アメリカでの留学を終えて帰国する人も多い。
先日、ロサンゼルスで研究していた日本人留学生の送別会に行った。
共通の友人である韓国人女性のアパートで食事をした。
7人集まった。僕を含めて全員、アメリカでいうところのアジア系だ。
日本で育った人が3人、韓国で育った人が1人、韓国とアメリカで育った人が2人だった。
もう一人は、韓国人女性の夫。
彼はタイで生まれて、1歳のときにアメリカに難民として移り住んだモン族だった。
ベトナム戦争中、アメリカ軍はラオスに暮らすモン族の一部を、反共産主義の兵士として訓練した。しかし、戦後、行き場を失ったモン族はアメリカに難民として移り住んだ。
彼も1980年ごろ、家族とともにアメリカに渡ってきた。1980年代はベトナム戦争後にインドシナ難民が増えた時期だ。詳しくは聞かなかったけど、おそらく彼の家族の場合、ベトナム戦争後にタイに逃れて彼が生まれた後、アメリカに移り住むことになったのだろう。
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モン族と聞いて、クリント・イーストウッドが監督・主演した映画『グラン・トリノ(Gran Trino)』(2008)を思い出した。
アメリカに移り住んだモン族の若者と、保守的な高齢の白人男性が、人種・エスニシティや年齢の違いを超えて友情を深めていくという物語だ。
映画の中では、アメリカで暮らすモン族の若者が経験する暴力や非行などにくわえ、モン族の家庭の様子も描かれていた。
とても印象深い映画だったけど、映画の中のモン族の描き方が、モン族の人々にとって正確なのかどうか、せっかくだから彼に聞いてみようと思った。
映画の中では、たくさんの親族が集まって食事をする場面があった。
その場面では、シャーマン(呪術師)もいて、祈とうなどを行っていた。
とてもエキゾチックな場面の一つでもあった。
そこで、彼に「あのマジシャンというかなんというか、ああいう人は今でもいるんですか」と聞くと、「ああ、シャーマンね。アメリカに住むモン族の間でも今でも一般的ですよ」と教えてくれた。
たとえば、子どもを泣き止ますときなどもシャーマンの力を借りるという。
モン族の間では、子どもが泣くのは、子どもの魂が体から抜け出たからだ、と考えられるという。シャーマンは魂を呼び戻すために祈とうする。
また、子どもの名前をつけたり、占いをしたりもするという。
「僕の母親もシャーマンですよ」と彼が言った。
「いつからシャーマンなんですか」と聞くと、「アメリカに来てからシャーマンになって、僕も小さいころは母親が祈とうしているときに、ドラムみたいなやつを隣でたたいていましたよ」。
「どうやってシャーマンになるんですか」と続けると、「スピリットを感じた人がシャーマンになれる」ということらしい。
モン族のシャーマニズムは、必ずしも彼らが東南アジアに住んでいなくても、同郷の人々が一緒に暮らしていれば、アメリカ国内でも新たなシャーマンが生まれて継承されていく、ということなのかもしれない。
映画全体のモン族の描写については「あっているところはあっているけど、あっていないところはあっていないという感じ」と、彼は話していた。
送別会は、モン族の移民から直接、話を聞く貴重な機会にもなった。
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