2014年12月5日金曜日

移民と選挙権、ロサンゼルスで在外投票

午前中は大学で用事を一つ済ませて、昼は妻とコリアタウンに麺料理カルグクスを食べに行った。
妻の韓国人の友だちもおすすめの店「ハンガリ・パジラク・カルグクス(Hangari Bajirak Kalgooksoo)」。お客さんはほとんど韓国人で店内に掲示されたメニューもハングルだけ。渡米前、韓国に3週間、語学研修に行ったことが役に立つ。ハングルが読めれば注文くらいはできる。

僕はアサリ・カルグクス、妻は鶏カルグクスを注文。スープも手作り麺も美味しかったけど、アサリの量に驚いた。25枚ほど入っていた。鶏カルグクスは韓国で食べたタッカンマリ(鶏を丸ごと煮込んだもの)と似たような味。メニューにはタッカンマリもあったので3、4人で行けばシェアして楽しめそう。ついでに韓国風餃子のマンドゥも一皿頼み、残ったやつは持って帰った。

アサリ・カルグクス(写真)にはキムチや麦飯などがついてくる。これで8.99ドル。

お腹いっぱいになった後は衆議院選挙の在外投票のため、リトル・トーキョーに向かった。
リトル・トーキョーは久しぶりに来た。最近はどんどん再開発が進んで、アパートビルなどの建設が進んでいる。「こんなところで国旗をつけるんやねえ」と妻が言うので見上げると、建設現場のクレーンの先に付けられたアメリカ国旗が風になびいていた(写真下)。

再開発が進むリトル・トーキョー

投票会場の日米文化会館に到着。昨年の参議院選挙前に申請して手に入れた在外選挙人証とパスポートを持って行った。在外選挙人証を手に入れるには2、3カ月かかるので海外で投票したい人は事前に申請しておかないといけない。

日米文化会館(写真)は、日系アメリカ人や日本人による芸術活動の振興や日米文化交流の促進の拠点。在外投票の会場は右の建物の地下一階にあった。

在外投票は日本国内の投票よりやや作業が多いけど、かいつまんで言うと、候補者名を書いた投票用紙を小さな封筒①に入れ、それを大きな封筒②に。そして、立会人の領事館職員らが投票者の氏名や在外選挙人証交付番号などをチェックし、封筒②を地元の選挙管理委員会行きの封筒③に入れて無事終了だ。

今回の選挙にどういう意味があるのかという議論は別として、こうして海外からでも投票できること自体は重要なことだ。2000年から比例代表の在外投票が始まり、2007年から小選挙区の在外投票も始まった。

日本で男子普通選挙法が制定された1925年、選挙権が認められたのは日本列島内(内地)で暮らす25歳以上の男性だけだった。朝鮮半島など植民地出身者も選挙権を持っていた。

当時、大日本帝国の植民地であった朝鮮半島で暮らす日本人や朝鮮人のエリート層の一部は、同じ帝国臣民であるなら、帝国議会選挙の選挙権を自分たちにも認めるように政府に働きかけたものの聞き入れられず、ようやく認められたのは1945年。しかし、日本が戦争に負けて、実際に彼らが選挙権を行使する機会はなかった。

戦前の日本の植民地で暮らす日本出身者と戦後の外国で暮らす日本出身者の状況は根本的に違う。ただ、いずれにしても日本列島の外で暮らす日本出身移民の政治的権利は少なくとも1925年以降は認められてこなかった。その意味で、僕がロサンゼルスで行使した在外投票は21世紀の歴史の実践といえる。

とはいえ、選挙権を巡る問題がすべて解決したわけではない。戦後は女性の選挙権が認められるという極めて大きな前進があった一方、国内に暮らす朝鮮半島出身移民とその子孫らの選挙権は奪われた。おそらく議論の中心は地方参政権だろうけど、そうした人々の権利のあり方について同じ日本社会で暮らす住民として無関心でいるわけにはいかない。それは日本国内の多様性に対する歴史認識の問題と切り離せない。ロサンゼルスで一票を投じつつ、移民と選挙権について、そんなことを思った。

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