青木広彰氏が1964年にニューヨークで始めた店で、現在は全米に70店舗以上を展開し、多くの人が知る人気日本食店に発展した。
客の目の前でシェフが披露するコテなどを使ったパフォーマンスが有名だ。
サンタモニカ店に午後6時に妻と二人で到着。店に入ったところに「Edo Period」と書かれた甲冑が展示されていた。店のウェブサイトには、青木氏は「サムライの子孫」と紹介されており、サムライ的なイメージも売りの一つにしているようだ。
店に入ると甲冑が出迎えてくれる。おそらくレプリカ。 |
店内ではすでに数組の客が食事を楽しんでいた。しばらく待つと、店員が僕たち二人に加え、アフリカ系の四人家族と別のアフリカ系の若い女性二人の2組と一緒に一台の鉄板付きテーブルに案内してくれた。
8人の客が一台の鉄板付きテーブルを囲む。 |
その家族は両親と小さな女の子2人で来店し、今日は長女の6歳の誕生日という。この店は誕生月に来店すると30ドル引きのサービスがあるから、多くの人が誕生日に合わせて来店しているようだ。
「コンニチワー」と店員が言ってから注文を取る。僕らはフィレ・コースとサーロイン・コースをそれぞれ注文した。スープとサラダが出てから、担当の若いシェフがテーブルに来た。二つのコテを器用に振り回すパフォーマンスを披露して、まずは焼飯を料理し始めた。「これが隠し味!ガーリックバター」と言ってシェフが焼飯を仕上げ、それぞれ茶碗に盛る。ステーキを食べに来たけど、この焼飯がやたら美味しくてすでに満足。きっと目の前で調理している様子を見て、アツアツを食べるから、余計に美味しいと感じるんだろう。子どもたちも嬉しそうにシェフの様子を眺めていた。
「BENIHANA」のガーリック焼飯はおいしい。 |
その後、シェフはタマネギ、キノコ、ズッキーニ、エビを鉄板で焼いて、それぞれの客の皿に盛った。アフリカ系のお母さんが「サンキューってなんていうの」って聞いてきたので「ありがとう」だと教えた。お母さんはそれを長女にも伝え、シェフが料理を彼らの皿に盛ると、それぞれ「アリガト」とシェフに言っていた。
メインのステーキもサイコロ状に刻んでから、それぞれの皿に盛ってくれた。ショウガソースかマスタードソースをつけて、美味しくいただいた。妻はショウガソースが気に入ったみたいだ。仕事を終えるとシェフは「アリントナース(ありがとうございます)!」と言って、また別のテーブルに向かった。
シェフが鉄板の上でステーキを刻んで手前の皿に盛ってくれる。 |
食事がひと段落つくと、数人の店員がロウソクのついたアイスクリームを持ってきて、6歳の女の子の誕生日を祝う。最初は定番の「Happy birthday to you♪」で始まるけど、途中から「シアワセナラテヲタタコウ♪」と日本語に変わった。
「BENIHANA」では、サムライの刀裁きをイメージしたようなシェフのパフォーマンスや日本語の挨拶などを組み込み、エキゾチックな飲食空間を作り出す。そうすることで、異文化としての日本文化を視覚・聴覚・味覚でアメリカ人の好みに合う形で演出している。平日だったけど、午後7時にもなると多くの客でにぎわっていた。
後日、ティーチング・アシスタントを担当している授業で、学生たちに「BENIHANA」に行ったことがあるか聞くと、ほとんどが行ったことがあり、シェフがエビのしっぽをコテで投げてポケットに入れたり、ハート型にした焼飯の下にコテを当てて動かして心臓を表現したりするパフォーマンスの話で盛り上がった。
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「ロッキー青木」として知られた青木氏は2008年に69歳で亡くなった。ニューヨーク・タイムズの追悼記事は、関与したインサイダー取引や熱中したボートや気球などにも触れつつ、ニューヨークのアイスクリーム売りから、大きな日本食チェーン店経営者になった青木氏について「芝居がかった演出を生かして、多くの人々に日本食を紹介した」と評している。ちなみに、青木氏の息子の一人スティーブ・アオキはミュージシャン兼プロデューサーとして活躍している。
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