2016年1月19日火曜日

曇り空のエンジェル島、移民と捕虜が見た景色

サンフランシスコ近くのバークレー市に史料調査で来た。図書館が閉まっている週末、サンフランシスコ湾内のエンジェル島(Angel Island)に向かった。

エンジェル島は1910~1940年に移民収容所が置かれ、中国人や日本人らが入国審査を受けた場所だ。この島には約2年半前に初めて訪れたけれど、道を間違えてお目当てだった移民収容所だった建物を見ないまま島を後にした。そのとき「また来ないと行けないな」と思っていたので、今回再び訪れることにした。

サンフランシスコから出るフェリーで島に向かった前回と違い、今回はティブロン(Tiburon)という町から出るフェリーを利用。小雨が降る午前11時にフェリーに乗り込んだ。こんな天候なので、乗客は僕と妻、子どもの他に夫婦一組だけだった。

10分ほどで到着し、さっそく移民収容所へ。移民収容所の建物は現在、当時の様子を伝える物品や写真を展示した移民博物館となっている。同館スタッフの若い男性が館内をガイドしてくれた。

中国や日本から来た多くの移民が滞在したエンジェル島の移民収容所

入り口から二階に上がる階段を上りながら、「移民たちもこの同じ階段を上り下りしてたんですね」とスタッフに声をかけると、「いや、移民はほとんどの時間を建物内で過ごしていたので、ほとんど使うことはなかったと思います」と教えてくれた。

ここではロシア系ユダヤ人などヨーロッパ人移民も収容されたけれど、多くは中国人や日本人移民だった。収容所の壁にはあちこちに移民が刻んだ文字が残っている。中国人の入国は、アメリカ市民の子どもでない限り厳しく禁止されていたため、彼らの収容期間は特別長かった。まともな食事も与えられずに過ごす苦労を漢詩にして刻む中国人も少なくなかった。

何度も塗り重ねたペンキの下に刻まれた漢字がうっすら見える。

スタッフに「文字を刻む道具を持つことは許されていたんですか」と聞くと、「ええ。木彫りの技術のある人が仲間の詩を刻んでいたようです」、そして「こうした文字が残っていたことで、その歴史的な価値が見いだされ、保存運動につながりました」。

とくに中国人が多かったため、彼ら専用の大部屋があった。ここには約200人が収容されていたという。この同じ部屋が、第二次世界大戦が勃発すると、日本人とドイツ人の捕虜を収容するために使われていた。日本語の落書きもあった。よく意味は分からないけれど、「重田氏...第二回横浜行先発隊...」などと鉛筆で書いてある。

第二次世界大戦前は中国人移民、戦時中は日本人捕虜が収容された部屋

スタッフが「アメリカ軍の最初の捕虜となった日本人はこの部屋に収容されたんです。その人は、そのあと、トヨタのブラジル現地法人の重役になったみたいですよ」と教えてくれた。その後、エンジェル島の公式サイトとウィキペディアを見ると、その男性は酒巻和男さんという男性で、真珠湾攻撃に参戦後、米軍に捕えられたという。エンジェル島は日米関係の変遷を伝える場所でもある。

帰りのフェリーは午後1時20分。スタッフの丁寧なガイドで今回、島に来た目的を十分に果たせた。天気が良ければ景色は最高だろうけれど、いろいろな国の移民や捕虜がこうした曇り空の中で不安な日々を過ごしていたんだろうと思うと、それはそれで感慨深いものがあった。

エンジェル島から見る曇り空のサンフランシスコ湾

エンジェル島を出た後はサウサリートという町まで行き、評価サイトYelpでそこそこ評価の良かったレストラン「Fish.」でクラムチャウダー(9ドル)とフィッシュアンドチップス(22ドル)を食べた。観光客相手の値段だけど、それぞれ美味しかった。

タラのフィッシュアンドチップス。酸味の効いたタルタルソースが美味しかった。
・エンジェル島の歴史について書いた当ブログの過去記事は、こちら

2016年1月9日土曜日

1930年代の「モダン用語」、日本人移民の日記帳

史料調査中、戦前のロサンゼルスに住んでいた日本人移民の日記を読んだ。真珠湾攻撃当日の様子などが書かれており参考になった。タイムマシーンはないけれど、こうした一次史料にふれて、少しだけ過去にタイムスリップしたような気持ちになる。歴史研究においては、もちろん日記の内容が大事だけれど、当時の人が使っていた日記帳自体もおもしろい。

この日本人移民が1930年代前半に購入した日記帳(博文館)には「モダン用語」帳が付いている。200字以上の「モダン用語」が五十音順に並び、簡単な説明文が書き加えられている。

現在、我々が当たり前のように使っている言葉やちょっと古臭く感じる言葉が、1930年代は都会風で新鮮な言葉として使われていたことが分かる。また、当時の女性観/男性観や社会状況なども伝わってくる。以下にいくつか紹介したい。
アインシュタイン:この物理学者の相対性原理は難解なので、分からぬことを「どうもアインシュタインだ」という。
おぺちょこガール:軽薄なおっちょこちょいな近代娘。
彼氏:彼と同意だがなんとなくモダンな感がある。
サイレン・ラブ:正午のサイレンを合間に事務所を飛出して相会う種類の甘い恋愛。
サボル:Sabotageの略で怠業という意味の無産語だが今では一般に怠けることにも用いる。
左翼小児病:一つの原因に執着して戦術の融通性を忘れた拙劣な階級闘争を意味する社会運動語。
スピード時代:現代のように変転の激烈な時代をいう。
だんち:段違いの略語、また断然違うの略語。
とっちゃんボーイ:いい年をしたモボ(モダンボーイ)型の男
ぽしゃる:おじゃんになる、駄目になる等の意。
もち:勿論の略。
もちコース:勿論とof courseを半分宛つけた云い方。 
マルクス・ボーイ:日本で作った英語で本当のマルクス学徒ではなくプロレタリア派のことを喋りながら実はプティ・ブル男のこと。
こうして見ると「サボル」や「ぽしゃる」などは2016年も現役で、「どうもアインシュタインだ」や「おぺちょこガール」などはほとんど聞かない。「とっちゃんボーイ」や「もち」はやや古い感じがするけど、聞かなくもない。「だんち」は個人的には現役という印象だ。

ここでは「左翼小児病」、「サボル」、「マルクス・ボーイ」しか紹介していないけれど、階級闘争を背景したモダン用語も多かった。一部の左翼的な人々を蔑む言葉は、今日も異なる文脈で形を変えながら存在している。

それぞれの言葉の寿命はそれなりに歴史的な要因があるだろう。個人的には「スピード時代」という言葉が印象的だった。当時の人も今の人もそれぞれが生きる時代をある種の「スピード時代」と捉えている。もうちょっとスローダウンする時代があってもいいと思う。

1930年代と2010年代はどちらも大きな経済危機を経験した直後の時代だ。資源を急いで消費せず、無駄遣いせず、スローな分野に利潤と幸福感を見出すような新しい資本主義の形、そして価値観のイノベーションが必要なんじゃないだろうか。