2014年7月14日月曜日

ドーナツ店で宝くじ、大人も子どもも幸運祈る

最近は近所のドーナツ店で読書する。

アメリカはハンバーガーだけでなく、ドーナツの国でもある。どこでもドーナツ店がある。チェーン店もあれば個人商店もある。僕の行きつけのドーナツ店はちっちゃな個人商店。ロサンゼルスでは一般的な小さい平屋のショッピングセンターに入っている。東南アジア出身の40歳代くらいの女性が切り盛りしている。

僕はいつもドーナツとコーヒーをそれぞれ一つずつ注文する。それで2ドルくらい。これでどうやって経営しているんだと思うけど、この店に長時間いると、たくさん客が来ることが分かる。そして、ドーナツを食べるよりも宝くじを買いに来る客のほうが多いことも分かる。

ある日の午後6時は僕を含めて店内には11人の客。僕のテーブルの左手には40分ほどスクラッチ宝くじを削り続ける60歳くらいの大きな白人女性。右手にはメキシコ系の若い女性2人がドーナツを食べている。

別のメキシコ系の女性が5歳くらいの娘と店に入る。その母親の女性は宝くじを買いに来たけど、娘は別のものが欲しくて仕方ないらしい。それはアメリカ版ガチャガチャのおもちゃ。

英語ではカプセルトーイ(capsule toy)と呼ぶらしい。店内には「ファーストフード消しゴム」のガチャガチャ機があった。一つ25セントと日本のガチャガチャに比べると安い。ガチャガチャ機はちょうど子どもの目線に合わせて商品が見えるように設計されている。

ドーナツ店のガチャガチャ機

女の子は母親からもらった25セントコインを機械に入れ、つまみをひねった。コカ・コーラ狙いだったが、出てきたのはシェイク消しゴム。母親に再びおねだり。ガチャガチャ機の前で目をつぶり、両手の人差し指と中指を交差させてコカ・コーラが出てくることを祈る。指を交差させるのは何か幸運を祈るときのジェスチャーだ。

しかし、結果は「Oh my God! It's an ice cream!!」と出てきたのはアイスクリーム消しゴム。コカ・コーラが手に入るまでは止められないと彼女は宝くじを購入中の母親に「Mammy, please quiero otro coin!(お母さん、コインもう一枚ちょうだい!)」とすがる。

ちょうど5歳くらいだと幼稚園児か卒園したかくらいの年齢だ。幼稚園に入るまでは家庭でスペイン語しか話さなくても、幼稚園に入ると英語をどんどん吸収する。その結果、おそらく彼女も「Mammy(英語とスペイン語), please (英語) quiero (スペイン語)otro (スペイン語)coin (英語)!」と英語とスペイン語が混ざった状態になっているんじゃないだろうか。母親は娘にはスペイン語で話していた。

ねだり倒して最後のコインをゲット。ガチャガチャ機に投入し、目を閉じて指を交差する。小さい体で大きく深呼吸。カプセルを開けると、残念ながらオレンジ消しゴムだった。けど、結果的に3個も買ってもらったので満足そうだった。しばらくして母親と店を去った。母親も特に興奮していなかったから、きっと宝くじも当たらなかったんだろう。

ドーナツ店は甘い菓子だけでなく、一攫千金の甘い夢も売る。幸運を祈る大人のとなりで、子どももそれなりに幸運を祈りガチャガチャする。なんの特徴もないドーナツ店も長時間いるとロサンゼルス移民社会の生活がいろいろ見れておもしろい。

その日ではないけど、僕も同じガチャガチャ機に挑戦した。ドーナツ消しゴムが出てきた。ドーナツ店の土産にちょうどいい。今度はコカ・コーラを狙おう。

ファーストフード消しゴムは指2本分くらいの小ささ。カプセル(写真後)に入って出てくる。

2014年7月5日土曜日

独立記念日と非合法移民、アメリカの平等とは

7月4日はアメリカ独立記念日。1776年のこの日、イギリスによる植民地支配から離脱するため、「すべての人は平等」とうたった独立宣言が採択された。アメリカ各地で花火大会などが開かれるとともに、家族や友人と集まって楽しむ日になっている。

僕が住むアパートでは管理人さんがランチパーティを開いてくれ、僕と妻を含む住民11人が参加した。管理人さんも住込み管理人なので住民の一人だ。

アパート中庭のテーブルに用意されたコーヒーとベーグル、スイカなどを食べながら昼前から夕方近くまでおしゃべりした。僕らも日本の友人からお土産にもらった甘栗を持っていった。中庭にはプールもあり、何人かはプール遊びも楽しんだ。

管理人さんは軽食のほかにきれいな花も用意してくれた。

アパートには僕以外にもう一人、大学院の博士課程で勉強している白人男性がいる。彼も顔を出し、お互いの勉強の進み具合を話した。彼の妻はインド出身。高校生のとき、単身アメリカに留学し、そこで彼と知り合い、それ以降、アメリカで暮らしている。彼らとアメリカ生活について話し、まだまだ白人中心の社会だけど外国人を受け入れる社会基盤は他の国に比べると整っているとかいないとか話しあった。

今日のアメリカでは外国出身でもアメリカの政治にある程度深く関わることができる。例えば、カリフォルニア州の前知事はオーストリア出身の映画スター、アーノルド・シュワルツネッガー。僕も昨年、香港出身の若い男性に会い、彼がアメリカの国務省(日本の外務省に相当)で働きたいと言っていたことを印象深く覚えている。そんなことを話した。

インド出身の彼女は「ロサンゼルスの空港でも入国審査の職員は外国にルーツがある人が多いでしょ。アジア人が多いよね。そういうのがいいよね」と言った。ついこの間、僕らがアメリカに再入国したときも、入国審査をした男性はアクセントのある英語を話すアジア系の男性だった。

彼女が「なんだか(外国出身の)私のほうが愛国的になってるみたい」と笑いながらいうので、「アメリカでは移民の方が愛国的になることはよくあると思うよ」と相槌を打つと、彼女の夫も「確かに移民の愛国心はあるね」と言っていた。彼女は「インドは好きだけど」と断りつつも、女性の権利などの点で、アメリカの方が住みやすい理由が多いと話していた。


そんな独立記念日のロサンゼルス・タイムズのトップニュースは非合法移民問題だった。

カリフォルニア州ムリエッタ市内にある国境警備施設周辺で、移民支援グループと移民反対グループが互いにプラカードを掲げて衝突している。

昨年10月以降、グアテマラやエルサルバドル、ホンジュラスなど中央アメリカ諸国から子どもたち約5万2千人が出身国内の犯罪組織による暴力から逃れるため、アメリカに不法入国し、当局に拘束されているという。その人数が多いため、強制送還の手続きがテキサス州やカリフォルニア州の複数の施設で行われている。

今回、テキサス州で拘束された非合法移民の親子連れの一部がムリエッタ市内の施設に送られることになった。そのことを知った100人以上の移民反対グループが非合法移民を連れたバスの通行を防ごうと抗議活動を始めた。

そこに移民支援グループも加わり、アメリカ社会における非合法移民問題の深刻さを象徴するような状況に至っており、メディアが大きく報じている。

移民支援グループに参加した女性は「私たちは7月4日(独立記念日)とメルティングポット(いろいろな人が混ざり合って生きるるつぼ)としてのアメリカを祝っているの」と記者の質問に答えている。

ロサンゼルス・タイムズのコラムニスト、スティーブ・ロペスは「中央アメリカとメキシコの経済的また社会的災難の理由は複雑だが、アメリカはそうした地域の失敗に歴史的に加担してきた」ことや「(そうした地域で生産された)薬物をアメリカ社会が求め続けてきた」ことを忘れて、非合法移民に「自分の国に帰れ」と叫ぶだけの人々は恥を知るべきだと批判している。

「すべての人は平等」とした独立宣言が採択されてちょうど238年。非合法移民問題はアメリカで暮らす人々にこの社会における平等とは何を意味しているのか問いかけている。

ブログを書いている部屋の外からは、独立記念日を祝う花火の音が聞こえる。

・ロサンゼルス・タイムズのコラムは、こちら
・ハフィントン・ポストの関連記事は、こちら

2014年7月3日木曜日

国際空港、移民の管理と人生の節目

先日、2年ぶりの日本一時帰国から、ロサンゼルスに戻った。

ロサンゼルス国際空港に着陸するため高度を下げるジャンボジェット機の窓からロサンゼルスの近代的で乾いた街並みが見える。懐かしさと新鮮さが混じったような感覚になる。

ロサンゼルス国際空港上空から見た市街地

妻と一緒に入国審査を受ける。パスポートやビザなどの必要な書類はすべてそろえていても、入国審査を通り抜けるときは、アメリカという国家に入国してよいか試されるある種の緊張感がある。

しかし、実際は「何か食べものは持ってきましたか」くらいの質問ですんなり通過し、無事にアメリカに入国。手荷物引き渡し場所でスーツケースを拾い、空港職員に税関申告書を手渡す。以前はI-94という出入国カードも記入して提出していたけど、2013年から自動化されて必要でなくなったようだ。

多くの人間を飛行機という密室に閉じ込めて、雲の上に放り投げ、空港ビルという限定された建物に届け、漏れなく入国審査などの関門を通り抜けさせる仕組みは、外国人を管理する上ではとても効率がいい。とはいえ、外国人がみんな空路を使って渡米するわけではない。

日本で暮らしていると、陸路で国境を越える感覚が薄いから、何気なく外国のことを「海外」と呼び、外国に行く方法は海を越える空路だと考えてしまう。多くの国にとって外国は海の外とは限らない。

そういう意味では、外国に行く際に、ほぼ空路しか選択肢がない日本出身者は管理しやすい外国人であるともいえる。

というわけで、日本からアメリカへの移動を両国の政府にしっかり管理された後、空港ビルの外へ出た。ロサンゼルスの青空が広がる。バスを乗り継いで帰宅。荷物は重かったけど、なんだか気持ちは軽かった。


その2日後、ロサンゼルスでお世話になった日本人夫妻がアメリカ生活を終えて帰国するため、同じロサンゼルス国際空港に見送りに行った。

国際空港には、ここからアメリカ生活を始める人もいれば、ここでそれを終える人もいる。そこには楽しさや寂しさなど感情が伴う。

国際空港は移民の動きを管理するだけでなく、それぞれの移民の人生に節目を与える場所でもある。