2014年2月24日月曜日

移民社会の求人広告、点在する異文化な日常

妻が「英検」の口頭試験を受けるということで、試験会場のあるトーランス市に一緒に向かった。「英検」はロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンで海外受験ができる。この日も小中高生を中心に多くの受験生が集まった。

僕は近くの喫茶店に車を止めて待つ。1時間半ほどして妻が帰って来たので、トーランス市北側のガーデナ市にある人気台湾料理店に行った。


この台湾料理店の店名は「沸點臭臭鍋」。いかにも臭そうな店名だが、料理も臭い。台湾名物の臭豆腐を中心に肉や野菜を煮込んだ鍋料理が人気で、この日もたくさんの客が店の前に並んでいた。客層はアジア系が中心だけど、ラティーノも食べに来ていた。ランチタイムは約9ドルで台湾風紅茶もついてくるのでお得だ。


臭臭鍋

食べ終わった後、この店が入居している建物の別の飲食店を見て回った。日本、中国、韓国、ベトナム、タイなどアジア系を中心に飲食店が15店舗ほど入っている。いくつかの店は店頭にアルバイト募集の張り紙を出していた。

ある韓国料理店は「Help Wanted!」とだけ書いている。ある日本料理店は日本語の縦書きで「ウェイトレス募集」と書き、日本人の女性のアルバイトを探しているようだ。別の韓国料理店はスペイン語で「Se Necesita Ayudante de Lavaplatos y Cosina」と書き、ラティーノにアピールしている。広告を見比べてみるだけでも、この移民社会で、どういう人々がどういう場所で働くのか垣間見ることができる。


異なる言語で書かれたアジア系飲食店の求人広告

そのスペイン語の張り紙を見て、妻が「食器洗いと料理人の募集でしょ」と言った。彼女は昨年、自宅アパート近所のアダルトスクールでスペイン語を勉強していた。まだまだスペイン語で会話する力は足りないけど、スペイン語の張り紙の意味が分かるだけでも大したものだと感心した。



台湾料理店から車で5分ほど行ったところに、1952年開業のイタリア食料品店「Giuliano's in Gardena」がある。現在、ガーデナ市内で暮らすヨーロッパ系白人は少ないが、この店は創業者の子孫であるイタリア系アメリカ人家族が切り盛りしている。

屋外の光が店内を照らし、雰囲気もいい。

店内には、手作りのパンやケーキ、パスタに加え、ソーセージやチーズなどの加工品も豊富に取り揃えている。「トルピード(魚雷)」というロールパンのサンドイッチも有名で、注文コーナーで客が列をなしていた。せっかくなので、わが家もジュニアサイズ(8インチ)を約5ドルで注文。さらに、手作りホウレンソウ生パスタ(約2.7ドル)とティラミス(約3ドル)も購入した。この店の人気は新鮮さと品質に加え、この低価格が支えている。

ティラミス、ホウレンソウ生パスタ、人気の「トルピード」はすべて手作りだ。


僕も妻もトイレに行きたいということで、この店を出て、すぐ近くのスーパーマーケットへ。店員や客層、商品からメキシコ系スーパーだと分かる。ただ、生鮮野菜コーナー横の天井から、ラテンアメリカのパーティでおなじみのピニャータ(お菓子の入った紙製の人形)がずらっと吊るされているスーパーは初めて見た。レジ近くを観察すると、ラテンアメリカへの送金窓口などラティーノが必要とするサービスも整っていた。

生鮮野菜コーナー横の天井から吊るされたピニャータ

たまたま店内にトイレも見つかり、助かったところで、帰路についた。日本だったり、台湾だったり、イタリアだったり、メキシコだったり、異なる文化空間が狭い地域に点在し、緊張と調和が共存している状況が、ロサンゼルスの景色の一つといえるだろう。外国人の僕にとっては刺激的な日常だ。

2014年2月2日日曜日

日系団体ボランティア、若者が担う日本語教室

日系アメリカ人が多く暮らすガーデナ市で、日系団体ジャパニーズ・カルチュラル・インスティテュート(Japanese Cultural Institute)のイベントに参加した。
この団体で活動するボランティアスタッフを招待した感謝イベントだ。僕は昨年2回しか活動に参加できなかったので恐縮したが、せっかくの貴重な機会なので参加することにした。


イベントが始まる午後1時。丸テーブルがいくつも並べられた会場に、ボランティア約130人が集まった。ほとんどが日系人。僕は団体代表者のすすめで、若者たちの多いテーブルに座った。

僕の両隣に座っていた日系の高校生や大学生は、この団体の日本語教室のボランティアアシスタントをしている。団体の前身は、1912年に設立された日系2世のための日本語学校だ。現在の活動は高齢者に対するサービスが中心となっているが、今でも毎週土曜日に子どもたちが日本語を勉強している。日本語の先生が授業する間、アシスタントの若者が子どもに寄り添って、ひらがなやカタカナの書き方などを教えているという。彼らも幼いころは、この日本語教室で学んでいた。こうして100年以上続く日本語教育の伝統を若者たちが引き継いでいる。同じテーブルには、日本語を勉強している白人の若者もおり、彼もアシスタントとして活躍しているらしい。

僕の向かい側には日本語を話す高齢の女性が座っていた。その女性は両親の移民先だったフィリピンで生まれ、戦後は九州からアメリカ占領下の沖縄に渡った後、1960年代後半に渡米。戦時中は5カ月間、フィリピンのジャングルで生活したという。この団体のイベントに来ると、戦争を経験した人に出会うことが多く、とても勉強になる。


しばらくすると、ステージで余興が始まった。

アジア系アメリカ人のコメディグループによる即興ネタだ。観客からお題を受け付けて、即興で短い喜劇を演じる。例えば、シンデレラの物語をアクション映画風に演じたり、自動車強盗を試みたペリカンを演じたり。アメリカ独特のスタイルの即興ネタで、なかなかおもしろかった。

このグループの役者は中国系や日系を含むアジア系。アメリカのテレビを見ていると、アジア系を含めて異なる人種エスニシティに対するステレオタイプが笑いのネタになることもしばしば。しかし、この日のネタでアジア系に関わるものはなかったし、仮にアジア系に対するステレオタイプをネタにしても、アジア系の内側から社会を皮肉るような視線で笑いをとるんだろう。そうしたある種の安心感がアジア系の観客としっくりくるということもあって、この日、彼らが招待されたのかもしれない。


約2時間のイベント。日系ボーイスカウトの少年たちが昼食を配膳したり、お茶を入れて回ったりしてくれた。最後は参加者にTシャツを配ってくれた。前面には団体名、背面には「感謝」というロゴが印刷されている。

それぞれ参加者は席を立って帰る準備。戦時中の話をしてくれた女性は帰り際に「がんばってくださいね」と声をかけてくれた。