2015年2月25日水曜日

パフォーマンスや日本語で演出、アメリカの鉄板焼店「BENIHANA」

アメリカ生活で必ず行ってみたいと思っていた鉄板焼店「BENIHANA(ベニハナ)」に行ってきた。
青木広彰氏が1964年にニューヨークで始めた店で、現在は全米に70店舗以上を展開し、多くの人が知る人気日本食店に発展した。
客の目の前でシェフが披露するコテなどを使ったパフォーマンスが有名だ。

サンタモニカ店に午後6時に妻と二人で到着。店に入ったところに「Edo Period」と書かれた甲冑が展示されていた。店のウェブサイトには、青木氏は「サムライの子孫」と紹介されており、サムライ的なイメージも売りの一つにしているようだ。

店に入ると甲冑が出迎えてくれる。おそらくレプリカ。

店内ではすでに数組の客が食事を楽しんでいた。しばらく待つと、店員が僕たち二人に加え、アフリカ系の四人家族と別のアフリカ系の若い女性二人の2組と一緒に一台の鉄板付きテーブルに案内してくれた。

8人の客が一台の鉄板付きテーブルを囲む。

その家族は両親と小さな女の子2人で来店し、今日は長女の6歳の誕生日という。この店は誕生月に来店すると30ドル引きのサービスがあるから、多くの人が誕生日に合わせて来店しているようだ。

「コンニチワー」と店員が言ってから注文を取る。僕らはフィレ・コースとサーロイン・コースをそれぞれ注文した。スープとサラダが出てから、担当の若いシェフがテーブルに来た。二つのコテを器用に振り回すパフォーマンスを披露して、まずは焼飯を料理し始めた。「これが隠し味!ガーリックバター」と言ってシェフが焼飯を仕上げ、それぞれ茶碗に盛る。ステーキを食べに来たけど、この焼飯がやたら美味しくてすでに満足。きっと目の前で調理している様子を見て、アツアツを食べるから、余計に美味しいと感じるんだろう。子どもたちも嬉しそうにシェフの様子を眺めていた。

「BENIHANA」のガーリック焼飯はおいしい。

その後、シェフはタマネギ、キノコ、ズッキーニ、エビを鉄板で焼いて、それぞれの客の皿に盛った。アフリカ系のお母さんが「サンキューってなんていうの」って聞いてきたので「ありがとう」だと教えた。お母さんはそれを長女にも伝え、シェフが料理を彼らの皿に盛ると、それぞれ「アリガト」とシェフに言っていた。

メインのステーキもサイコロ状に刻んでから、それぞれの皿に盛ってくれた。ショウガソースかマスタードソースをつけて、美味しくいただいた。妻はショウガソースが気に入ったみたいだ。仕事を終えるとシェフは「アリントナース(ありがとうございます)!」と言って、また別のテーブルに向かった。

シェフが鉄板の上でステーキを刻んで手前の皿に盛ってくれる。

食事がひと段落つくと、数人の店員がロウソクのついたアイスクリームを持ってきて、6歳の女の子の誕生日を祝う。最初は定番の「Happy birthday to you♪」で始まるけど、途中から「シアワセナラテヲタタコウ♪」と日本語に変わった。

「BENIHANA」では、サムライの刀裁きをイメージしたようなシェフのパフォーマンスや日本語の挨拶などを組み込み、エキゾチックな飲食空間を作り出す。そうすることで、異文化としての日本文化を視覚・聴覚・味覚でアメリカ人の好みに合う形で演出している。平日だったけど、午後7時にもなると多くの客でにぎわっていた。

後日、ティーチング・アシスタントを担当している授業で、学生たちに「BENIHANA」に行ったことがあるか聞くと、ほとんどが行ったことがあり、シェフがエビのしっぽをコテで投げてポケットに入れたり、ハート型にした焼飯の下にコテを当てて動かして心臓を表現したりするパフォーマンスの話で盛り上がった。


「ロッキー青木」として知られた青木氏は2008年に69歳で亡くなった。ニューヨーク・タイムズの追悼記事は、関与したインサイダー取引や熱中したボートや気球などにも触れつつ、ニューヨークのアイスクリーム売りから、大きな日本食チェーン店経営者になった青木氏について「芝居がかった演出を生かして、多くの人々に日本食を紹介した」と評している。ちなみに、青木氏の息子の一人スティーブ・アオキはミュージシャン兼プロデューサーとして活躍している。


2015年2月15日日曜日

博士論文提出資格試験とは、アメリカ大学院留学

アメリカの大学院博士課程に入学して2年半たった今月、無事に博士論文提出資格試験(Qualifying Exams)に合格した。

この試験に受かって初めて博士論文に向けた調査や執筆を本格的に始めることができる。この段階の院生をPh.D. CandidateやABDと呼ぶ。ABDはAll But Dissertationの略で「あとは博士論文を提出するだけ」という意味だ。

この試験は研究分野にかかわらず、博士課程の学生が乗り越えないといけない関門だ。それぞれの大学や学部で細かい内容は異なる。歴史学部に所属している僕の場合は2年半のコースワークを経た後、アメリカ史、東アジア史、移民研究の3分野で筆記試験と口述試験を受けた。

筆記試験は、学部ビル内の試験部屋に行き、午前8時半から午後5時までの間にパソコンの筆記ソフトを使い、10ページ前後の小論文形式で回答を打ち込む。3分野なので3日間かかる。筆記試験合格後の口述試験では、それぞれの分野の先生方に囲まれ、2時間かけて先生方の質問に答える。

筆記試験には参考資料を持ち込んでいい。重要な本をスーツケースに詰め込んで試験会場に向かった。

試験自体も厳しいけど、試験に向けた勉強が厳しかった。

僕の場合は半年間以上かけて250冊ほどの本を読み、自分の専攻分野について幅広い知識を得たうえで、自分の議論も展開できるところまで勉強する。250冊を最初から最後のページまで完全に読むのは時間的に難しいので、それぞれの本の主要な議論を的確に理解するように心がけて読み、要点をノートにまとめていく。時間が足りなくて読み損ねた本は書評で内容を確認する。書きためたノートを見直したり、それをもとにレポートを書いたりして試験にそなえる。さらに試験担当の先生方とミーティングを重ねて理解を深める。

本番の試験では十分に答えきれなかった部分もあったけど、無事に合格することができた。合格した翌日から体調を崩した。翌日からでよかった。

多くの院生は試験合格後、ティーチング・アシスタントをしたり、研究助成金に応募したりして生活費を得ながら、博士論文提出までの数年間を過ごすことになる。

こうした長丁場の受験勉強は日本の大学受験浪人生だったとき以来だと思う。30歳を過ぎてこうしてチャレンジできるのはありがたい。これからも頑張りたい。