2015年6月28日日曜日

ナバホ族居留地で楽しむ絶景、砂漠地帯の観光とファーストフード

ラスベガスとグランドキャニオン周遊3泊4日の旅。ラスベガスで一泊した後はコロラド川が馬蹄形の谷底に流れる絶景ホースシューベント(Horseshoe Bent)に向かった。

アリゾナ州のページという町から車で5分ほどの場所。駐車場から炎天下の砂道を15分ほど歩くと断崖絶壁のホースシューベントを見下ろすことができる。小さな案内板があるだけで、入場料も転落防止柵もない。中国やフランスから多くの観光客が足を運んでおり、それぞれがカメラ撮影に夢中で300メートル下に転落してしまわないか、やや冷や冷やするものの、それだけ臨場感があり、見とれてしまう絶景だ。

馬蹄形の渓谷ホースシューベントを緑に光るコロラド川がゆっくり流れる。

この日はページで一泊。翌日は激しい洪水によって不可思議に浸食された谷であるアンテロープ・キャニオン(Antelope Canyon)に向かった。北米先住民・ナバホ族の居留地内にあり、ナバホ族の若者たちがツアーを組んで案内してくれる。アンテロープ・キャニオンは美しい写真が撮れる場所としても有名で、カメラ撮影ツアーに参加する人も多い。予約確認の際、ナバホ族の男性が「Arigato」と言ってきたので「ナバホの言葉では『ありがとう』はなんて言うんですか」と聞くと、「Ahéhee'」と教えてくれた。

二つある谷の一つ、アッパー・アンテロープ・キャニオンで僕たちが参加したツアーを担当したのは20代の女性シニーさん。谷を歩き進む途中、ところどころで撮影ポイントを親切に教えてくれた。日光の量で谷の側面の色合いが変化し、オレンジや黄色、青色、紫色など色鮮やかな写真を撮影することができる。

ナバホ族の女性シニーさん(右から2人目)の案内でアッパー・アンテロープ・キャニオンに入っていく。
アッパー・アンテロープ・キャニオン内を歩く観光客ら

ゆっくり谷を歩き、出口に出た。振り返ると、谷の出口の上部に白い鳥の糞のようなものがへばりついていた。シニーさんに聞くと「フクロウの巣です。ナバホの人はこの谷を『フクロウの家(Owl's Home)』と呼んでいます」。一日に2千人の観光客が訪れるというアッパー・アンテロープ・キャニオン。フクロウも落ち着かないだろけど、こんな乾いた場所も動物の棲家になっていることは印象的だった。

次はロウワー・アンテロープ・キャニオンに向かう。こちらは足場が悪いが、より幻想的な形状の谷を楽しむことができる。日光の加減を意識しつつ、写真撮影に力が入った。肉眼でも満足いく自然美だけど、カメラを通して肉眼では捉えきれない鮮やかな風景を切り取ることができた。

ロウワー・アンテロープ・キャニオンには階段を使って降りていく。1997年には鉄砲水によって洪水が起き、谷を散策していた観光客ら11人が死亡する事故が起きた。
幻想的なロウワー・アンテロープ・キャニオンを進む観光客ら

ロウワー・アンテロープ・キャニオンでは、カメラの撮影位置に注意すると、複数の色が鮮やかな谷間の側面を撮影することができる。

ロウワー・アンテロープ・キャニオンの谷間から這い出てくる観光客ら


こうした絶景巡りと同じくらい興味深かったのが、ページの町で垣間見たナバホ族の人々の生活だ。

ページの町は、ダム建設労働者の町として1957年、もともとナバホ族居留地内にあった土地に建設され、アメリカ国内でも比較的新しい自治体の一つ。ナバホ居留地に囲まれており、その人口7,291人(2010年)の34%がナバホ族を中心とした先住民だ。

気温が摂氏40度を超える砂漠地帯を車で切り抜けて、ポツンと現れたページの町にたどり着くと、おなじみのマクドナルドが待っている。その隣には大型食料品店のウォルマート。ウォールマートに入ると、ロサンゼルスと同じ商品がずらっと並んでおり、ナバホ族の店員が働き、ナバホ族の客が商品を買う。


ウォルマートに買い物に来たナバホ族の祖母(右)、母、娘

こうした遠隔地で食料を安価で提供するには、大量生産・大量輸送のネットワークが必要で、その意味ではマクドナルドやウォルマートのような大企業は地域の食糧インフラを支えていると考えることもできるだろう。

しかし、現実はそれほど単純ではない。今年5月のNPRの報道によると、こうした大企業が販売するファーストフードの影響で、ナバホ族の3人に1人が糖尿病に苦しんでおり、全米平均の3倍の発症率という。そこでナバホ族自治政府は、糖尿病につながるようなファーストフードや炭酸飲料に新たな税金を課す法律を可決した。ナバホ族の半数は無職であるため、より健康的で値段の高い食料を買う経済的な余裕がないという課題が残っているものの、ナバホ族自治政府はファーストフード税の税収で農園事業などを支援していく方針という。

たしかに、ページの町で見たナバホ族は肥満傾向の人たちが多かった。マクドナルド、タコベル、サブウェイ…。マクドナルド好きな僕を含めて、多くの人は安くて美味しいので食べてしまう。ただ、食生活の選択肢がそうしたファーストフード店に限定されていった場合、遠隔地で暮らすナバホ族のように深刻な健康問題が生じる。おそらくファーストフードを販売する大企業が撤退することはないだろう。ナバホ族のファーストフード税がどのように機能するのか注目していきたい。

ウォルマート内のサブウェイ。僕がいた時間は客の8割はナバホ族の人々だった。
ホースシューベントとアンテロープ・キャニオンの旅は、アメリカ留学して初めて北米先住民の生活のごく一部を垣間見る時間になった。強制移住や虐殺などの歴史的悲劇を経験してきた先住民が、アメリカ社会でどのように部族文化を守りつつ、現代的に暮らしているのか理解を少しだけ深めることができた。

ページの人口は、こちら
ナバホ族内のファーストフード問題については、こちら

ラスベガスの華やかさ、陰で支える非合法移民

ラスベガスとグランドキャニオン周辺を巡る3泊4日の旅に妻と出かけた。

カジノやショーなどの娯楽産業が代名詞のラスベガスにはロサンゼルスから飛行機で50分ほど。現地の空港内にはスロットマシーンがずらっと並んで観光客を出迎える。空港から専用バスに乗って巨大なレンタカー会社総合ビルに向かった。そこで予約していたセダンタイプの車はドッジ(Dodge)社の赤い車が出てきた。ドッジ兄弟が設立した同社は昨年で創業100周年。自分では絶対に選ばない車種と車両カラーだけど、初めて乗るアメリカ車だから楽しい。

ラスベガス・マッカラン空港内のスロットマシーン

アクセルを踏んで噴水ショーが有名なホテル・べラジオ(Bellagio)へ。一泊一室150ドル程度と高級ホテルとしてはお手頃。カジノ付きのホテルは、ギャンブルで収益を上げるため、ホテル宿泊料が安いと聞いたことがある。ギャンブルに興味のない僕らとしてはありがたい。

とはいえ、ちょっとはカジノを体験したい。ホテル内の大きなカジノで最初に目に入った25セント用のスロットマシーン前に座った。5ドル札紙幣を入れる。スロットを止めるタイミングは機械がコントロールするため、こちらとしては何もできない。どんどん金額が減っていく。やっぱりこんなもんかと思っていたとき、カジノ用のメンバーズカードかクレジットカードを売る女性が近づいてきた。

あきらめ半分でスロットのボタンを適当に押しながら、「けっこうです」とカードの勧誘を断っていると、突然スロットが騒がしくなった。セールスの女性が去ってスロットを確認すると、色違いの「7」が三つ並んでおり、一気に60ドル儲かった。
スロットに座ってものの5分で60ドル。よっしゃ、じゃあ、もう一発いったろか、というギャンブル精神には火はつかず、というか火をつけず、60ドル得したままカジノを後にした。

スロットマシーンに5ドル掛けて60ドル獲得した。

夕食はカジノ付きホテルの特徴である豪華バイキング(Buffet)へ。ラスベガスにとって60ドルは塵のような金額だろうけど、一応60ドル「勝った」ので一人35ドルの夕食も心なしか余裕あり。ステーキやズワイガニなどがずらっと並び見ているだけで楽しくなる。料理の質はそこそこという感じだった。夕食後はギラギラしたショッピングモールを眺めつつ、別ホテル内の劇場でシルクド・ソレイユのショー「KA」を観てから、自分たちのホテルに戻った。

アメリカ国内外から来た多くの観光客でにぎわう中心部。ところどころに売春を斡旋するカードを配る人もいた。


砂漠の真ん中に現れた娯楽の首都ラスベガスはネバダ州を代表する都市だが、その華やかさを陰で支えているのは多くの非合法移民労働者だ。

ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)の2012年の調べでは、ネバダ州人口に対する非合法移民の比率は7.6%で全米で最も高い。さらに、その労働人口に対する割合は10.2%にも上る。ネバダ州で暮らす子どもの6人に1人は少なくとも一方の親が非合法移民だ。

非合法移民の多くはラティーノ。そうしたラティーノ票を支持基盤の一つとするバラク・オバマ大統領は、非合法移民の合法化を含む移民制度改革を主要課題の一つに掲げており、2014年11月には、その方針を発表する舞台としてラスベガスを選んでいる。

ラスベガスには、夢見心地に余暇を楽しむ世界中の観光客と、それを支える非合法移民が集中している。観光客の可視性と非合法移民の不可視性が、この街の幻想を生み出している。

ホテル・べラジオの噴水ショー

ピュー・ヒスパニック・センターのサイトは、こちら
ウォールストリートジャーナルの関連記事は、こちら

2015年6月26日金曜日

日米間の大学比較、両国の学生が議論

アメリカ人学部生11人を指導教官とともに引率した日本旅行プログラム(前ブログ記事参照)では、都内の私立大学に通う学部生ら約20人と交流する機会もあった。日米両国の学生らは山梨県・山中湖畔の保養施設で2泊3日の合宿に参加。その間、アメリカ人学生はそれぞれの研究テーマについて日本人学生に質問するだけでなく、パワーポイントを使って他の学生の前で調査結果を発表した。

発表会では、日米両国の大学教育の違いについても学生同士で話し合った。
議論の内容を簡単にまとめると、以下のような感じだ。

・ 勉強の厳しさ
日本: 大学に入るための勉強が厳しい。基本的に大学生活は4年間の自由時間。大学の勉強は厳しくない。
アメリカ: 大学に入った後の勉強が厳しい。ただ、大学に入るための勉強も厳しくなりつつある。

・ 大学での専攻
日本: 大学入学時点で専攻がほぼ決まっている。二つ以上の専攻を持つことは珍しい。多くの学生が大学卒業後、専攻と関係のない職業につく。
アメリカ: 大学入学後に主専攻と副専攻を文系理系の縛りなく選べる。大学卒業後の職業に影響することが多い。

・ 学費
日本: アメリカに比べると高くない( 国立大学で年間50万円ほど。私立大学で100万円前後)。
アメリカ: 激烈に高い(年間500万円以上することは珍しくない)。多くの学生が多額のローンを組んで卒業後に返済する。

・ 学生の特徴
日本: 討論中に質問・意見することに慣れていない。
アメリカ: 討論中に質問・意見することに慣れている。討論の授業(Discussion Section)が大学教育に組み込まれている。

・ ギャップイヤー(大学卒業直後に就職せず、自分のやりたいことを自由にする時間)
日本: 一般的ではない。
アメリカ: 社会的に許容されている。

議論で取り上げられなかったものの、以下の項目も付け加えておきたい。

・ 就活
日本: 3年生の後半から説明会などに参加して就職活動(新卒一括採用)。
アメリカ: 3年生からインターンなどに参加して就職活動。大学時代の成績は重要。


アメリカの大学教育では、その学費の高さが明らかに問題である。貧富の差を再生産していく。
一方、入学後に文系理系を超えて複数の専攻を選べるうえ、学部教育が厳しいため、総合的な学問をしっかり身に着ける場所「University」として機能しているように思われる。
例えば、学生の一人は主専攻に生物学と東アジア研究、副専攻に映画学を選んでいる。他の学生は主専攻に数学、副専攻に政治学を選んでいる。

討論で積極的に意見できるかどうかについては、TAとして討論の授業を担当しているので、日米間の違いはよく分かる。アメリカ人学生の中には討論が苦手な学生も少なくないものの、授業が「シーン」となることは少ない。ただ、討論の得意・不得意は、教育制度の違いに加え、文化の違いも影響するので、良い悪いで簡単に判断できるものでもない。
また、日本人であれアメリカ人であれ、大きな教室では静かでも少人数のグループの中では積極的に意見できる学生もいる。ただ、国際舞台で活躍するためには、積極的に質問・意見することは重要であるということは言うまでもない。

では、日本の大学とアメリカの大学はどっちがいいんだろうか。
僕は、両国の学部と大学院にそれぞれ通ったけど、どっちが良いとも悪いともいえない。少なくとも個人的には、日本の大学で享受した比較的に自由な時間を勉強だけでなく、アルバイトや学部交換留学を含めて有意義に使えたように思う。

2015年6月20日土曜日

アメリカ人学生、朝鮮学校を訪問、日本の移民史を学ぶ

5月下旬から6月上旬までの16日間、アメリカ人学部生11人と指導教官とともに日本各地を旅行した。その間、学生らは日本国内のマイノリティやアニメなどについてそれぞれ調べた。
僕は旅程の調整、学生レポートの採点、通訳などを担うティーチング・アシスタント(TA)として参加した。

この日本旅行プログラムは、僕の通っている大学が2010年から始めた事業。東日本大震災が起きた2011年を除き、毎年夏に行われ、今年で5回目。今年は日米両国間でどのような偏見や誤解が生まれ互いの社会に影響を与えてきたのかというテーマをもとに、学生らはロサンゼルスで一週間ほど勉強した後、日本に向かった。

TAの僕は基本的に教える立場で帰国したけど、学生たちや訪問先から学ぶことの方が多かった。


日本国内のマイノリティについて理解を深めるため、東京朝鮮中高級学校を訪問した。まずは授業見学。英語の勉強中の教室に入ると、生徒らが「ハロー、ハロー」と元気に声をかけてくれた。生徒らは、日本語と英語の授業を除き、すべて韓国・朝鮮語を使って学ぶ。アメリカ人学生の一人が「家では何語で話すんですか」と質問すると、案内してくださった副校長先生が「家では日本語です。学校でしっかり使うことで朝鮮語も話せるようになります」と教えてくださった。

その後、副校長先生から朝鮮学校設立の経緯、民族教育の重要性、日本社会における差別また支援などについて話をうかがった。その後、朝鮮学校の生徒4人と懇談。アメリカ人学生のなかにはコリア系女子学生も二人おり、彼女たちは生徒たちと韓国・朝鮮語で話し、他のメンバーには英語に訳して内容を伝えてくれた。

コリア系アメリカ人と在日朝鮮人では歴史的背景がだいぶ異なる。それでも朝鮮半島にルーツのある若者同士、同じ言語を通して一気に互いの距離を縮めていった。

アメリカ人学生らは、朝鮮学校の生徒らが民族文化を守ってきた朝鮮学校を誇りに思っていることや、日本社会や国際社会とつながりながら生活していきたいと考えていることなどについて理解を深めた。

僕にとっても貴重な学びの機会だった。ヘイトスピーチや高校無償化不適用などに見られるように、日本で生まれ育った若者達が差別の対象となっている。国家間の緊張関係が、国内で暮らす移民の子孫に対する差別につながるような昨今の状況では、いくら経済的に発展しても、日本社会はグローバル時代の成熟した社会とはいえないだろう。


この日の夜は日本のコリアタウンを見ようということで、新大久保の焼肉店へ。韓国人店長はコリア系学生と韓国・朝鮮語で話した後、辛ラーメン5パック入りをプレゼントしてくれた。

コリアタウンの焼肉店でサムギョプサルを堪能した。

焼肉店を後にすると、学生らは「ボバ(Boba)を飲みたい」とやたら言い出した。ボバとはいわゆるタピオカ入り飲み物で、ロサンゼルスではどこでも簡単に手に入る。日本ではなかなかすぐに見つからないので「ファミマにおいしいデザートがある」と日本流のやり方で納得してもらった。学生の一人はコンビニのプリンが気に入ったようで、一日に3個買う日もあった。たしかにケーキやパフェなど日本のスイーツの質は高い。僕は牛乳プリンを買って帰り、充実した一日を終えた。

2015年5月30日土曜日

アメリカ人学部生と日本旅行、水田やビルに興奮

この夏学期は指導教官のティーチングアシスタント(TA)として日米両国における外国人やマイノリティに対する偏った認識がどのように生じてきたのか学ぶ学部生向け授業のお手伝いをする。その一環で今日から二週間ほどアメリカ人学部生11人を連れて日本を旅行している。

ロサンゼルスから東京へ。空の長旅で疲れが隠せない様子だった学生たちも、成田エクスプレスの車窓から見える水田や高層ビルといった日本の景色に早速興奮していた。そのまま夕食に何かおいしいものが食べたいという彼らの要望に応えて、ホテル近くの回転寿司店に連れて行った。

ネットでたまたま見つけた全皿150円の店。客がどんどん入っては出ていく。ばらばらに別れて座った学生たちは、粉末緑茶を見て「わさび?」と聞いたり、熱湯の出る蛇口の写真を撮ったりして楽しんでいた。忙しいのに店主が優しく案内してくれたのがよかった。

これから計16日間、日本各地を巡り、日本の移民やマイノリティ、アニメ文化など、それぞれの研究テーマで発表やレポート提出を行う。

ほぼ全員が日本に来るのは初めて。TAとしては日本のことを教える側の立場だけど、日本育ちの僕がふだん感じないようなことを彼らが感じて逆にいろいろ教えてほしい。

彼らの活動は大学のブログで随時紹介される予定だ。

・学生ブログはこちら


2015年4月15日水曜日

ペルー料理店と日本の工場、アメリカで見つけた「宝物」

ロサンゼルスに住んで2年8カ月になる。お気に入りの飲食店もいくつかできた。
その一つがベニス通り沿いのペルー料理店。2年前に妻のペルー人の友だちが美味しいと教えてくれた。

この店に来るのは、この日で4回目。何度か通ううちに店員女性も最初からスペイン語で声をかけてくれるようになった。いつも通りシーバスのセビーチェ(Ceviche)とロモ・サルタード(Lomo Saltado)を注文した。セビーチェは生の魚介類をレモン汁や香辛料で和えたもので、ロモはフライドポテトと牛肉を醤油などを使って炒めた料理だ。

ところで、厨房の棚にまねき猫が2匹置いてある。なんなんだろうと今日、女性に聞いてみると「(シェフが)好きなのよ。彼は11年間、日本で暮らしていたのよ」。
1990年の入国管理法の改正で、ペルーから日本の働きに来た人々の一人かもしれない。

食事を終えて、そのシェフがお会計を持ってきてくれたので、「日本で暮らしていたらしいですね。どこに住んでいたんですか」と声をかけると「名古屋です」とのこと。
料理が美味しいので、きっと日本でも料理店を開いていたんじゃないんだろうかと思ったけど、「いや、日本ではずっと工場で働いてたよ。トヨタ車の部品を作る工場で」と教えてくれた。
日本の景気が後退したので、その後、アメリカに渡ってきたという。

ロサンゼルスではペルー人を含めたラティーノが差別を受けることもしばしば。だけど、こうして自分の店を構えて好きな料理を作っていることに満足しているらしい。「高級車は持っていないけど、この料理が僕の宝物です」。

セビーチェは中南米で広く食べられているけど、ペルーのセビーチェは特に美味しいと思う。シェフは「寿司も日本人が作ったものが美味しいと思うでしょ。セビーチェも味を知っているペルー人が作ったほうが美味しいと思う」。こだわって食材の一部もペルー産のものを使っているらしい。

いろいろ10分ほど話をした。同じ飲食店に通っても、そこのシェフと話すことは少ない。その人が日本で暮らしたことのある人となると余計に少ない。

世界経済は投資や技術革新だけでなく、国境を超えて自分や家族のために働く生身の人間に支えられている。
シェフもペルー、日本、アメリカと世界各地を転々と暮らすなかで多くの苦労があったと思う。けど、今は、このベニス通りの一角に、自分の人生の「宝物」を見つけたということだから、この店ができるだけ長く続いてほしい。また食べに行こう。

2015年4月8日水曜日

「出産観光」を歴史的に考える、中国人女性移民と偏見

今年3月3日、連邦政府の捜査官らがロサンゼルス地域でいくつかのアパートを強制捜査した。アパートには出産間近の中国人女性たちが暮らしていた。

捜査官らは、中国人妊婦らが観光客を装ってアメリカに入国し、出産しているとして、妊婦の受け入れ先となっているアパートに踏み入った。ロサンゼルス・タイムズが「"出産観光"強制捜査、中国人対象の州内施設で」と大きく報じた。

「出産観光(Maternity Tourism)」に対する強制捜査を報じたオンライン版ロサンゼルス・タイムズより。リンクはこちら

19世紀後半から20世紀初頭かけても中国人移民女性をターゲットにした連邦政府の取り締まりがあった。

今回の「出産観光」捜査をどのように歴史的に解釈できるか。ティーチングアシスタント(TA)を担当している授業で学部生に議論してもらった。


今学期は「人種、性、法の歴史」という授業のTAを担当している。アメリカ史において「人種と性」に対する考え方がどのように互いに影響しあい、それがどのように法律に反映されてきたのか学ぶ授業だ。

先週は1875年のページ法について学んだ。外国人の入国に制限をかけた最初の連邦法だ。主な規制対象は中国人売春婦だった。

ページ法成立の背景には、中国人が増えると白人が人種的に脅威にさらされるという偏見があった。中国人売春婦と性交した白人男性が性病にかかるなどして、白人社会が崩壊するという考え方も当時は珍しくなった。つまり、ページ法は中国人売春婦を通して、中国人全体の規制を促す法律だった。

20世紀初頭の革新主義時代、白人女性を売春から救おうという運動が高まる。その中で、白人女性の売春業を中国人男性が裏で支えているという偏見も強まり、男女に関わらず「中国人=売春」というイメージが固定化されていく。


学生らが史料として読んだ1909年に新聞では、白人女性の売春宿で中国人男性が暗躍していることを示すイラストが掲載されている。

学生たちに「1909年当時の読者はこの中国人のイラストに対して違和感を感じたり、人種差別だと抗議したりしたと思う?」と聞くと「当時の人は当然のことだと思っていたと思う」と答えた。

そこで僕は「ということは、2015年の出産観光の記事も現代人はただのニュースと思うかもしれないけど、100年後の人は違った読み方をするかもしれないでしょ。今回の中国人女性移民を対象にした捜査や記事、また読者の捉え方の背後に何らかの考え方があるかどうか歴史的に考えてみて。もちろん、ないと思うならないでいいから」とさらに問いかけてみた。


「出産観光」の記事は、捜査官がビザ不正取得を問題視していることにくわえ、アパートの中国人住民が「子どもにアメリカの大学に通わせたい」と話していることも紹介している。アメリカ国内で生まれた子どもには自動的に市民権が与えられ、大学進学などで有利になるケースもある。取材を受けた別の中国人は永住権を持ち、出産ではなく、産後ケアのためアパートを利用していたという。

ある学生は「もちろん出産目的で入国する人もいるけど、こうした捜査は、基本的には中国人はずる賢い、法律の抜け穴を利用している、というイメージを強めていると思う。それは過去(100年前)と似ている」と話す。彼の母親は台湾出身で、台湾では産後ケアで数カ月、病院施設を利用するのは普通という。

他の学生たちは「出産目的でアメリカに来た(非アジア系の)人を何人か個人的に知っているけど、この記事はまるで東アジアの女性だけがそういうことをしているような印象を与える」などと答えた。

次に「だけど、1909年の中国と2015年の中国じゃぜんぜん違うでしょ」と質問してみた。

学生らは「(中国人妊婦は)中流階級以上の人たち」、「中国は今は世界で2番目の経済大国」などと答える。
売春婦と妊婦はまったく別だし、中国の国の状況もまるで違うのに、似たような偏見が続いているといえるんだろうか。

そこで僕は「100年前、中国人移民は人種的な脅威と考えられていたわけでしょ。21世紀の今、中国を脅威と捉えるアメリカ人っていると思う?」というと、学生らはすぐにうなずき、経済的、軍事的、また人口的な脅威と捉える人が一部いると指摘した。

このような掛け合いを通して、過去と現在の中国は全然ちがうけど、中国を脅威と捉える考え方がアメリカ社会にあれば、出産観光の捜査や記事が中国人一般に対するネガティブなイメージをさらに広げる可能性もあるなどと話し、議論を深めた。

こうしたイメージは、中国人女性の身体を問題視する一方、だいたいの親は子どもや自分の将来のためによいよい方法を模索しているという側面を見えにくくさせる。

「だけど、連邦捜査官がビザの不正取得を捜査すること自体は普通だから、何も問題ないという人もいる。重要なことは歴史の勉強を通して、現代の移民政策に対しても、当たり前と思わず、その背景にある考え方などを歴史的に、批判的に分析する力を養うことだと思う」と付け加えた。


歴史の勉強は現代のことを主な研究対象にしないから退屈になりやすい。
だけど、本当は現代のことを深く理解する力を養う勉強でもある。
そこに平等や平和などに悪影響を及ぼす問題を見出せば、その是正に向けて働きかけることもできる。

TA授業では、そんなことを現代のトピックを絡めて実践的に伝えたい。こうして授業内容を練って実際に試してみることで、自分自身の教え方や考え方も深まっていくのでありがたい。

・ロサンゼルス・タイムズの記事は、こちら
・ティーチング・アシスタントに関する当ブログの過去記事は、こちら