セントロと呼ばれるメキシコシティ中心部のホテルに宿泊。メトロブスというバスが運行されていて、ベニート・フアレス国際空港からホテルへは40ペソ(300円程度)で簡単に行くことができた。
到着した翌朝、メキシコ政府の史料館に歩いて向かう。タコスの屋台に立ち寄り、大釜で煮込んだ豚の皮やら何やらが盛られたタコスを食べた。ピコ・デ・ガジョ(細かく刻んだタマネギ、トマト、唐辛子を混ぜたもの)やサルサ、レモンを好みでかけた。脂肪分と汁気が多く食が進む。
「スルティード」という土手焼きのような感じのタコスは30ペソ(250円程度)。 |
「日本人です」
「そうですか。メキシコはどうですか」
「素敵ですね」
「日本も素敵でしょ」
「そうですね。それぞれ文化も違いますね」
なんて話していると、なぜか途中から政治の話に変わった。
「私は小学校の先生をしていたんですけど、早期退職して喫茶店を開いたんです。教師に対する風当たりが厳しくて。教職員労働組合のリーダーの女性が汚職で逮捕されたでしょ。メキシコは世界の汚職ランキング3位ですよ。前は1位だったけど、ちょっと悪い枝を切り落としただけでしょう」と笑う。女性は勢いよく話し、その唾しぶきが僕のコーヒーに何度も入りそうになったから冷や冷やした。
「日本は汚職はないでしょ」と聞くので「ありますけど、他の国より少ないと思います」と答えたついでに、「メキシコではなんで選挙の仕組みがあっても大統領は人気がないんですか」と質問した。特に現在のペニャ・ニエト大統領については、いい評判をあまり聞かない。
女性は「選びたい候補者がいないのよ。それに投票率が低いから、本当は支持されていない人が大統領になるの」と残念そうに話した。この点は日本もそんなに変わらないか。けれど、僕は投票する。この女性も政治の話をふってくるくらいだから、投票しているんだろうか。
◇
メキシコシティのセントロでは、朝からテントを張った食事や食料品、小物の露店が至る所に現れる。交通量も多く、特に朝夕は自動車、バス、タクシーがひしめき合いながら進む。地下鉄も乗客であふれており、大都市の景色がそこにある。
幼稚園の前では保護者を相手に野菜を売る露店もあった。 |
そんな状況を目の当たりにして、あるメキシコ人の知人が言った言葉を思い出した。「メキシコは貧しい国ではないのよ。貧しい人たちの国なの」。メキシコはラテンアメリカの経済大国で高層ビルでもコンビニでもなんでもある。セントロを少し離れると、日本の都市部と変わらないような景色もある。けれど、そうしたメキシコシティの都市生活は圧倒的な貧困と隣り合わせでもある。
日本はどうだろうか。もちろん日本とメキシコの経済状況はだいぶ違うけれど、経済成長しても格差是正を念頭に税収を再分配していかなければ、どこの国であれ「貧しい人たちの国」の方向に進んでいく。
◇
とはいえ、メキシコでは社会保障や教育支援制度がいろいろ整っている。日本学生支援機構によると、国立大学の授業料は年間2,600ペソ(2万円程度)以下という。メキシコの大学はどんな感じだろうと思い、メキシコ在住の日本人の友人夫妻と一緒にメキシコ国立自治大学を訪ねた。
メキシコの難関校である同大学の歴史は、スペイン帝国がアステカ帝国を征服して間もない1551年にさかのぼる。現在のメインキャンパスは1949~1952年、60人以上の建築家や技術者、芸術家が関わって建設され、その優れたモダニズム建築を理由にユネスコが世界遺産に登録している。
僕の目当てはキャンパス公園内の建物に描かれた巨大壁画。中央図書館の四方の壁は「先史時代」、「植民地時代」、「現代」、「大学と今日のメキシコ」をテーマにした壁画で覆われている。図書館が公園の緑と空の青に挟まれて、その空間全体が一つの巨大な芸術品のようだった。公園では学生や市民がくつろいでいた。僕も友人夫妻とグアナバナというフルーツのかき氷を食べてゆっくりした。
壁画で覆われたメキシコ国立自治大学の中央図書館。フアン・オゴルマンが制作した。 |
メキシコでは観光地だけでなく、地下鉄構内などでも迫力ある壁画に出会う。セントロにある国立宮殿内に芸術家ディエゴ・リベラがメキシコ史を題材に描いた壁画も圧巻だった。メキシコの紙幣500ペソには、リベラとその妻で芸術家のフリーダ・カーロの肖像が描かれていることからも、この国が芸術を誇りとしていることが分かる。アメリカ大陸とヨーロッパの要素が時間をかけて混ざり合い、社会的な問題を抱えながらも、新しいものに生まれ変わるようなメキシコの歴史の一部を理解するには、こうした壁画の前に立つことも欠かせない。
学長塔はダビー・アルファロ・シケイロスが制作した壁画「人民のための大学、大学のための人民」で覆われている。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿