2014年7月14日月曜日

ドーナツ店で宝くじ、大人も子どもも幸運祈る

最近は近所のドーナツ店で読書する。

アメリカはハンバーガーだけでなく、ドーナツの国でもある。どこでもドーナツ店がある。チェーン店もあれば個人商店もある。僕の行きつけのドーナツ店はちっちゃな個人商店。ロサンゼルスでは一般的な小さい平屋のショッピングセンターに入っている。東南アジア出身の40歳代くらいの女性が切り盛りしている。

僕はいつもドーナツとコーヒーをそれぞれ一つずつ注文する。それで2ドルくらい。これでどうやって経営しているんだと思うけど、この店に長時間いると、たくさん客が来ることが分かる。そして、ドーナツを食べるよりも宝くじを買いに来る客のほうが多いことも分かる。

ある日の午後6時は僕を含めて店内には11人の客。僕のテーブルの左手には40分ほどスクラッチ宝くじを削り続ける60歳くらいの大きな白人女性。右手にはメキシコ系の若い女性2人がドーナツを食べている。

別のメキシコ系の女性が5歳くらいの娘と店に入る。その母親の女性は宝くじを買いに来たけど、娘は別のものが欲しくて仕方ないらしい。それはアメリカ版ガチャガチャのおもちゃ。

英語ではカプセルトーイ(capsule toy)と呼ぶらしい。店内には「ファーストフード消しゴム」のガチャガチャ機があった。一つ25セントと日本のガチャガチャに比べると安い。ガチャガチャ機はちょうど子どもの目線に合わせて商品が見えるように設計されている。

ドーナツ店のガチャガチャ機

女の子は母親からもらった25セントコインを機械に入れ、つまみをひねった。コカ・コーラ狙いだったが、出てきたのはシェイク消しゴム。母親に再びおねだり。ガチャガチャ機の前で目をつぶり、両手の人差し指と中指を交差させてコカ・コーラが出てくることを祈る。指を交差させるのは何か幸運を祈るときのジェスチャーだ。

しかし、結果は「Oh my God! It's an ice cream!!」と出てきたのはアイスクリーム消しゴム。コカ・コーラが手に入るまでは止められないと彼女は宝くじを購入中の母親に「Mammy, please quiero otro coin!(お母さん、コインもう一枚ちょうだい!)」とすがる。

ちょうど5歳くらいだと幼稚園児か卒園したかくらいの年齢だ。幼稚園に入るまでは家庭でスペイン語しか話さなくても、幼稚園に入ると英語をどんどん吸収する。その結果、おそらく彼女も「Mammy(英語とスペイン語), please (英語) quiero (スペイン語)otro (スペイン語)coin (英語)!」と英語とスペイン語が混ざった状態になっているんじゃないだろうか。母親は娘にはスペイン語で話していた。

ねだり倒して最後のコインをゲット。ガチャガチャ機に投入し、目を閉じて指を交差する。小さい体で大きく深呼吸。カプセルを開けると、残念ながらオレンジ消しゴムだった。けど、結果的に3個も買ってもらったので満足そうだった。しばらくして母親と店を去った。母親も特に興奮していなかったから、きっと宝くじも当たらなかったんだろう。

ドーナツ店は甘い菓子だけでなく、一攫千金の甘い夢も売る。幸運を祈る大人のとなりで、子どももそれなりに幸運を祈りガチャガチャする。なんの特徴もないドーナツ店も長時間いるとロサンゼルス移民社会の生活がいろいろ見れておもしろい。

その日ではないけど、僕も同じガチャガチャ機に挑戦した。ドーナツ消しゴムが出てきた。ドーナツ店の土産にちょうどいい。今度はコカ・コーラを狙おう。

ファーストフード消しゴムは指2本分くらいの小ささ。カプセル(写真後)に入って出てくる。

2014年7月5日土曜日

独立記念日と非合法移民、アメリカの平等とは

7月4日はアメリカ独立記念日。1776年のこの日、イギリスによる植民地支配から離脱するため、「すべての人は平等」とうたった独立宣言が採択された。アメリカ各地で花火大会などが開かれるとともに、家族や友人と集まって楽しむ日になっている。

僕が住むアパートでは管理人さんがランチパーティを開いてくれ、僕と妻を含む住民11人が参加した。管理人さんも住込み管理人なので住民の一人だ。

アパート中庭のテーブルに用意されたコーヒーとベーグル、スイカなどを食べながら昼前から夕方近くまでおしゃべりした。僕らも日本の友人からお土産にもらった甘栗を持っていった。中庭にはプールもあり、何人かはプール遊びも楽しんだ。

管理人さんは軽食のほかにきれいな花も用意してくれた。

アパートには僕以外にもう一人、大学院の博士課程で勉強している白人男性がいる。彼も顔を出し、お互いの勉強の進み具合を話した。彼の妻はインド出身。高校生のとき、単身アメリカに留学し、そこで彼と知り合い、それ以降、アメリカで暮らしている。彼らとアメリカ生活について話し、まだまだ白人中心の社会だけど外国人を受け入れる社会基盤は他の国に比べると整っているとかいないとか話しあった。

今日のアメリカでは外国出身でもアメリカの政治にある程度深く関わることができる。例えば、カリフォルニア州の前知事はオーストリア出身の映画スター、アーノルド・シュワルツネッガー。僕も昨年、香港出身の若い男性に会い、彼がアメリカの国務省(日本の外務省に相当)で働きたいと言っていたことを印象深く覚えている。そんなことを話した。

インド出身の彼女は「ロサンゼルスの空港でも入国審査の職員は外国にルーツがある人が多いでしょ。アジア人が多いよね。そういうのがいいよね」と言った。ついこの間、僕らがアメリカに再入国したときも、入国審査をした男性はアクセントのある英語を話すアジア系の男性だった。

彼女が「なんだか(外国出身の)私のほうが愛国的になってるみたい」と笑いながらいうので、「アメリカでは移民の方が愛国的になることはよくあると思うよ」と相槌を打つと、彼女の夫も「確かに移民の愛国心はあるね」と言っていた。彼女は「インドは好きだけど」と断りつつも、女性の権利などの点で、アメリカの方が住みやすい理由が多いと話していた。


そんな独立記念日のロサンゼルス・タイムズのトップニュースは非合法移民問題だった。

カリフォルニア州ムリエッタ市内にある国境警備施設周辺で、移民支援グループと移民反対グループが互いにプラカードを掲げて衝突している。

昨年10月以降、グアテマラやエルサルバドル、ホンジュラスなど中央アメリカ諸国から子どもたち約5万2千人が出身国内の犯罪組織による暴力から逃れるため、アメリカに不法入国し、当局に拘束されているという。その人数が多いため、強制送還の手続きがテキサス州やカリフォルニア州の複数の施設で行われている。

今回、テキサス州で拘束された非合法移民の親子連れの一部がムリエッタ市内の施設に送られることになった。そのことを知った100人以上の移民反対グループが非合法移民を連れたバスの通行を防ごうと抗議活動を始めた。

そこに移民支援グループも加わり、アメリカ社会における非合法移民問題の深刻さを象徴するような状況に至っており、メディアが大きく報じている。

移民支援グループに参加した女性は「私たちは7月4日(独立記念日)とメルティングポット(いろいろな人が混ざり合って生きるるつぼ)としてのアメリカを祝っているの」と記者の質問に答えている。

ロサンゼルス・タイムズのコラムニスト、スティーブ・ロペスは「中央アメリカとメキシコの経済的また社会的災難の理由は複雑だが、アメリカはそうした地域の失敗に歴史的に加担してきた」ことや「(そうした地域で生産された)薬物をアメリカ社会が求め続けてきた」ことを忘れて、非合法移民に「自分の国に帰れ」と叫ぶだけの人々は恥を知るべきだと批判している。

「すべての人は平等」とした独立宣言が採択されてちょうど238年。非合法移民問題はアメリカで暮らす人々にこの社会における平等とは何を意味しているのか問いかけている。

ブログを書いている部屋の外からは、独立記念日を祝う花火の音が聞こえる。

・ロサンゼルス・タイムズのコラムは、こちら
・ハフィントン・ポストの関連記事は、こちら

2014年7月3日木曜日

国際空港、移民の管理と人生の節目

先日、2年ぶりの日本一時帰国から、ロサンゼルスに戻った。

ロサンゼルス国際空港に着陸するため高度を下げるジャンボジェット機の窓からロサンゼルスの近代的で乾いた街並みが見える。懐かしさと新鮮さが混じったような感覚になる。

ロサンゼルス国際空港上空から見た市街地

妻と一緒に入国審査を受ける。パスポートやビザなどの必要な書類はすべてそろえていても、入国審査を通り抜けるときは、アメリカという国家に入国してよいか試されるある種の緊張感がある。

しかし、実際は「何か食べものは持ってきましたか」くらいの質問ですんなり通過し、無事にアメリカに入国。手荷物引き渡し場所でスーツケースを拾い、空港職員に税関申告書を手渡す。以前はI-94という出入国カードも記入して提出していたけど、2013年から自動化されて必要でなくなったようだ。

多くの人間を飛行機という密室に閉じ込めて、雲の上に放り投げ、空港ビルという限定された建物に届け、漏れなく入国審査などの関門を通り抜けさせる仕組みは、外国人を管理する上ではとても効率がいい。とはいえ、外国人がみんな空路を使って渡米するわけではない。

日本で暮らしていると、陸路で国境を越える感覚が薄いから、何気なく外国のことを「海外」と呼び、外国に行く方法は海を越える空路だと考えてしまう。多くの国にとって外国は海の外とは限らない。

そういう意味では、外国に行く際に、ほぼ空路しか選択肢がない日本出身者は管理しやすい外国人であるともいえる。

というわけで、日本からアメリカへの移動を両国の政府にしっかり管理された後、空港ビルの外へ出た。ロサンゼルスの青空が広がる。バスを乗り継いで帰宅。荷物は重かったけど、なんだか気持ちは軽かった。


その2日後、ロサンゼルスでお世話になった日本人夫妻がアメリカ生活を終えて帰国するため、同じロサンゼルス国際空港に見送りに行った。

国際空港には、ここからアメリカ生活を始める人もいれば、ここでそれを終える人もいる。そこには楽しさや寂しさなど感情が伴う。

国際空港は移民の動きを管理するだけでなく、それぞれの移民の人生に節目を与える場所でもある。

2014年6月14日土曜日

国際化と平等化、変わりゆく日本の移民社会

日本に2年ぶりに帰国した。最初は東京に一週間ほど滞在した。

中高時代の友達に会うため、品川駅に向かった。到着して改札を出ると、帰宅する大勢の会社員が駅ビル構内を埋め尽くしていた。改札へ向かう会社員の群れは増水した川のようにまとまって勢いよく動く。この川を横切るには、人の流れに身を任せつつ、斜め方向に移動しないといけない。

日本語も日本食も身近なロサンゼルスで生活していたので、それほど逆カルチャーショックはないと思っていた。けど、東京の人の量や動きに対応する際には、ある程度のフィジオロジカル(生理的)ショックがあり、それはそれで興味深い。

ところで、そうした大勢の会社員が行き交う品川駅構内には横断幕がかかっていた。「不法就労外国人対策キャンペーン月間」と書かれており、法務省入国管理局のキャンペーンだった。横断幕の下を通り過ぎ振り返ると、その裏側に「ルールを守って国際化」と別の標語が書かれていた。

会社員が行き交う品川駅構内に掲げられた入国管理局の横断幕

日本社会の国際化を進めるには既存のルールや外国人に対する認識を変えないといけない。つまり、法務省が不法就労外国人と呼ぶ非正規滞在労働者(非合法移民労働者)を既存のルール通りに強制送還しても日本社会が国際化するというわけではない。

もちろん法治国家であれば出入国管理法を順守することは重要だ。しかし、それと同時に非正規滞在労働者が日本経済の一部を支えているという事実を理解しないと、日本社会の外国人に対する認識を国際化することはできないじゃないだろうか。

品川駅を毎日行き来する会社員にとって非正規滞在労働者はあまり縁のない存在。品川駅で「不法就労外国人対策」を訴えても非正規滞在労働者が減ることは期待できない。ということは、この横断幕の「啓発」効果があるとすれば、「非正規滞在労働者は悪いものだ」という漠然としたイメージを日本社会に広めることぐらいしかないんじゃないだろうか。

非正規滞在労働者にだけ責任を負わせるようなキャンペーンが東京の中心部で堂々と行われてる状況では日本社会の国際化は程遠いと感じた。


とはいえ、東京は日本国内の他の都市に比べれば実質的に国際的な都市といえる。東京都内には2014年、約39万人の外国人登録者が暮らしている。品川区民(約37万人)より多い。一週間ほどの滞在でも、いろいろなところで観光客ではない外国人をたくさん目にした。

東京タワー近くのホテルに泊まった。近所の増上寺境内では、外国人研修生と思われる東南アジア出身の建設作業員が日本人作業員とともに働いていた。チェーン店の牛丼店に入ると、若いアルバイト店員3人が切り盛りしており、みんな外国人だった。中国人の女性アルバイトが新入りの東南アジア出身の男性アルバイトに日本語でアドバイスしていた。おそらく彼らは留学生だろう。

飲食店やコンビニなどでは留学生らが働いている。

外国人研修生も学生アルバイトも一定期間を過ぎると、出身国に帰国することが想定されている。けど、日本での生活を通して結婚などを理由に日本に定住する人もいるだろう。移民の受け入れという観点では、そうした人たちとその子どもたちが日本社会で平等に扱われるかどうかが重要だ。日本人と外国にルーツがある人々の平等化が日本社会の国際化に欠かせない要素だと思う。


東京で用事を済ませた後、別の用事で沖縄に向かった。羽田空港の搭乗口前ロビーで出発を待つ。備え付けられた広告用テレビ画面で、公共広告機構制作のあしなが育英会のPR広告が流れていた。4人の若者を取り上げ、それぞれの将来の夢をかなえるため、育英会が経済的なサポートを行っているという内容だった。4人のうち1人はアフリカ系の若者だった。外国にルーツがある若者も支援の対象になるということを効果的に伝えるPR広告だった。

あしなが育英会のPR広告

あしなが育英会のPR広告と入国管理局の横断幕はそれぞれ対照的なイメージを作り出しているけど、どちらも外国にルーツがある人々と日本社会の関係を反映している。しばらくしたら、またロサンゼルスの留学生活に戻る。インターネット情報などを通して日本の移民社会の変化も注意深く見つめていきたい。

2014年5月30日金曜日

砂漠の中の芸術、神の愛伝える、サルベーション・マウンテン

ロサンゼルスで生活を始めて以来、お世話になっている日本人の友人夫妻に誘われて、砂漠の中の宗教芸術作品「サルベーション・マウンテン(救済の山、Salvation Mountain)」を見に行った。

サルベーション・マウンテンは、レオナード・ナイト(1931~2014)が1984年から28年間かけて制作した巨大な芸術作品。高さ15メートル以上の山の表面を泥で覆った後、ペンキでなど神を敬う言葉を書いたり、カラフルな立体作品を飾ったりしている。

ロサンゼルス市中心部から車で4時間ほど離れたインペリアル平原北側の砂漠地域にある。
到着すると、雲一つなく、カンカン照りの空の下、赤色とピンク色のペンキで「GOD IS LOVE」とでかでか描かれた山が目に飛び込んできた。その下にも大きな赤いハートが描かれ、その中に英語で「イエス(様)、私は罪深き者です。どうか私の体に舞い降り、私の心の中に入ってきてください」と書かれている。その周囲には、色とりどりの花の立体作品が添えられていた。

色鮮やかなサルベーション・マウンテン。周囲は荒涼とした砂漠地域だ。

作品には黄色の小道も描かれ、見学者が山頂まで登ることができるようになっている。泥とペンキという弱い素材でできており、傷みやすいため、黄色の小道を描いて見学者がその他の場所を踏まないようにしているらしい。

「Yellow Brick Road」と名付けられた黄色の道を上がると山頂へ。

山頂には特大の「GOD」を模った立体作品

しばらくすると、あまりの暑さで汗がだくだく出て、頭がふらふらしてきた。
作品の外観はインターネットで知っていた。けど、実際に現地を訪れることで、この砂漠地域で28年間黙々と作業を続けたナイトの作品に込めた信仰心を感じることができた。

ナイトは2011年、作品保存に向けた団体を設立。体調がよければ年に数回、現地を訪れていたが、今年亡くなったらしい。


サルベーション・マウンテンを後にして、すぐ近くのソルトン・シー(Salton Sea)という大きな湖に向かう。この湖は1905年、コロラド川の氾濫によってできたという。遠くから見るときれいだけど、本当は汚いとアメリカ人の友だちに聞いていた。実際はどうだろうか。

その途中、国境警備隊の検問所を通った。この地域はメキシコ国境まで車で1時間弱。非合法移民に対する警備も厳しい。同じカリフォルニア州内でもロサンゼルス市から遠く離れる場合は特にパスポートの携帯が必要だ。

検問所で少し緊張した後、ソルトン・シーに到着。アメリカ人の友だちが言っていたとおり、湖の砂浜に近づくと異臭が。水際付近には干乾びた魚の死体が無数に残っていた。現在、湖の塩分が上がったり、周辺農地の肥料が流れ込んだりして、水質が悪化しているらしい。

ソルトン・シーで釣りをする人たち

だけど、数百メートル離れた場所で、クーラーボックスを持って来て釣りをしている人たちがいる。とてもじゃないけど、この湖の魚を食べられる気はしない。食べるんだろうか。


湖の後はオレンジ郡のベトナム系コミュニティにある人気ベトナム料理店に。友人夫妻おすすめの生春巻きは豚や海老のすり身と野菜の他に揚げた春巻きの皮のようなものが入っているので、外はもっちり、中はパリパリ。特製のソースに突っ込んでから口に放り込むと抜群に美味しかった。

豚春巻きは4本で6ドル(写真)、海老春巻きは4本で8ドルとお買い得。

いつもお世話になっている夫妻にまたお世話になった。感謝の一言です。

・サルベーション・マウンテンについては、こちら
・ベトナム系コミュニテイについての当ブログ記事は、こちら


2014年5月26日月曜日

銃と人種、自由の国アメリカの問題

カリフォルニア州アイラビスタで23日、容疑者を含め7人が死亡する無差別殺傷事件が起きた。

エリオット・ロジャー容疑者(22)は、魅力的な女性と交際できないことへのいら立ちから、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の学生がナイトライフを楽しむアイラビスタで、刃物と拳銃を使って無差別殺人を実行したという。

25日のロサンゼルス・タイムズが事件について詳報している。同紙を読む限りでは、ロジャー容疑者にとっての「魅力的な女性」像にはアメリカ社会の人種関係が大きく影響していたようだ。

ロジャー容疑者はイギリス人の映画監督と中国人の母親の間に生まれ、7歳のときに両親が離婚。その後は母親と暮らしてきたという。しかし、自分が白人とアジア人のハーフであることが、白人女性と付き合えない理由の一つと考えていた。

ロジャー容疑者は「僕は内気で人気もない。何よりも、僕は二つの人種の間に生まれた(I am mixed race)から、他の人と違っていた。僕は半分白人で、半分アジア人。そして、このせいで、ふつうの完全な白人の若者たちに溶け込もうと思っても、それができなかった」と犯行予告の文章に記している。さらに、ある投稿サイトに「黒人の男が4人の白人女性と遊んでいる」と「怒りが込み上げてくる」と他の人種エスニック集団に対しても人種主義的なコメントを投稿していた。

彼の人種を巡る感情は犯行を正当化する理由には一切ならないとともに、もちろんこうした感情をハーフの若者がみんな抱えているわけでもない。彼の人格形成に両親の離婚など他の要因が与えた影響も考えられるだろう。

ただ、今回の事件は、アメリカ社会が白人中心であり、ロジャー容疑者が抱えたようなコンプレックスが生まれる背景があるということを示す一例といえる。彼の父親が関わっている映画業界では、白人を主役に据える映画がたくさんある一方、アジア系を主役に据えた映画はほとんど見当たらない。

さらに、この事件はアメリカ社会における銃の問題とも関係が深い。テレビニュースで、ある被害者の父親が銃規制の必要性を涙ながらに訴えていた。

ちょうど20年前の1994年、同じカリフォルニア州のロサンゼルスで日本人留学生2人が拳銃で殺害される事件が起きた。

日本で暮らす2人の遺族を含む関係者のインタビューを通して事件をふり返るドキュメンタリー映画『Lives Interrupted: The Takuma Ito and Go Matsuura Story』(2012年)が先日、テレビ放送されており、途中からだったけど、たまたま見る機会を得た。犯人と地元ギャングの関係、銃規制の必要性、司法制度の在り方など、凶悪事件の背景にもふれていた。2人の遺族も事件後、銃規制を求める運動を展開したという。

僕が大学で使った歴史教科書によると、1998年、銃で殺害された人の人数は、日本では19人、アメリカではその620倍の1万1789人だった。警察庁資料とガーディアン紙によると、2011年、日本では17人、アメリカではその504倍の8,583人が銃で殺害された(アメリカの人口は日本の約2.5倍)。

銃と人種――アイラビスタの事件を通して、自由の国アメリカに根深く残る問題について考えさせられた。

・アメリカの銃関連犯罪について報じたガーディアン紙の記事は、こちら
・警察庁の犯罪情勢資料は、こちら

2014年5月24日土曜日

イタリア人移民の情熱、地域の芸術拠点ワッツ・タワー

スペインの建築家ガウディを連想させるような巨大芸術作品が、観光客がけして訪れないようなロサンゼルスの低所得者地域に忽然とそびえたっている。

ロサンゼルス市ワッツ(Watts)地区のワッツ・タワーだ。

そびえたつロディーアのワッツ・タワー

ワッツ・タワーは、イタリア人移民のサイモン・ロディーア(Simon Rodia、1879~1965)の立体作品群で1954年に完成した。敷地内には、セメントで覆った鉄筋で作られた塔など17点が並んでいる。それぞれの作品は陶器やガラスの破片などで装飾されている。最も高い塔は高さ30メートルに達する。

ロディーアは1895年に渡米し、1920年にワッツに移り住む。誰の助けも借りず、自宅すぐ隣の作業場で34年間、毎日のように制作に取り組んだ。やっとのことで完成すると、彼は隣人に作品群を譲ってワッツを去る。その後、一度は取り壊しが決まったタワーだが、支援者が現れて今日まで保存してきた。

一度は必ず訪れたいと思っていた場所。妻と一緒にワッツ・タワーの見学ツアーに参加した。

ガイドの女性が「二つのことだけ守ってくださいね。一つは、タワーに登らないでください。子どもよりも、大人の方が登ろうとする人が多いんです。それと、一緒にかたまって移動してくださいね」と話し、ツアーがスタートした。

それぞれの作品には、タイルやガラスの他に半分に割れたコップや貝殻なども飾り付けられている。ガイドの女性が「タイルは彼が職場から持ち帰ったものです。彼の仕事はタイル張り職人でした。それと近所の子どもたちがタイルなどを持ってくると、ロディーアはお小遣いや自分で焼いたクッキーをあげていました」と言った後、「けど、タイルを持ち帰りすぎて、クビになってしまいます」と笑顔で付け加えた。

マルコ・ポーロの帆船をイメージした彫刻

作品群の周囲は壁で三角形に覆われており、故郷イタリアに向かう船をイメージしているという。それを示すように、壁には波のような模様も描かれている。僕が「彼は自分のことを芸術家と考えていたんですか」と質問すると、ガイドの女性は「彼が自分のことを芸術家と言ったことは一度もありません。彼はただ何か大きなことをしたいと願っていて、一人で作業をしていました」と教えてくれた。

タワーには世界各国から観光客が訪れる。芸術家の世界にも属さず、芸術家と自称することもなかったイタリア人移民が、アメリカ大陸の西の果てで、世界各国から人を集める作品群を作り上げた。これを芸術と呼ぼうか何と呼ぼうか関係ない。タワーは人の心を惹き付けている。

作品群には「SR」とロディーアのイニシャルが刻まれている場所が2カ所、ロディーアの肖像が飾り付けられている場所が1カ所(写真)がある。


このワッツ・タワーのあるワッツ地区は、第二次世界大戦以降、多くのアフリカ系が暮らしてきた。ロサンゼルス社会の構造的な人種差別を背景に、貧困に悩まされてきた地域でもある。

1965年には警察の不平等な対応や貧困に対する地域住民の不満が爆発し、35人が死亡、1千人以上が負傷する大規模な暴動が起きた。ワッツ暴動として、アメリカの学部生が使う歴史教科書にも登場する。

1980年代以降にラティーノ住民が増え、2000年の人口割合はラティーノが約61%、アフリカ系が約37%となった。人口構成は変わったものの、平均世帯収入は年間約250万円であり、ロサンゼルスの低所得地域であることには変わりはない。

タワーの周囲を歩いていると、タワーすぐ隣の質素な住宅からメキシコの伝統音楽ランチェロが流れてきた。その数軒隣の家からはヒップホップを詞を口ずさむ若者の歌声が聞こえてきた。

タワーは、ワッツ・タワー芸術センターが管理している。センターは、海外からの観光客の対応だけでなく、地域の小中学生のための芸術教育の拠点としても活動している。一人のイタリア人移民の情熱が今日、アフリカ系とラティーノが多く暮らす地域の誇りとなっている。


タワーを見学した後、せっかくだからアフリカ系のご飯を食べようと、ワッツ地区周辺で人気のソウルフード・レストラン「Carolyn's Kitchen」に向かった。ソウルフードとは、アメリカ南部の料理の影響を受けた料理で、アフリカ系アメリカ人の間で広く愛されている。

店に入ると、たくさんのアフリカ系の客が注文カウンターで列を作っていた。ソウルフードは一度ニューヨークで食べたことがあるけど詳しくはない。順番を待っている間に他の客の注文内容を注意深く観察した。いよいよ自分の番になったので「牛テールとチーズマカロニ、それとグリーンビーンズをください」と注文すると、後ろの若い男性客が「グレイトチョイスだね!」と声をかけてくれた。

ご飯が隠れるほどたっぷり牛テールを入れてくれる。

店員はプラスチックのランチプレートに、ご飯を入れてから、その上にグレービーソース(肉汁ソース)と一緒に煮込んだ牛テールを山盛り入れてくれた。グレービーはスパイスが効いていて食欲をそそる。牛テールも柔らかく、骨の周りのコラーゲンまでしっかりいただいた。市販の安物チーズマカロニはあまり美味しくないけど、ここのチーズマカロニはチーズの味がしっかりしていて美味しかった。値段は約20ドルとやや高めだけど、二人で食べて満腹になったので満足した。

これまでワッツ地区は貧困や犯罪など消極的なイメージが強かった。しかし、実際に足を運び、地域の人々が大切にしているワッツ・タワーを見学したり、愛してやまないソウルフードを食べたりすることで、一部であれ、この地域の魅力を理解することができたと思う。


・ワッツ・タワー見学ツアーなどについては、こちら