2015年9月18日金曜日

スキ焼きで祝う感謝祭、戦前の日本人留学生

水曜日の午後6時から、日本料理店「一富士」でスキ焼きパーティがあるらしい。行こうかな。

そう思わせる戦前の新聞記事を、1903年に創刊したロサンゼルスの日系新聞「羅府新報」を調査中に見つけた。その記事は1929年11月に発行されたもので、見出しは「スキ焼會、ツロジャン倶楽部が開催、水曜日夜一富士で」。記事は以下のように続く。
南加大学日本人學生はツロジャンクラブ主催で水曜夜六時から一富士でスキ焼き會を開き学生らしい感謝祭を祝うと日本人學生の参會を希望すと申し込みはワイ會館へ
ロサンゼルスの南加大学に通う日本人留学生が感謝祭(Thanksgiving)に合わせて開くスキ焼きパーティーの参加者を募っている。

南加大学とは南カリフォルニア大学(University of Southern California)のこと。戦前の日本人移民は「南カリフォルニア」を略して「南加」と呼び、この言葉は今でも一部で使われている。英語では南カリフォルニアは「So Cal (ソーカル)」と略すのが一般的だ。

ちなみに、この「ツロジャン」とは南カリフォルニア大学のマスコット「トロージャン(Trojan)」のことで、この大学に通う学生の代名詞にもなっている。

日本人移民は1924年から全面的に禁止され、それが日本国内の反米感情を強める一因にもなった。それでも留学生のアメリカ入国は許されており、こうしてロサンゼルスでスキ焼きを楽しむ日本人もいた。アメリカ人であれば家族で団らんする日だけれど、家族と遠く離れて暮らす日本人ツロジャンたちは仲間同士で集まって束の間の故郷の雰囲気を楽しんだのだろう。

スキ焼きパーティーの記事を読みながら、今も昔も日本人留学生は同じようなことをしているなと思いつつ、この時代の留学生はスキ焼をつつきながら日米関係や日本(帝国)の将来についてどのように考えていたんだろうかと考えさせられた。

田中角栄内閣で官房長官を務めた二階堂進は、このスキ焼きパーティーの3年後、1932年に南カリフォルニア大学に留学し、1941年に国際関係学で修士号を取得している。

ウィキペディアによると、同年8月に帰国。日米開戦後の1942年の衆議院選挙に大政翼賛会の支援を受けずに立候補し、日米関係の改善を訴えるも落選。戦後の1946年の選挙で当選し、1972年の日中国交正常化に尽力した。

きっと二階堂さんも留学中、悪化していく日米関係に危機感を感じ、だからこそ帰国後、対米戦争を推し進める大政翼賛会の推薦を受けずに国政に挑戦したんじゃないだろうか。日本に帰ったら彼の伝記を読んでみたい。

・二階堂進の学歴については、こちらこちら

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