2015年8月31日月曜日

羊肉串焼き店で聞く満州の歴史、日本語を話す朝鮮族

秋学期が始まった。今学期はアメリカ史の授業のティーチング・アシスタント(TA)をする。
アメリカの若者にとって歴史の授業は最も退屈な教科と言われているけど、それがなぜ退屈か社会学的に理解したうえで、彼らが高校までに学んだ歴史の内容が本当に正しいといえるのか歴史学的に再検討する。

授業のテキストを読むため、コリアタウンの韓国系喫茶店に行った。2時間ほど本を読んでから、そのすぐ近くの羊肉串焼き店に夕食を食べに行った。

羊肉の串焼きがメインだけど、メニューには朝鮮・韓国料理も多い。店員の女性が中国人の客には中国語で、韓国人の客には韓国語で対応している。中国語も韓国語もかなり流暢だ。おそらく中国の朝鮮族の人だろう。

その女性が羊肉の串を10本ほど持ってきて、各テーブルに設置された炭火で焼いてくれる。3本か4本の串をまとめてつかみ、くるくる小まめに串を回転させながら、万遍なく熱を加えていく。羊からしたたる油が炭火をさらに強くする。

この店では羊肉を中心に豚肉、牛肉、鶏肉の串焼きを食べることができる。ウシのペニス(写真左)という珍味も食べたけれど、味は特別なかった。
「脂が多いですからね」

女性はいきなり日本語で言った。どこで勉強したんだろうか。発音もいい。
「日本語うまいですね」と言うと、ニコッとしている。さらに話しかけてみた。

「ここの料理は中国料理ですか」
「そうですよ。内モンゴルの料理です」
「じゃあ、モンゴル語も話せるんですか」
「いえ、中国語と朝鮮語と。中国の朝鮮族なんです。北朝鮮の上にある吉林省で」
「けど、とても日本語うまいですね」
「吉林省の学校では、外国語の授業は英語じゃなくて日本語だったんです」

串を回しながら教えてくれた。

「僕も韓国に行って朝鮮語を少し勉強しました」「たくさん勉強したけど難しかった」とぎりぎり保っている初級朝鮮語で伝えると、女性は朝鮮語で一気に話してきた。全部は聞き取れなかったけど、「朝鮮語は日本語に発音や文法が似ているから、朝鮮族の私は日本語を覚えることも比較的簡単で、それが理由で、日本人から『日本語の発音がうまい』と言われることがよくあります」という内容だということは分かった。

女性が他の客の対応をしている間に羊肉を楽しむ。何か分からないけど、赤いスパイスをつけて食べる。しばらくして、女性が残りの串を回しに来てくれたので、さらに話を聞いてみた。

「吉林省では、日本語の授業はいつごろまでやっていたんですか」
「20年前くらいですかね。私のおばあちゃんは日本語ぺらぺらでしたよ。私が日本語の授業で分からないことがあると、おばあちゃんが教えてくれました。おばあちゃんのころは日本語だったので。日本が昔ね、あの、あれしたときにね」

吉林省を含む満州を日本が侵略したということだけど、僕に気を遣ってか言葉を選んでくれている。

「おばあちゃんのころは、日本語を話さないとね、あの・・・」と言うから、「いじめれたり、おこられたり、ですか」と加えると、うなづいてきた。

女性は40歳代くらいだけど、この世代の吉林省出身者がみんなこれだけ日本語が流暢なわけもないだろうと思い、「高校の後も日本語を勉強したんですか」と尋ねると、「ええ、自分で勉強して。日本語が勉強したくて日本に留学しましたよ。東京に何年か」と教えてくれた。

女性は中国語、朝鮮語、さらに日本語を流暢に話す。語学好きの僕としては、すごいなあ、いいなあ、と思う。
それと同時に、複数の言語を話す人々がいるということは、歴史的にどういうことなんだろうか、ということも考えざるを得ない。

日本では日本語しか話せない人がほとんどだけど、世界を見ると複数の言語が話せる人は多い。そういう人たちは、自分の民族が受け継いできた言語に加え、かつてその民族を支配していた国の言語を話すことが少なくない。

この朝鮮族の女性が、朝鮮語に加えて、中国語と日本語を話すということは、彼女の努力に加えて、中国と日本の影響を受けてきた満州の歴史も伝えている。複数の言語を話す人に感心するだけでなく、その背景にある歴史も理解するように努めていきたい。

2015年8月18日火曜日

大統領予備選、ドナルド・トランプ候補、排外主義的発言で支持拡大

2016年アメリカ大統領選に向けたキャンペーンが本格的に始まっている。
大統領選本番を前に、民主党と共和党でそれぞれ大統領候補者を一本化して公認候補を選ばないといけない。これを大統領予備選挙という。

民主党候補者としては、初の女性大統領になる可能性があるヒラリー・クリントンや、自ら民主社会主義者だと公言するバーニー・サンダースらが話題に上がっている。けれども、2015年夏の選挙戦報道は共和党候補者のドナルド・トランプ(Donald Trump)に集中している。

トランプは、アメリカの人気リアリティ番組のホストもつとめる実業家。不動産ビジネスが主な収入源で、この前、シカゴを旅行したときも、一等地のドュサーブル橋付近に「TRUMP」とサインを掲げた高層ビルが建っていた。

シカゴの一等地にトランプが建てた高層ビル(写真右)には「TRUMP」と彼の名前が記されている。

2015年8月現在、共和党からは18人が大統領選に立候補する意思を示しているが、その中ではトランプが群を抜いて支持を得ている。この高い支持率の背景には、移民問題に対する彼の極端に強硬な姿勢が保守層の一部に受けていることが挙げられる。

ドナルド・トランプ(写真左から5人目)ら共和党予備選挙の候補者ら(KTLAホームページから)

今年6月、トランプは選挙戦開始のスピーチで「(メキシコからの移民は)薬物を持ってくる。犯罪を犯す。彼らは強姦犯だ。そして、おそらく一部はいい人々だろう」と発言。アメリカ経済を支えているメキシコ人移民全体を犯罪者扱いするような発言であり、ラティーノ・コミュニティやリベラル層からトランプを批判する厳しい声が上がった。

この発言を巡り、共和党予備選候補者の討論会で司会者に「証拠はなんですか」と問われると、トランプは「私が候補者じゃなかったら、あなたも不法移民について語らないでしょう」とごまかしたものの、それでも聴衆の拍手を得た。

さらに今月、彼が示した非合法移民対策が物議を醸している。

彼は、アメリカ・メキシコ国境全域に壁を建設することだけでなく、アメリカ生まれの子どもにアメリカ国籍を与える法律(憲法修正第14条)を無効にすることも訴えている。さらに、幼少期に非合法移民の親とともにアメリカに来た若者たち(通称ドリーマーズ)は一時滞在が許されているが、そうした許可も無効にすると発言している。

共和党支持者の中でも特に保守的傾向が強い層は、移民の流入で変わりゆくアメリカ社会に不満や不安を抱いており、排外主義的な主張を躊躇なく繰り返すトランプはそうした不満の受け皿になっている。

トランプは厳しい国境管理による非合法移民の排除という国民国家の原則論に訴えることで正当性を得ようとしているものの、移民によって築かれたアメリカ社会の現実を完全に無視している。

さらに、トランプが第14条を批判して話題になると、世論調査で後れを取る他の共和党候補者らも第14条について似たようなことを言いだした。19世紀の共和党が奴隷制を廃止して生み出した第14条を、21世紀の共和党が移民問題を理由に潰そうとしている。

社会学者のサスキア・サッセンやジャーナリストのフアン・ゴンサレスが指摘するように、多くの非合法移民を含むラティーノ移民は、ラテンアメリカに対するアメリカの軍事的・経済的介入の結果であり、そうした移民が今日もアメリカ経済を支えていることは否定できない。

ロサンゼルスの地元テレビ局KTLAの記事によると、こうしたトランプの発言に対して、移民支援団体の代表は「彼の極端な考え方には言葉を失いますし、危険な方向に向かっています」「トランプ氏の計画はアメリカに暮らす1,100万人の勤勉な移民たちを捕まえて強制送還することができる警察国家を生み出すことになるでしょう」としたうえで、「幸いにも、そうした考え方は一般的に受け入れられておらず、機能もしないので人気もありません。ですから、実際には実施されないでしょう」と述べている。

その言動が共和党内からも多くの批判を浴びているトランプ氏が大統領に当選する可能性は低いだろう。しかし、排外主義的な主張を繰り返すトランプは、ニュース番組だけでなく芸能番組にも連日取り上げられており、このまま共和党の予備選を勝ち抜く可能性はある。そうすれば、曲りなりにも箔が付く。

「私は本当に金持ちだ」と豪語する資産13億ドルのトランプにとっては、世間の話題の中心となり、何らかの形でアメリカ政治に自分の名前を残すだけでも、2016年の大統領選はいい投資なのかもしれない。しかし、彼の人気は排外主義に支えられている。メキシコ人を中心とするラティーノ移民にとってはたまったものではない。

・トランプに関する記事は、こちらこちら、またこちら
・KTLAの記事は、こちら


ベトナム難民の成功物語、人気調味料スリラッチャソース

一年ぶりにオレンジ郡のベトナム系コミュニティ、リトル・サイゴンに昼ご飯を食べに行った。

ベトナム料理店「バンズ・レストラン(Van's Restaurant)」で、パリパリに焼いた生地で炒め物を包んだ「バンセオ」、エビとポテトの揚げ物、それに豚肉の生春巻きを注文した。

山盛りのレタスや香草と食べるバンセオ(写真左)

エビの揚げ物もレタスと香草で包んでいただく。

しばらくすると店員がレタス、シラントロ、ミント、ドクダミがてんこ盛りになった皿を料理と一緒に運んできた。レタスと香草でバンセオなどを包み、甘めのソースに漬けてから食べる。揚げ物の香ばしさ、香草の爽やかさ、ソースの甘さが絡み、めちゃくちゃ美味しい。ロサンゼルスではタイ料理やインドネシア料理、カンボジア料理も食べたけど、今のところ、東南アジア料理の中ではベトナム料理がいちばん好きだ。

レストランの壁にはキリスト誕生を描いた絵が飾ってあった。

テーブルにはオイスターソースなどと並んで、ホイ・フォン(Huy Fong)社のスリラッチャソース(Sriracha)というチリソースが置いてある。カリフォルニア産の唐辛子、酢、ニンニク、砂糖、塩が材料のドロドロとした赤いソースだ。ソースの入った透明のプラスチックボトルには、ローマ字や漢字で会社名などが印刷され、中央にはニワトリの絵が描かれている。地味なデザインだけどエキゾチックな感じがして印象的だ。

ホイ・フォン社のスリラッチャソース。写真はミャンマー料理店で売っていたもの。


このスリラッチャを知らないアメリカ人はいない、と言っても言い過ぎではない、おなじみの調味料だ。

ロサンゼルスのスーパーマーケットではほぼ100%売っているし、飲食店もアジア系であれば、かなり高い確率で置いてある。以前、人気のラーメン店にアメリカ人の友だちと行ったときも置いてあり、それはないやろと思ったけど、友だちは豚骨ラーメンの白いスープがうっすら赤く染まるくらいドロドロとスリラッチャを注ぎ込んでいた。

このスリラッチャを発売したのは、アメリカに移り住んだベトナム難民のデイビッド・トラン。1979年にアメリカに亡命。翌年、ロサンゼルス中心部のチャイナタウンに建てた工場でチリソース生産を始め、今では当初の100倍以上の広さの工場に移転し生産を続けている。

その工場が完成した2年前、CBSの朝のニュース番組がトランに取材している。

「私の商品が気に入らない人に対しては、どうしたのって思いますよ。なにかがおかしい。新鮮なもの、いちばんいいもの、安いものを使ってますよ」というトランに、記者が「辛すぎるという人もいますが」と質問。トランは「使う量を減らせばいいでしょ」と余裕で切り返していた。

トランが意気込んで稼働した新工場だが、稼働直後から問題を抱えてしまった。
工場から出る唐辛子の匂いを巡り、地域住民から不満が出たため、地元の役人が工場立ち退きに向けて動き出した。しかし、これだけ大きく成長した地元の会社を追い出せば、カリフォルニアで商売する人が減ってしまうという懸念もあり、ロサンゼルス・タイムズも社説で「カリフォルニアのために」工場の稼働を許可し続けるべきだと主張していた。結局、昨年5月、匂い対策に取り組むと約束したトランと地元自治体の間で話し合いが成立し、工場は存続することになった。

いずれにせよ、スリラッチャソースはアメリカに渡った移民の成功物語の一つ。トランは自分の会社をホイ・フォン社と名付けているが、「ホイ・フォン」は彼が難民として乗船した台湾の貨物船の名前だ。多くの人が楽しむソースは、いつも戦争の記憶も暗に伝えている。


食後は近くの菓子店にベトナム・コーヒーを買いに行った。いつも行く店がいつもの場所に見当たらない。近づいてみると、店舗スペースを半分に縮小して営業していた。

コーヒーの支払いの際に「この店もっと大きくなかったですか」と尋ねると、店員のおばさんは「レント・ハイ・アップ、セー・マニー(賃料が上がって。節約するため)」とベトナム語なまりの英語で教えてくれた。

濃くて甘いベトナム・コーヒーを飲みながら、ベトナム風サンドイッチ「バンミー」の店「トップ・バゲット(Top Baquette)」に向かう。前回リトル・サイゴンに来た際に友人が教えてくれた店だ。レモングラス・ビーフ味(3.5ドル)とバーベキュー・ポーク味(3ドル)をそれぞれ一つ買って、久しぶりのリトル・サイゴンを後にした。

レモングラス・ビーフ味のバンミー

・スリラッチャ製造元のホイ・フォン社のサイトは、こちら
・ロサンゼルス・タイムズの記事は、こちらこちら
・リトル・サイゴンについての本ブログの他記事は、こちら

2015年8月15日土曜日

アメリカで虫歯治療、社会保障と移民社会の平等

歯が痛い。右上の歯の知覚過敏がひどく、右下の歯も鈍く痛む(ような気がする)。
いややなあと思いつつも、やや生活に支障がでてきたので歯医者に行くことにした。

とはいえ、アメリカの医療費はめちゃくちゃ高い。僕は大学指定の歯科保険に入っているけど、高額な治療費を請求する近所の歯医者にぷらっと足を運ぶわけにはいかない。

そこで多くの大学院生が利用するのがキャンパス内の歯学部。歯医者の卵として日夜がんばっている歯学部の院生に治療してもらう。彼らの実習を兼ねているので治療費が安い。なんとなくどんな感じか見てみたいし何より安いから、歯学部治療室に向かった。


すぐに治療してほしい場合は予約なしで朝早くから歯学部ビルの入り口前で待つ。
午前7時半、職員が「グッドモーニング」と入り口のドアを開けた。受付を終えて待合室で待っていると、午前8時半くらいに東アジア系の小柄な女性の歯科学生が迎えに来た。「こんにちは、よろしくお願いします」と握手して治療室へ。

「一週間前から知覚過敏がひどくて、それが鈍い痛みになって。下の歯の奥の辺りから。歯の表面の虫歯も目で見て確認できました」と説明した。レントゲン写真を撮ると、右上奥から4番目の歯は明らかに虫歯。悲しいことに写真には他の虫歯もいくつか写っていた。この3年間のコーラ飲みまくりがたたったのかもしれない。

歯科学生の彼女が、親不知を取るとかなんとか言いだして、なんかいやな感じになってきたと思っていたところ、治療室を監督するラティーノの男性教授が「痛みの原因は親不知じゃないと思う。上の歯を治療するのが優先」と指示。その日はその右上の歯の根管治療を受けて神経を取り、仮の詰め物を入れてもらった。痛みも消えたから良かった。

とはいえ、日本語でも分かりにくい虫歯の治療について比較的早口な英語で説明されて精神的に疲れた。例えば、日本では一般的に「神経を抜く」と言われる「根管治療」は英語では「root canal(根管)」。ただ、「root canal」と連発されても最初は意味が分からず、それだけで不安になった。

この日の治療費は学生歯科保健が適用されて50ドル。それに薬局で痛み止めと抗生物質を24ドルで買ったから計74ドル支払った。

ただ、問題はそこからの治療。神経を取り除いた後はそこに本格的な詰め物をして、元の歯の形になるようにプラスチックなどで形成しないといけない。今後、継続して治療を受けるには歯学部の患者として登録する必要があると言われ、やむを得ず登録した。後日、登録患者の精密検査ということで合計20枚ほど歯のレントゲン写真を撮られた。学生1割引きで90ドル支払った。


その後、担当の女性歯科学生の都合が合わず、右上の歯の治療が中途半端なまま、先に左下奥から3番目の歯の治療を彼女の友だちの男性歯科学生にやってもらうことになった。

男性歯科学生は30歳前後のベトナム系で、物腰が柔らかく安心できる。

「ここの学生ですか。何を勉強しているですか」と器具を整理しつつ聞いてきた。
「移民の歴史を勉強しています。戦争の時の状況など。ロサンゼルスはいろんなエスニック集団が集まってきているので」
「そうですか」
「ところで、歯学部の学生は文化的にも人種的にも多様で印象的ですね」
「ええ、違う文化に接することができていいですよ。かつてサウスカロライナに住んでいたんですが、そこではほとんどアジア人はいなかったです」
「ベトナム系の人はサウスカロライナにどのくらいいるんですか」
「数千人だと思います。ロサンゼルスは多いですね」

麻酔注射を2発打ち込んだ後、指で揉んでなじませる。左あごと唇が麻痺した。この感覚はけっこう好きだ。

ラバーダムというゴム製フィルターで治療する歯以外を覆い隠した後、ドリルで歯を削り、ファイルという待ち針みたいなもので神経組織をほじりだす。ちゃんと神経組織が除去できているか確認するため、何回もレントゲン写真を撮る。治療するのは実習中の学生なので時間はかかるけれど、治療方法や器具が新しいのはありがたい。

「ベトナム人の患者が来たら、ベトナム語が話せる歯科学生が担当するんですか」
「そんなことないですよ。患者があえて希望すればそうなると思います」
「へえ、そうなんですね」
「僕が治療するのはアフリカ系やラティーノが多く、実はあなたが初めてのアジア人ですよ」

歯学部治療室を観察していると、すべての人種・エスニシティの患者が治療を受けている。歯科学生の人種・エスニシティも、アフリカ系が少ないものの、全体としてはとても多様だ。アメリカ以外の国で歯科医の経験がある外国人学生もちらほら。ベトナム系の彼によると、年間に5千人が応募、500人が面接に進み、入学できるのは150人程度という。

2日かけて神経を抜いてもらい、後日、左下の歯に丈夫な詰め物(コンポジットレジン)を入れてもらった。その日の帰りに歯学部の名前が入ったサンスター「G・U・M」の歯ブラシと「Sensodyne」という歯磨き粉をくれた。


この左奥の歯の治療には、ここまでで126ドル支払った。歯科保険がないと295ドルになるという。アメリカの一般の歯科医で無保険で根管治療を受けると、500ドル以上するらしいから、それに比べるとかなり安い。

日本の一般歯科で根管治療を受けた場合、保険適用で1本3~4千円らしい(専門歯科では高額に)。そう考えると、アメリカの虫歯治療はやっぱり高い。オバマ大統領が実現した医療保険制度、通称「オバマ・ケアー」は原則的に歯科保険を含まない。本当にお金のない人はどうなってしまうのだろうか。

日本の国民皆保険に比べれば、既存の保険会社を介し、歯科保険を含まないオバマ・ケアーを不十分と批判することは簡単だろう。
けれども、もともとアメリカでは低所得者の一部と高齢者らを除き、医療費をカバーする社会保障制度が整っていなかった。そうした厳しい現実を考慮すると、医療保険だけでも一部カバーしてくれるオバマ・ケアーがあること自体が、アメリカ社会の平等を支えるうえでかなり重要な改革だということがよく分かる。

同時に、日本の健康保険制度は、日本社会の平等を考えるうえで、今後さらに税率を上げてでもある程度しっかり維持していく価値があると思った。これは経済成長を重視しないということではなく、経済成長と社会保障のバランスをどう考えるかという問題だ。つまり、国内総生産が増加すると同時に不平等も拡大するような経済成長は望まないということだ。

アメリカの歴史を振り返ると、人種・エスニック集団間格差と経済格差を切り離して考えることはできない。アフリカ系やラティーノが低所得者層に多く、構造的な人種差別の影響で、そうした格差はこれまで再生産されてきた。

日本の国民健康保険は住民登録した外国人も加入できるし、しないといけない。日本で雇用された外国人も健康保険に加入しないといけない。今後、日本の人口は大幅に減ると予想されている。そんな日本の経済を支えるために移民を受け入れていくとしたら、そうした移民とその子孫を単なる労働力と捉えず、同じ社会に生きる人々として平等に扱わないといけない。そのような成熟した移民社会を築くためにも、社会保障制度は今後ますます重要になると思う。

2015年度の一般会計予算。社会保障費は歳出全体の32.7%(財務省ホームページから。クリックで拡大)
日本の将来人口推計。2050年に日本の人口は1億人を切ると予測されている。(内閣府ホームページから。クリックで拡大)


・アメリカの根管治療の費用については、こちら
・日本の根管治療の費用については、こちらこちら
・カリフォルニア州におけるオバマ・ケアー申請資格については、こちら

2015年8月9日日曜日

移民、ナポレオン、人種分離、歴史刻むニューオリンズ

7月のニューオリンズ二泊三日旅行の続き――

二日目の朝は宿泊したホテル「Q & C Hotel」すぐ近くの食堂「Majoria's Commerce Restaurant」で、ケージャン風エッグベネディクトを食べた。期待通りスパイシーで美味しい。アメリカ南部発祥のトウモロコシ粉を茹でた朝食グリッツ(grits)も注文。これはかなり質素な味わい。

スパイシーなケイジャン風エッグベネディクト

接客してくれたアフリカ系のおばちゃん店員が話す南部の英語はリズムがあり、その愉快な響きが朝から心地よかった。

その後は1718年に創設された聖ルイス教会へ。アメリカで最も古いカトリック教会の一つだ。涼しい教会内でしばらく休憩した後、教会に隣接し、18世紀末にスペイン庁舎として建てられたカビルド(Cabildo)へ。現在はニューオリンズを中心としたルイジアナの歴史を学ぶ博物館となっている。

聖ルイス教会(写真中央)の前にある公園ジャクソン・スクエアには、20ドル札に印刷されているアンドリュー・ジャクソンの像が立つ。教会の左手の建物がカビルド。

ここではルイジアナで暮らしていた先住民、17世紀末から代わる代わるこの地を支配したフランス、スペイン、そしてアメリカの歴史を紹介。その歴史は移民の歴史でもある。ニューオリンズは南北戦争(1861~1865年)前、ニューヨークに次ぐアメリカ第二の港町で、アイルランド人やドイツ人、イタリア人らに加え、ルイジアナに根付いたフランス文化に惹かれ、カリブ海地域やフランスからフランス語を話す移民もたどり着いた。

1820年代には1万人、1830年代は5万人、1840年代は16万人、さらに1850~1855年は25万人がニューオリンズからアメリカに入国したが、南北戦争後、その数は激減する。

戦争中は移民の海上輸送が困難になった。戦後はニューヨークとシカゴ、カリフォルニアを結ぶ大陸横断鉄道が完成したため、ニューオリンズからミシシッピー川の蒸気船でシカゴへ向かう必要性も減った。さらに、大型化した蒸気船でミシシッピー川の砂州を越えるのが難しくなった。これらが移民数激減の要因となった。

それは戦争や鉄道網の発展によって、経済発展と移民流入の重心がニューオリンズからシカゴに移っていく過程でもあった(シカゴについては、こちら)。移民の行き先がどこであれ、19世紀のアメリカ白人は、太平洋岸まで続く西部の広大な土地に自分たちの文明を広めるとともに、その恵みを享受する運命があると信じていた。「Manifest Destiny(明白なる運命)」として知られるこの思想は、西部に生きる先住民に対する侵略を正当化するものに他ならなかった。

このカビルドという博物館で、もう一つ楽しみにしている目玉展示があった。それは一時はヨーロッパの大半を支配し、北アメリカ情勢にも大きな影響を与えたナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)のデスマスク。やや無造作に展示されているのが意外だったけど、ガラス越しにナポレオンの顔を10分ほど見入った。ものすごい鼻が高い。考えようでは、ただの銅の「塊」だけれども、本人の顔で象られたデスマスクには「魂」も少し含まれているような気がして静かな迫力があった。

ナポレオン・ボナパルトのデスマスク


博物館の中を歩いていると、なんだか陽気な音楽が聞こえる。館内放送かと思いきや、二階の窓から博物館前を見下ろすと、アフリカ系男性8人のジャズバンドが演奏している。

カビルド前の広場でジャズを演奏するバンド

街中でジャズを演奏しているのは、このバンド以外にもいくつかあった。特に印象的だったのは、中高生ぐらいの男子たちのバンドだ。フレンチ・マーケットという食事や買い物が楽しめる場所で、シャーベットを食べながら、彼らの演奏を聞いた。Tシャツ、ジーパン、スニーカーという普段の恰好で観光客をもてなす彼らを見ていると、この街にジャズが根付いていることがよく分かる。

若者たちのジャズバンド

その後は、1890年代にルイジアナ州の人種分離政策に異議を唱えたホーマー・プレッシー(1862~1925年)の墓に向かった。

白人といっても不思議ではない外見のプレッシーだったが、黒人の血が流れていることを理由に、白人専用列車の乗車を拒まれ逮捕される。この人種分離政策に対して最高裁判決は、白人専用車を用いて社会的に人種集団を分離すること自体は合憲という内容だった。この判決は「分離すれども平等」という論理で人種差別を容認したプレッシー判決(1896年)として今日では知られている。

人種分離は人種差別を再生産し、奴隷身分から解放された多くの黒人を再び抑圧した。南北戦争後に発展したこの人種差別思想が、最高裁によって否定されるのは1954年のブラウン判決まで待たなくてはいけない。

というわけで、墓地まで歩いたものの、墓地は許可を得た観光ガイド付きじゃないと入れないらしい。外からなんとなく墓地の雰囲気は掴めたので「まあいいか」と、その場を後にした。


ホテルで休憩した後、街の中心部フレンチ・クオーターに戻って夕食を取ることにした。
口コミサイトで評判のいい料理店「Acne Oyster House」へ。ガーリックバターのかかった炭火焼牡蠣、ソフトシェルクラブという殻ごと食べられるカニの揚物、オクラでとろみをつけた魚介シチュー「ガンボ(gumbo)」に加えて、地ビールのアビータ・アンバー(Abita Amber)を注文した。

柔らかい殻ごど食べられるソフトシェルクラブの揚げ物

前夜も牡蠣を食べたけれど、この店の方がニンニクが利いていて美味しい。カニは腹の部分が食べ応えあり。ガンボもエビとカニなどの出汁が出ていて食が進む。ビールは麦芽の風味がしっかりしているけどマイルドで飲みやすかった。

ルイジアナの地元料理ガンボ

お会計を終えて、妻がトイレから出るのを待っている間、店員のアフリカ系のおばちゃんに「ルイジアナの人はガンボを家庭でも食べるんですか」と聞いてみた。

「食べるわよ。例えば、うちなら、シュリンプ、ホットサーシャ、スモールサーシャ、それにチキンウィング」と教えてくれたけど、「サーシャ」ってなんなんだ。改めて尋ねると「ホットサーシャよ」と同じことを言うから、んん~っと思ったけど、すぐにそれが南部英語で発音した「ソーセージ」だと分かった。
「いいですね。この店でそのガンボを出したらいいんじゃないですか」と返すと、おばちゃんはワハハと大きく笑って、ちょうどトイレから出てきた妻と僕に「来てくれてありがとうね」と言って仕事に戻った。

夕食後、夜のミシシッピー川沿いの公園を散歩した。ニューオリンズに来た移民の功績を記念する石像がライトアップされている。イタリア系アメリカ人の団体が1995年に建てたものらしい。土台には「自由、機会、そしてよりよい生活を新しい国に求めて母国を離れた勇敢な男性また女性たちに捧ぐ」と刻まれていた。

夜のミシシッピー川

ミシシッピー川に対岸の照明が反射して揺れる。翌日はロサンゼルスに帰る。今度はいつここに来るだろうか。もう来ないかもしれない。わからないけど、来てよかったとしみじみ思った。