、世界各地にたどり着くだろう。
信号が変わると、学生たちは黙って横断歩道を渡り始めた。
| 安全を示す歩行者用の信号は、歩行者の形の白い電光で表示される。 |
今学期の授業は、こうして多様な背景を持つ人々が信号で立ち止まり、また動き出す移民都市の日常を、非日常として歴史的に考える機会になった。
◇
一方、妻は新しい挑戦として菓子店でアルバイトを始めた。家計をサポートするだけでなく、現地の人々と一緒に何かに取り組むことで、アメリカ社会について理解を深め、英語を練習する貴重な機会だ。
妻は昨年1年間は移民対象の英語教室に通って、メキシコや中国、タイなど出身の仲間たちと交流を深めた。今でも月に数回は彼女たちと一緒に遊んでいる。そんな仲間たちも今年からそれぞれ仕事を始めているらしい。今回の妻のアルバイト探しでも、外国人や日本人の友だちがアドバイスをくれた。
外国人は、外国人同士のネットワークを生かしつつ、現地の生活に溶け込んでいく。
公費で運営されている英語教室は、外国人に言葉を教えるだけでなく、こうした外国人同士のネットワークを生み出す基盤にもなっている。
◇
今日、妻は菓子店に向かい、基本的な業務の練習をした。同僚は親切な人たちばかりらしい。
僕は昼過ぎから大学に向かい、TAで担当した学部生の成績について教授と最終確認をした。
作業を終えると午後6時。ほぼ常夏といってもいいロサンゼルスでも、この季節の朝晩は冷え込む。ダウンタウンから帰りがけの妻が車でキャンパスまで迎えに来てくれた。
ささやかな打ち上げということで、そのまま自宅アパート近所のタイ料理店に車で向かった。妻はタイカレー、僕は平たい米粉麺パッキーマオ(写真)を食べた。こういう一日はありがたい。
| 平たい麺の料理パッキーマオ。唐辛子を漬けた酢をかけて食べた。 |
2013年11月9日土曜日
日系人の強制収容、TA授業で議論
第二次世界大戦中、アメリカ西海岸で暮らす日本人約4万人と、彼らの子どもである日系アメリカ人約7万人の計11万人以上が、強制収容所に送られた。
当時、西海岸には敵国人のドイツ人約9万7千人、イタリア人約11万4千人もいたが、彼らとその子どもたちがまとめて強制収容所に送られることはなかった。
「なんでドイツ人もイタリア人もいたのに、日本人と、アメリカ人であるその子どもたちだけ強制収容されたんだろうか」
当時、西海岸には敵国人のドイツ人約9万7千人、イタリア人約11万4千人もいたが、彼らとその子どもたちがまとめて強制収容所に送られることはなかった。
「なんでドイツ人もイタリア人もいたのに、日本人と、アメリカ人であるその子どもたちだけ強制収容されたんだろうか」
ティーチング・アシスタント(TA)を担当しているカリフォルニア史の授業で、20人ほどの学生(学部生)に問いかけた。
学生らは各3~5人の5グループに分かれ、テキストを読みながら、その答えを探す。
「日本に忠誠心があると思われたから」
「同化できないと思われたから」
「疑わしいと思われたから」
「見た目が違うから」
「見た目が違うから」
いろいろと答える。僕は「じゃあ、なんで同化できないと思われたの。なんで疑わしいと思われたの」とさらに質問する。
ある学生が「血ですか」と答えた。
テキストでは、歴史学者スーチェン・チャンが、強制収容を指揮したドゥウィット(DeWitt)将軍の作成した文書を紹介している。
そこで、チャンは「その文書は、日本人は『敵性人種(enemy race)』であり、『その人種的愛着は(アメリカに)移住しても消えることはなく』、その『人種的特徴』は二世、三世と世代を経ても『薄まることはない』、と宣言した。こうして(中略)日本に出自を持つすべての人が、アメリカの市民権の有無に関わらず、海岸部から排除された」と述べている。
強制収容が実行されるまでの過程には様々な要素が絡んでくるが、このドゥウィットの文書は、アメリカで生まれ育った若者であっても、日本人の血を引き継いでいれば、アメリカに対する脅威であり続ける、という人種主義的な考え方を明確に表していた。
◇
TA授業は週に一コマ50分で、学生は25人ほど。僕は二コマ担当している
授業内容は、教授の方針によってさまざま。今学期は、重要事項だけ教授と他のTAと確認したうえで、授業内容はTAが自由に設計する。
この日の授業は、最初の30分を日系人強制収容に充て、残りの20分は戦後に発展したロサンゼルス近代建築についてふれた。
20世紀中頃のロサンゼルス近代建築は、例えば、ケース・スタディ・ハウス#22(リンクはこちら)が有名だ。
グループごとに白紙のプリント用紙を配って、「今週の教授の講義などで見た建築物を参考に、典型的なロサンゼルス近代建築の家を描いて」と指示した。その後、学生らの描いた絵をホワイトボードに張り付けて、大きなガラス窓、平たい屋根、広々とした室内など、その美的特徴と機能的特徴について簡単に説明してもらった。
それに、高速道路の建設や郊外の発展なども絡めて、現在のロサンゼルスの街並みが、戦後の経済発展とどのような関わりがあるか確認した。
自分たちの絵がホワイトボードに張られるので、学生たちもそれなりに集中する。「この絵はええ感じやね」と褒めると、あるグループの学生らが互いにハイタッチをしていた。
授業内容は、教授の方針によってさまざま。今学期は、重要事項だけ教授と他のTAと確認したうえで、授業内容はTAが自由に設計する。
この日の授業は、最初の30分を日系人強制収容に充て、残りの20分は戦後に発展したロサンゼルス近代建築についてふれた。
20世紀中頃のロサンゼルス近代建築は、例えば、ケース・スタディ・ハウス#22(リンクはこちら)が有名だ。
グループごとに白紙のプリント用紙を配って、「今週の教授の講義などで見た建築物を参考に、典型的なロサンゼルス近代建築の家を描いて」と指示した。その後、学生らの描いた絵をホワイトボードに張り付けて、大きなガラス窓、平たい屋根、広々とした室内など、その美的特徴と機能的特徴について簡単に説明してもらった。
それに、高速道路の建設や郊外の発展なども絡めて、現在のロサンゼルスの街並みが、戦後の経済発展とどのような関わりがあるか確認した。
自分たちの絵がホワイトボードに張られるので、学生たちもそれなりに集中する。「この絵はええ感じやね」と褒めると、あるグループの学生らが互いにハイタッチをしていた。
◇
TAの経験から得ることは多い。これで大学から給料を得ている。また、授業プランを立てたり、学生の個別の質問に応えたり、将来、大学などで教えるための技術を磨いている。そして、留学生の僕にとっては英語の練習になる。
今学期は残り一ヶ月、無事に乗り切りたい。
2013年9月22日日曜日
郵便局の日常、カリフォルニア社会の多様性
近所の郵便局に向かった。
コスタリカの友人が現地特産のコーヒーを送ってくれたが、配達時に僕が家にいなかったので、郵便局まで取りに行った。
この郵便局には、いつもたくさんの人が訪れている。
窓口前に並ぶ人たちは、初対面でも、いろいろと話し出す。アメリカの日常だ。
この日は元軍人の白人のおじいさんと、かつて夫が海軍にいて、今は息子が海軍にいる白人の奥さんが話していた。
奥さんは「夫は冷戦時にロシア(当時ソビエト連邦)の潜水艦を探知する仕事をアイスランドでしていたんですよ」などと話した後、「Thank you for your service」とおじいさんに声をかけて窓口に向かった。
アメリカに住むと、軍人や元軍人に、人々がこの言葉をかける場面をしばしば見かける。
僕の前には、3歳くらいの男の子を連れた、メキシコ系の小柄な女性が並んでいた。オアハカ州出身の人かなと思った。夏休みにボランティア活動をした移民支援団体に来ていたオアハカ州出身の人たちと、なんとなく面影が似ていたからだ。
窓口の郵便局員はみんなアフリカ系の人たちだ。アメリカでは、多くのアフリカ系の人々が、公共性の高いサービスを提供する施設で働いている。僕のアパート最寄りの自動車運転免許試験場(DMV)の職員も、9割以上がアフリカ系の人たちだ。
歴史的に抑圧を受け続けてきたアフリカ系の人たちが安定した生活を送るために努力し、闘ってきた結果とも考えられる。一方で、アフリカ系の人々が、アメリカで社会上昇する際に重視されている起業家精神を育むことが難しい社会状況も残っている。
郵便局の利用者だけでなく、郵便局員もおしゃべりをしながら働いている。こういう感じは好きだ。
隣の窓口の女性職員が、僕の窓口の女性職員に「お昼、マクドナルドに行こうと思うんだけど、どうする」と話しかける。おなかが減った。
女性職員に不在届と免許証を見せてしばらくすると、コスタリカから届いた小包を持ってきてくれた。
郵便局は遠いところにいる家族や友人と、手触りのある手紙や小包を通してつながることができるから、昔から好きな場所だ。この日も、こうしてコスタリカの友人とつながることができた。またお返しに何か送ろうと思う。
郵便局に訪れただけでも、カリフォルニア社会の人種・エスニシティの多様性を実感できる。僕も、この郵便局に来たアジア系男性として、この多様性の一部になっている。昨年、渡米したころは、こうした場面がとても刺激的だった。けど、一年が過ぎて、この多様性が徐々に日常的になってきた。日常的になると、見えるものもあるけど、見えなくなるものもある。見えるものも、見えなくなるものも、どちらも見ていきたい。
コスタリカの友人が現地特産のコーヒーを送ってくれたが、配達時に僕が家にいなかったので、郵便局まで取りに行った。
この郵便局には、いつもたくさんの人が訪れている。
窓口前に並ぶ人たちは、初対面でも、いろいろと話し出す。アメリカの日常だ。
この日は元軍人の白人のおじいさんと、かつて夫が海軍にいて、今は息子が海軍にいる白人の奥さんが話していた。
奥さんは「夫は冷戦時にロシア(当時ソビエト連邦)の潜水艦を探知する仕事をアイスランドでしていたんですよ」などと話した後、「Thank you for your service」とおじいさんに声をかけて窓口に向かった。
アメリカに住むと、軍人や元軍人に、人々がこの言葉をかける場面をしばしば見かける。
僕の前には、3歳くらいの男の子を連れた、メキシコ系の小柄な女性が並んでいた。オアハカ州出身の人かなと思った。夏休みにボランティア活動をした移民支援団体に来ていたオアハカ州出身の人たちと、なんとなく面影が似ていたからだ。
窓口の郵便局員はみんなアフリカ系の人たちだ。アメリカでは、多くのアフリカ系の人々が、公共性の高いサービスを提供する施設で働いている。僕のアパート最寄りの自動車運転免許試験場(DMV)の職員も、9割以上がアフリカ系の人たちだ。
歴史的に抑圧を受け続けてきたアフリカ系の人たちが安定した生活を送るために努力し、闘ってきた結果とも考えられる。一方で、アフリカ系の人々が、アメリカで社会上昇する際に重視されている起業家精神を育むことが難しい社会状況も残っている。
郵便局の利用者だけでなく、郵便局員もおしゃべりをしながら働いている。こういう感じは好きだ。
隣の窓口の女性職員が、僕の窓口の女性職員に「お昼、マクドナルドに行こうと思うんだけど、どうする」と話しかける。おなかが減った。
女性職員に不在届と免許証を見せてしばらくすると、コスタリカから届いた小包を持ってきてくれた。
郵便局は遠いところにいる家族や友人と、手触りのある手紙や小包を通してつながることができるから、昔から好きな場所だ。この日も、こうしてコスタリカの友人とつながることができた。またお返しに何か送ろうと思う。
| コスタリカの友人が送ってくれたコーヒー。コスタリカのホストファミリーが飲んでいる商品(左)と、友人のおすすめ(右)。 |
郵便局に訪れただけでも、カリフォルニア社会の人種・エスニシティの多様性を実感できる。僕も、この郵便局に来たアジア系男性として、この多様性の一部になっている。昨年、渡米したころは、こうした場面がとても刺激的だった。けど、一年が過ぎて、この多様性が徐々に日常的になってきた。日常的になると、見えるものもあるけど、見えなくなるものもある。見えるものも、見えなくなるものも、どちらも見ていきたい。
2013年7月20日土曜日
アメリカのクレジットカード、1年間かけて取得
アメリカ国内の銀行が発行したクレジットカードを手に入れた。
これでロサンゼルスでの留学生活が、より快適になりそうだ。
アメリカ国内では、ガソリンスタンドのセルフ給油機などで、日本のクレジットカードが使えないケースがあるからだ。
しかし、日本人がアメリカに渡って銀行口座を開設しても、すぐにクレジットカードは手に入らない。
アメリカ国内の会社が発行したクレジットカードの適切な利用実績がないと、ちゃんと返済できる人だと信用してもらえず、カード作成申請を受理してもらえない。
日本国内の銀行などが発行したクレジットカードの利用実績は、アメリカでクレジットカードを申請する際には役に立たない。
昨年、渡米直後に銀行口座を開設した時、銀行員さんがセキュアード・クレジットカード(secured credit card)という練習用クレジットカードについて教えてくれた。
これは、あらかじめセキュアード・クレジットカード用の口座に、一定の金額をデポジットとして預けたうえで、そのデポジット額を上限にクレジット機能が使えるカードだ。
デポジットが300ドルなら、利用額が300ドルを上回らない程度にカードを使い、請求書が送られて来たら、小切手などで支払う。
もしも、カード利用者が返済できない場合は、デポジットから返済されるため、銀行はリスクを背負わなくてもいいという仕組みだ。
それを1年近く繰り返すと、この人はちゃんとクレジットカードが使える人ですね、と認識されて、デポジットが返金される。その後、正規のクレジットカードを申請できるようになるわけだ。
というわけで、このセキュアード・クレジットカードを作って、最近まで使い続けてきた。デポジット300ドルが返金されたので、そろそろと思い、銀行でクレジットカードを申請すると、問題なく受理してくれた。
セキュアード・クレジットカードは年会費39ドルがかかるため、キャンセル。今後は年会費無料の正規のクレジットカードだけを利用する予定だ。
海外で暮らすと、日本で当たり前だったことが、当たり前でないこともある。
クレジットカードもそういったものの一つだったけど、1年間かけて手に入れるとなんとなく達成感があった。
2013年7月1日月曜日
日系アメリカ人の過去と現在、ガーデナ市で日系イベント
ロサンゼルス郡ガーデナ(Gardena)市。一世紀以上前から、日本人移民と、その子孫の日系アメリカ人が暮らしてきた。
この地域の日系アメリカ人に対してコミュニティ活動を行っている日系団体ジャパニーズ・カルチュラル・インスティテュート(Japanese Cultural Institute)が主催する、年に一度のお祭りイベントに、日本の大学院の後輩と妻と3人で足を運んだ。
正午過ぎに、団体敷地内のイベント会場に到着。さっそく太鼓の音が聞こえてきた。
すでに日系人を中心に、子どもから高齢者まで、幅広い世代の人々でにぎわっている。
会場入り口付近から、屋台が続く。
かつてカリフォルニア州に渡ってきた日本人移民の多くが沖縄県出身者であったり、ハワイを経由してアメリカ本土に来たりしたことから、沖縄やハワイの料理もいろいろ販売されていた。
ラウラウ(Lau Lau)という食べものを出している屋台を見つけた。
何か分からないので、屋台のおじさんに聞くと、タロイモの葉で包んだ豚肉を蒸したハワイ料理らしい。
食べたことがないので、挑戦してみた。
食事コーナーのテーブルに座って、ラウラウの入った弁当箱を開くと、タロイモの葉で包んだちまきのようなもの、ごはん、キャベツなどの浅漬けに加え、刻んだトマトとサーモンを混ぜたサラダも入っていた。
豚肉はとてもジューシーで申し分ない。妻は浅漬けが気に入ったらしい。
ほとんど豚肉を食べ終わったところで、同じテーブルに座った50歳代くらいのコリア系のおじさんから、「そのタロイモの葉も肉と一緒に食べるんだよ」と教えてくれた。
たしかに、蒸された葉は豚肉の肉汁が染み込んで、おいしそうだったので、どうしようかと思っていた。
すると、同じテーブルに座っていた別の日系人のおじいさんも「それ(タロイモの葉)は値段が高いよ」と付け加えた。
どうやら、僕らはメインの葉を食べ残していたみたいだ。その後、3人でおいしく葉の部分もいただいた。初めて食べる料理は、こういうことが面白い。
そこから、おじいさんの奥さんも含めて、いろいろと話が盛り上がった。会話は英語だ。
おじいさんから「日本のどこから来たの」「英語はどこで覚えたの」などと質問され、いろいろ答えているうちに、おじいさん自身の話にもなり、「僕はキベイだよ(I'm Kibei)」と教えてくれた。
キベイとは、アメリカ生まれの日系人2世だが、若いころに日本で教育を受けるため、日本で暮らした後、再びアメリカに帰った人たちだ。そのため、キベイ(帰米)という。
すると、おじいさんの奥さんが「この人の人生っておもしろい(interesting)のよ」と笑顔で話す。
どういうことだろうかと、おじいさんに目を向けると、「僕はね、日本軍とアメリカ軍のどっちにも入ったんだよ。日本にいたときに、日本軍に徴兵されてね。けど、入隊した途端に戦争が終わったんだ。その後、アメリカに帰るでしょ。そしたら、今度はアメリカ軍に徴兵されたんだよ」と教えてくれた。「帰ってすぐにアメリカ軍に入ったんですか」と聞くと、「朝鮮戦争ね」と答えてくれた。
軍隊に入ることは前提として命がけだけど、両親の生まれた国と自分の生まれた国の両方によって、そういう命がけの状況に置かれた人がいた、という事実はとても重たい。
だけど、おじいさんは過去を俯瞰したように、楽しそうに語りかけてくる。
二つの国家のはざまで翻弄されながらも、笑顔で語るおじいさんに、国家ではコントロールしきれない個人のちからを感じた。
おじいさんは、現在87歳という。奥さんも80歳代で、二人とも元気そのものだ。奥さんは今も車の運転を続けていて、時速130キロ近くの速度で高速道路を走ることもあるという。
奥さんは「ラスベガスまで運転するのよ」とニコリ。すると、コリア系のおじさんが「彼(おじいさん)の運転だと遅くて、ラスベガスにたどり着かないよ」と冗談を挟む。
おじいさんは、そんな二人に挟まれて、ニコニコしていた。
しゃんとしてきれいな奥さんに、若さの秘訣は何か聞いたら、「ノンキでいることね」と、「ノンキ」だけ日本語のまま答えてくれた。
おじいさんたちと別れた後、イベントの出し物をいろいろ見て回った。
ステージでは、ハワイ音楽やフラダンスが披露されて、多くの人々が焼きそばやかき氷などを食べながら聞き入っていた。アメリカでは、焼きそばもかき氷も、エスニック料理といえる。
子どもが遊べるコーナーもあった。バスケットボールのリングが置かれ、日系人の子どもたちがシュートの練習をしていた。バスケットボールは、日系人コミュニティーの絆を深めるスポーツとして重要な役割を果たしてきた。現在も日系人選手を中心としたリーグが存在し、人気のスポーツだ。
バスケコーナーの隣には、「PACHINKO」というコーナーがあった。かなり古い機種のパチンコ台が並べられ、子どもたちが遊んでいた。
この団体の2階建ビルでは、第二次世界大戦中の日系人強制収容所に関する展示に加え、団体が主催している日本語教室の生徒が作った日本語のポスター展示などもあった。
その後は、イベント会場を出て、周辺の住宅地を歩いて回った。
車で通りすぎると、他の地域と同じように見えるが、ゆっくり歩くと、マツを植えたり、砂利をしきつめたり、庭先が日本庭園スタイルになっている住宅が多いことに気付く。
団体スタッフに聞くと「そうですよ。今でも、この周辺にたくさん日系人が住んでいます」と教えてくれた。
車の交通量が多い大通りには、ハングル文字が目立つ。近年、ガーデナ市に移り住む韓国人移民が増えてきているという。
住宅地を40分ほど歩いて、イベント会場に戻ると、この日、会う予定だった日本の大学院の先輩が到着していた。先輩が、この団体に関する過去の記録の歴史調査を行っていた関係で、今回のイベントを教えてもらった。調査などを終えて、もうすぐ帰国するところだったので、団体スタッフを僕に紹介してくれた。先輩には、日本にいたころから、お世話になっていたが、アメリカでもいろいろと気づかってくれる。感謝の一言だ。
団体のリーダーの女性に挨拶した。団体は地域の高齢者を中心に、さまざまなサービスを行っているが、今後は日系人と日本人が交流できるような機会も増やしていきたいという。
たしかに、ロサンゼルス都市圏には、約7万人の日本人が暮らしているものの、何世代も前にアメリカに移住した日本人の子孫である日系人と関わりを持つ人は多くない。言葉の壁も影響しているかもしれない。
ありがたいことに、僕は日系人とも日本人ともふれあう機会が多い。そうしたコネクションを活かして、何かしら団体のイベント広報など、お手伝いできることがあれば喜んでしたい、とリーダーに伝えておいた。
4時間ほど滞在して、イベント会場をあとにした。
こうしたたくさんの日系人が集まるイベントに参加したのは初めてだった。
日系人の過去と現在について、いろいろな話を聞く貴重な機会となった。
後輩も「あのおじいさんの話は本にしたほうがいいんじゃないすかね」と言い、妻も「大昔にアメリカに移民した日本人の子孫の人々と思うと、感慨深かった」と話していた。
この地域の日系アメリカ人に対してコミュニティ活動を行っている日系団体ジャパニーズ・カルチュラル・インスティテュート(Japanese Cultural Institute)が主催する、年に一度のお祭りイベントに、日本の大学院の後輩と妻と3人で足を運んだ。
| 会場前に置かれたイベントの横断幕 |
正午過ぎに、団体敷地内のイベント会場に到着。さっそく太鼓の音が聞こえてきた。
すでに日系人を中心に、子どもから高齢者まで、幅広い世代の人々でにぎわっている。
会場入り口付近から、屋台が続く。
かつてカリフォルニア州に渡ってきた日本人移民の多くが沖縄県出身者であったり、ハワイを経由してアメリカ本土に来たりしたことから、沖縄やハワイの料理もいろいろ販売されていた。
| サーターアンダギー店には、行列ができていた。 |
ラウラウ(Lau Lau)という食べものを出している屋台を見つけた。
何か分からないので、屋台のおじさんに聞くと、タロイモの葉で包んだ豚肉を蒸したハワイ料理らしい。
食べたことがないので、挑戦してみた。
食事コーナーのテーブルに座って、ラウラウの入った弁当箱を開くと、タロイモの葉で包んだちまきのようなもの、ごはん、キャベツなどの浅漬けに加え、刻んだトマトとサーモンを混ぜたサラダも入っていた。
豚肉はとてもジューシーで申し分ない。妻は浅漬けが気に入ったらしい。
| ハワイ料理のラウラウ。豚肉の上には、白身魚の切り身も入っていた。 |
ほとんど豚肉を食べ終わったところで、同じテーブルに座った50歳代くらいのコリア系のおじさんから、「そのタロイモの葉も肉と一緒に食べるんだよ」と教えてくれた。
たしかに、蒸された葉は豚肉の肉汁が染み込んで、おいしそうだったので、どうしようかと思っていた。
すると、同じテーブルに座っていた別の日系人のおじいさんも「それ(タロイモの葉)は値段が高いよ」と付け加えた。
どうやら、僕らはメインの葉を食べ残していたみたいだ。その後、3人でおいしく葉の部分もいただいた。初めて食べる料理は、こういうことが面白い。
そこから、おじいさんの奥さんも含めて、いろいろと話が盛り上がった。会話は英語だ。
おじいさんから「日本のどこから来たの」「英語はどこで覚えたの」などと質問され、いろいろ答えているうちに、おじいさん自身の話にもなり、「僕はキベイだよ(I'm Kibei)」と教えてくれた。
キベイとは、アメリカ生まれの日系人2世だが、若いころに日本で教育を受けるため、日本で暮らした後、再びアメリカに帰った人たちだ。そのため、キベイ(帰米)という。
すると、おじいさんの奥さんが「この人の人生っておもしろい(interesting)のよ」と笑顔で話す。
どういうことだろうかと、おじいさんに目を向けると、「僕はね、日本軍とアメリカ軍のどっちにも入ったんだよ。日本にいたときに、日本軍に徴兵されてね。けど、入隊した途端に戦争が終わったんだ。その後、アメリカに帰るでしょ。そしたら、今度はアメリカ軍に徴兵されたんだよ」と教えてくれた。「帰ってすぐにアメリカ軍に入ったんですか」と聞くと、「朝鮮戦争ね」と答えてくれた。
軍隊に入ることは前提として命がけだけど、両親の生まれた国と自分の生まれた国の両方によって、そういう命がけの状況に置かれた人がいた、という事実はとても重たい。
だけど、おじいさんは過去を俯瞰したように、楽しそうに語りかけてくる。
二つの国家のはざまで翻弄されながらも、笑顔で語るおじいさんに、国家ではコントロールしきれない個人のちからを感じた。
おじいさんは、現在87歳という。奥さんも80歳代で、二人とも元気そのものだ。奥さんは今も車の運転を続けていて、時速130キロ近くの速度で高速道路を走ることもあるという。
奥さんは「ラスベガスまで運転するのよ」とニコリ。すると、コリア系のおじさんが「彼(おじいさん)の運転だと遅くて、ラスベガスにたどり着かないよ」と冗談を挟む。
おじいさんは、そんな二人に挟まれて、ニコニコしていた。
しゃんとしてきれいな奥さんに、若さの秘訣は何か聞いたら、「ノンキでいることね」と、「ノンキ」だけ日本語のまま答えてくれた。
| ハワイ音楽やフラダンスなども披露された。 |
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おじいさんたちと別れた後、イベントの出し物をいろいろ見て回った。
ステージでは、ハワイ音楽やフラダンスが披露されて、多くの人々が焼きそばやかき氷などを食べながら聞き入っていた。アメリカでは、焼きそばもかき氷も、エスニック料理といえる。
子どもが遊べるコーナーもあった。バスケットボールのリングが置かれ、日系人の子どもたちがシュートの練習をしていた。バスケットボールは、日系人コミュニティーの絆を深めるスポーツとして重要な役割を果たしてきた。現在も日系人選手を中心としたリーグが存在し、人気のスポーツだ。
バスケコーナーの隣には、「PACHINKO」というコーナーがあった。かなり古い機種のパチンコ台が並べられ、子どもたちが遊んでいた。
| 古い機種のパチンコ台で遊ぶ子どもたち |
この団体の2階建ビルでは、第二次世界大戦中の日系人強制収容所に関する展示に加え、団体が主催している日本語教室の生徒が作った日本語のポスター展示などもあった。
| 日本語教室の生徒の作品も展示されていた。 |
その後は、イベント会場を出て、周辺の住宅地を歩いて回った。
車で通りすぎると、他の地域と同じように見えるが、ゆっくり歩くと、マツを植えたり、砂利をしきつめたり、庭先が日本庭園スタイルになっている住宅が多いことに気付く。
団体スタッフに聞くと「そうですよ。今でも、この周辺にたくさん日系人が住んでいます」と教えてくれた。
車の交通量が多い大通りには、ハングル文字が目立つ。近年、ガーデナ市に移り住む韓国人移民が増えてきているという。
| イベント会場周辺の住宅地。庭先にマツを植えるなどして日本庭園の要素を入れていた。 |
住宅地を40分ほど歩いて、イベント会場に戻ると、この日、会う予定だった日本の大学院の先輩が到着していた。先輩が、この団体に関する過去の記録の歴史調査を行っていた関係で、今回のイベントを教えてもらった。調査などを終えて、もうすぐ帰国するところだったので、団体スタッフを僕に紹介してくれた。先輩には、日本にいたころから、お世話になっていたが、アメリカでもいろいろと気づかってくれる。感謝の一言だ。
団体のリーダーの女性に挨拶した。団体は地域の高齢者を中心に、さまざまなサービスを行っているが、今後は日系人と日本人が交流できるような機会も増やしていきたいという。
たしかに、ロサンゼルス都市圏には、約7万人の日本人が暮らしているものの、何世代も前にアメリカに移住した日本人の子孫である日系人と関わりを持つ人は多くない。言葉の壁も影響しているかもしれない。
ありがたいことに、僕は日系人とも日本人ともふれあう機会が多い。そうしたコネクションを活かして、何かしら団体のイベント広報など、お手伝いできることがあれば喜んでしたい、とリーダーに伝えておいた。
◇
4時間ほど滞在して、イベント会場をあとにした。
こうしたたくさんの日系人が集まるイベントに参加したのは初めてだった。
日系人の過去と現在について、いろいろな話を聞く貴重な機会となった。
後輩も「あのおじいさんの話は本にしたほうがいいんじゃないすかね」と言い、妻も「大昔にアメリカに移民した日本人の子孫の人々と思うと、感慨深かった」と話していた。
2013年6月6日木曜日
留学生の集い、アメリカで東ティモールを学ぶ
僕と同じ奨学金を受給している留学生仲間の集まりがあり、妻と一緒に参加した。
キプロス、コロンビア、シンガポール、東ティモール出身の友人らと計9人で集まった。
留学生を対象にしたイベントなどを通して、いろいろな国から来た人たちと出会う機会がたくさんある。
今回、会った仲間の出身国は、どれも行ったことがないし、今後、いつ行けるかもわからない。
だから、留学生仲間を通して、海外について知ることができるのはありがたい。
◇
東ティモールの友人の話は、いつも考えさせられる。
東ティモールは2002年にインドネシアの支配から脱して、独立した。
インドネシアが1975年に東ティモールを侵攻する前まで、ポルトガルの植民地だった。
東ティモールの言語状況は複雑だ。
現地の言葉であるテトゥン語(または方言)を日常的に話す以外に、ポルトガル支配時代に教育を受けた世代(当時のエリート層)はポルトガル語を、インドネシア支配時代に教育を受けた友人の世代はインドネシア語を、そして東ティモール独立後に教育を受けた世代はテトゥン語に加えてポルトガル語を学ぶ。
国際共通語として英語も重視されているという。
東ティモールの言語状況は複雑だ。
現地の言葉であるテトゥン語(または方言)を日常的に話す以外に、ポルトガル支配時代に教育を受けた世代(当時のエリート層)はポルトガル語を、インドネシア支配時代に教育を受けた友人の世代はインドネシア語を、そして東ティモール独立後に教育を受けた世代はテトゥン語に加えてポルトガル語を学ぶ。
国際共通語として英語も重視されているという。
そのため、若い世代は、学校でポルトガル語を勉強し、家庭でテトゥン語を話すものの、テレビをつけるとインドネシア語という状況も珍しくないという。
独立後の公用語はテトゥン語とポルトガル語になった。ポルトガル語はインドネシアの支配に対する独立運動を象徴する言語とされている一方、ポルトガル語を実際に使える人はとても少ない。さらに、多くの人々はテトゥン語に対して愛着が強いだけでなく、ポルトガル語より英語を重視する声もあり、ポルトガル語の公用語化は多くの問題を含んでいるという。(参考・Andrea K. Molnar, East Timor: An Introduction To The History, Politics and Culture of Southeast Asia's Youngest Nation (2005) )
友人にとってもポルトガル語が課題となっている。
帰国後、東ティモールの大学で教える可能性があるが、インドネシア支配時代に教育を受けたため、現在の若い世代が学校で使うポルトガル語で十分に授業ができないという。
帰国後、東ティモールの大学で教える可能性があるが、インドネシア支配時代に教育を受けたため、現在の若い世代が学校で使うポルトガル語で十分に授業ができないという。
そのため、「ああ~、東ティモールに帰ったら、ポルトガル語の勉強をしないと・・・」と言っていた。
ポルトガルに留学して、ポルトガル語を学ぶ若者もいるらしい。
ポルトガルとインドネシアの支配によって、東ティモールの人々が使う言語が短い期間に大きく変化してきた。
東ティモール独立後、ポルトガル政府はポルトガル語教師を派遣するなど、東ティモールの教育支援に力を入れているが、過去に植民地支配を受けていたことなどから、ポルトガルに複雑な思いを抱く若者もいるらしい。
◇
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| 東ティモール周辺の地図(国際協力機構サイトから) |
外務省によると、東ティモールの面積は、東京と千葉、埼玉、神奈川の合計面積とほぼ同じ。人口は約118万人(2011年)だ。宗教はカトリックを中心としたキリスト教。主要な輸出品はコーヒーと天然ガスで、通貨は米ドルを使用している(独自のセント貨も使用)。現在、オーストラリアとアメリカ、ポルトガル、スペインにくわえ、日本も東ティモールに対する主要な経済支援国となっている。
過去の日本との関係を振り返ると、第二次世界大戦中、日本軍と連合国軍が東ティモールで衝突し、現地に住む多くの人々が戦火に巻き込まれて命を失った。日本は1942~1945年の3年間、東ティモールを含むティモール島を占領した。戦時中、日本が占領した地域で、東ティモールは唯一中立国であるポルトガルの植民地だったため、サンフランシスコ平和条約による賠償請求権を得ることはなかった。(参考・高橋茂人「東ティモールへの戦後補償―日葡国交再開と戦争被害請求権問題を中心に」)
かつて列強に支配された国や地域には、今日でも植民地主義の影響が残る。日本も列強の一つだった。東ティモールの話を聞いて、今日も残る植民地主義の影響を、歴史的また構造的に理解する姿勢が大切だと改めて感じた。
かつて列強に支配された国や地域には、今日でも植民地主義の影響が残る。日本も列強の一つだった。東ティモールの話を聞いて、今日も残る植民地主義の影響を、歴史的また構造的に理解する姿勢が大切だと改めて感じた。
留学生としてアメリカで暮らしているからこそ、様々な国の留学生と出会う機会が多い。そのおかげで、アメリカにいながらにして、アメリカ以外の国について、その国の出身者から直接話を聞く機会も多い。それは、留学先の国がどこであれ、留学すること自体のメリットの一つだといえるだろう。
将来、機会があれば、ぜひ東ティモールを訪ねてみたい。
将来、機会があれば、ぜひ東ティモールを訪ねてみたい。
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