緊張したけど、お世話になっている先生方のおかげで、無事に終えることができた。
参加した学会はアメリカ学会(American Studies Association)で、移民研究、人種研究、LGBT(性的少数者)研究など、社会的・文化的に多様なアメリカ社会に関わる研究を行っている研究者が集う。
発表後、日本から参加した先生方のお誘いで夕食会に参加させていただいた。先生方は夕食会でアメリカ人の先生と会う予定を立てていた。意外なことに、そのアメリカ人の先生は僕が指導を受けている先生の一人だった。
その先生が研究対象としているロサンゼルス市の東側にあるボイル・ハイツ(Boyle Heights)地区で夕食。この地区の住民はほとんどがメキシコ系を中心としたラティーノだ。商店街にあるメキシコ料理店で、タコスやグアカモレ(アボカドで作ったペースト)などを楽しんだ。食事中、メキシコの伝統的な音楽をギターやアコーディオンで演奏するマリアッチが店内に入ってきて雰囲気を盛り上げていた。
先生からボイル・ハイツの歴史について話をしてもらった。まるでメキシコのようなボイル・ハイツの商店街も戦前はユダヤ系移民の商店街だった。ロサンゼルスで人気のユダヤ系レストラン「カンターズ(Canter's)」は現在、ロサンゼルスの西側で営業してるが、もともとこの商店街にあったらしい。商店街のすぐ近くには、1915年に建てられたユダヤ教の教会シナゴーグが残っている。
日中のボイル・ハイツは買い物客で賑わっている。 |
ユダヤ系コミュニティの中心だったシナゴーグ「Breed Street Shul」は現在、国指定史跡となっている。 |
1940年ごろまでボイル・ハイツの人口は極めて多様で、ユダヤ系、メキシコ系、日系などの住民が調和を保ちながら暮らしていた。労働者階級の連帯感に加え、多文化主義(multiculturalism)が根付いた地域だった。しかし、第二次世界大戦中に5千人ほどいた日系人は強制収容され、戦後は都市化の中でユダヤ系はロサンゼルスの西側の地域に移住していく。そこに、新たにメキシコから来た移民を中心にラティーノが集住する現在の状況に至っている。
先生は地域で暮らすラティーノの子どもたちにボイル・ハイツが培ってきた多文化主義の歴史を教えるプログラムにも携わっており、移民史を通して大学研究と地域教育を結び付けている。
ちなみに地名の由来は、「ボイル(Boyle)」は1850年代にこの地に移住したアイルランド人移民の名字で、「ハイツ(Heights)」は高い場所を意味する英語。午後10時前に食事を終えて、ダウンタウンに車で帰る途中、高台になったボイル・ハイツからロサンゼルス川越しに、ダウンタウンの高層ビル群が一望できた。
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