アメリカの若者にとって歴史の授業は最も退屈な教科と言われているけど、それがなぜ退屈か社会学的に理解したうえで、彼らが高校までに学んだ歴史の内容が本当に正しいといえるのか歴史学的に再検討する。
授業のテキストを読むため、コリアタウンの韓国系喫茶店に行った。2時間ほど本を読んでから、そのすぐ近くの羊肉串焼き店に夕食を食べに行った。
羊肉の串焼きがメインだけど、メニューには朝鮮・韓国料理も多い。店員の女性が中国人の客には中国語で、韓国人の客には韓国語で対応している。中国語も韓国語もかなり流暢だ。おそらく中国の朝鮮族の人だろう。
その女性が羊肉の串を10本ほど持ってきて、各テーブルに設置された炭火で焼いてくれる。3本か4本の串をまとめてつかみ、くるくる小まめに串を回転させながら、万遍なく熱を加えていく。羊からしたたる油が炭火をさらに強くする。
この店では羊肉を中心に豚肉、牛肉、鶏肉の串焼きを食べることができる。ウシのペニス(写真左)という珍味も食べたけれど、味は特別なかった。 |
女性はいきなり日本語で言った。どこで勉強したんだろうか。発音もいい。
「日本語うまいですね」と言うと、ニコッとしている。さらに話しかけてみた。
「ここの料理は中国料理ですか」
「そうですよ。内モンゴルの料理です」
「じゃあ、モンゴル語も話せるんですか」
「いえ、中国語と朝鮮語と。中国の朝鮮族なんです。北朝鮮の上にある吉林省で」
「けど、とても日本語うまいですね」
「吉林省の学校では、外国語の授業は英語じゃなくて日本語だったんです」
串を回しながら教えてくれた。
「僕も韓国に行って朝鮮語を少し勉強しました」「たくさん勉強したけど難しかった」とぎりぎり保っている初級朝鮮語で伝えると、女性は朝鮮語で一気に話してきた。全部は聞き取れなかったけど、「朝鮮語は日本語に発音や文法が似ているから、朝鮮族の私は日本語を覚えることも比較的簡単で、それが理由で、日本人から『日本語の発音がうまい』と言われることがよくあります」という内容だということは分かった。
女性が他の客の対応をしている間に羊肉を楽しむ。何か分からないけど、赤いスパイスをつけて食べる。しばらくして、女性が残りの串を回しに来てくれたので、さらに話を聞いてみた。
「吉林省では、日本語の授業はいつごろまでやっていたんですか」
「20年前くらいですかね。私のおばあちゃんは日本語ぺらぺらでしたよ。私が日本語の授業で分からないことがあると、おばあちゃんが教えてくれました。おばあちゃんのころは日本語だったので。日本が昔ね、あの、あれしたときにね」
吉林省を含む満州を日本が侵略したということだけど、僕に気を遣ってか言葉を選んでくれている。
「おばあちゃんのころは、日本語を話さないとね、あの・・・」と言うから、「いじめれたり、おこられたり、ですか」と加えると、うなづいてきた。
女性は40歳代くらいだけど、この世代の吉林省出身者がみんなこれだけ日本語が流暢なわけもないだろうと思い、「高校の後も日本語を勉強したんですか」と尋ねると、「ええ、自分で勉強して。日本語が勉強したくて日本に留学しましたよ。東京に何年か」と教えてくれた。
女性は中国語、朝鮮語、さらに日本語を流暢に話す。語学好きの僕としては、すごいなあ、いいなあ、と思う。
それと同時に、複数の言語を話す人々がいるということは、歴史的にどういうことなんだろうか、ということも考えざるを得ない。
日本では日本語しか話せない人がほとんどだけど、世界を見ると複数の言語が話せる人は多い。そういう人たちは、自分の民族が受け継いできた言語に加え、かつてその民族を支配していた国の言語を話すことが少なくない。
この朝鮮族の女性が、朝鮮語に加えて、中国語と日本語を話すということは、彼女の努力に加えて、中国と日本の影響を受けてきた満州の歴史も伝えている。複数の言語を話す人に感心するだけでなく、その背景にある歴史も理解するように努めていきたい。